高野哲夫
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高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日[1] - 1985年3月23日)は、日本の薬学者、薬害問題の運動家。
経歴
[編集]山形県生まれ。大連、東京で育つ。東京都立小石川高等学校卒、1959年京都大学医学部薬学科卒、64年同大学院薬学研究科博士課程満期退学。1981年「戦後薬害問題の研究」で北海道大学薬学博士。関西医科大学助手、立命館大学、京都府立医科大学講師を務めた。スモン、サリドマイドなど薬害問題にとりくむが、子供の頃のカリエスが33歳で再発し、病と戦いつつ50歳で死去した。反戦平和運動にも挺身。妻は高野恵美子(1938年京都府生まれ、旧姓森本[2]。1962年神戸薬科大学卒業。会社勤務を経て1964年国立京都病院検査技師。1988年京大医学博士。2005年日本臨床化学会有功会員[3]、著書に『サリドマイド児たちの若栗スノーキャンプ』近代文芸社 2011)がある)。 恵美子も哲夫の志を継承した。
著書
[編集]- 『くすりと私たち 現代日本の薬害問題』汐文社 国土問題シリーズ 1972
- 『環境の科学』文理閣 1977
- 『スモン被害 薬害根絶のために』三一書房 1979
- 『日本の薬害』大月書店 1979
- 『生命の科学』文理閣 1980
- 『障害原論 障害者はつくられる』ミネルヴァ書房 1981
- 『戦後薬害問題の研究』文理閣 1981
- 『だれのための薬か 社会薬学序説』海鳴社 1985
- 『翼折れ爪はがれても ある車いす薬学者の半生』青木書店 1987