魁罡功
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基礎情報 | ||||
四股名 | 大村 功 → 二子龍 功 → 魁罡 功 → 二子竜 功 | |||
本名 | 大村 功 | |||
生年月日 | 1941年11月16日 | |||
出身 | 青森県青森市金沢 | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 111kg | |||
BMI | 33.51 | |||
所属部屋 | 二子山部屋(入門時は花籠部屋) | |||
得意技 | 右四つ、投げ、捻り、小股掬い | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭5枚目 | |||
生涯戦歴 | 307勝277敗(63場所) | |||
幕内戦歴 | 40勝50敗(6場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1960年9月場所 | |||
入幕 | 1969年1月場所 | |||
引退 | 1971年3月場所 | |||
引退後 | 年寄・放駒 → 飲食店経営 | |||
備考 | ||||
2013年9月18日現在 |
魁罡 功(かいごう いさお、1941年11月16日 - 没年不明 )は、青森県青森市金沢出身で二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は大村 功(おおむら いさお)。現役当時の体格は182cm、111kg。得意手は右四つ、投げ。最高位は西前頭5枚目(1969年5月場所、同年11月場所)。
来歴・人物
[編集]数ある四股名の中でも、最も読めない名の一つに挙げられる。1967年7月場所より名乗っていた魁罡とは、「星の王様」を意味するという。
中学生時代は自動車部に所属し、運転手を志していた。しかし、自動車以上に相撲が好きであったこともあり、巡業で横綱・初代若乃花が青森を訪れた際には、自ら若乃花に入門の意志を伝えそのまま上京してしまった。そして、若乃花の内弟子のような形で花籠部屋に入門し、1960年9月場所で初土俵を踏んだ。
1962年には、引退して二子山親方となっていた元・若乃花が花籠部屋から独立することになり、山中(後の小結・二子岳)らと共に二子山部屋に移籍。体重がなかなか増えなかったため三段目や幕下でやや苦労したが、稽古で足腰と腕力を強化し軽量を補って行き、徐々に上位でも勝ち越せる様になっていった。
1968年5月場所、27歳で十両に昇進。同年11月場所では、西十両3枚目の地位で12勝3敗と好成績を残して十両優勝を果たし、翌1969年1月場所で新入幕を果たした。
右四つが得意であったが、小兵の体格を生かし立合いから低く潜り込んでも力を発揮し、小股掬いなど巧みな技を見せた。同年11月場所は自己最高位タイの西前頭5枚目の地位で迎えたが、4勝11敗と大きく負け越してしまった。本来ならば十両に陥落するような地位ではなかったが、番付運に泣かされ、翌1970年1月場所では東十両筆頭まで番付を落とされた。
以降も再入幕を目標に相撲を取り続けたが、十両の下位と上位を往復する状況が続いた。再起を賭けて1971年3月場所では三段目から幕下時代の一時期に名乗っていた「二子龍」に因む「二子竜」に改名したが、東十両11枚目の地位で4勝11敗という結果に終わり幕下陥落が止むを得なくなったため、同場所の千秋楽をもって引退した。
引退後は直ちに角界を去るつもりでいたが、二子山親方が本人の了承を得ずに、年寄・放駒の襲名届を提出してしまった。しかし、廃業するという意志が固かったため翌日には廃業した。年寄襲名期間は1日で終わり、今後も破られないであろう年寄最短襲名記録を作った。
廃業後は名古屋市内で、飲食店を経営したが、現在は消息不明である。
主な戦績
[編集]- 通算成績:307勝277敗 勝率.532
- 幕内成績:40勝50敗 勝率.444
- 現役在位:63場所
- 幕内在位:6場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1968年11月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1960年 (昭和35年) |
x | x | x | x | (前相撲) | 東序ノ口22枚目 5–2 |
1961年 (昭和36年) |
西序二段84枚目 4–3 |
西序二段47枚目 3–4 |
西序二段61枚目 3–4 |
西序二段70枚目 3–4 |
東序二段74枚目 6–1 |
西三段目118枚目 6–1 |
1962年 (昭和37年) |
東三段目59枚目 4–3 |
西三段目42枚目 4–3 |
東三段目34枚目 5–2 |
東幕下91枚目 2–5 |
西三段目13枚目 4–3 |
西三段目3枚目 3–4 |
1963年 (昭和38年) |
東三段目13枚目 4–3 |
西三段目筆頭 4–3 |
西幕下83枚目 6–1 |
東幕下52枚目 5–2 |
西幕下34枚目 4–3 |
西幕下27枚目 3–4 |
1964年 (昭和39年) |
東幕下36枚目 4–3 |
東幕下27枚目 3–4 |
東幕下30枚目 5–2 |
西幕下18枚目 4–3 |
東幕下14枚目 5–2 |
西幕下7枚目 3–4 |
1965年 (昭和40年) |
西幕下10枚目 3–4 |
西幕下13枚目 3–4 |
西幕下17枚目 3–4 |
西幕下20枚目 3–4 |
東幕下23枚目 4–3 |
西幕下19枚目 5–2 |
1966年 (昭和41年) |
東幕下11枚目 3–4 |
東幕下13枚目 4–3 |
西幕下11枚目 4–3 |
東幕下9枚目 4–3 |
東幕下8枚目 4–3 |
東幕下7枚目 1–6 |
1967年 (昭和42年) |
東幕下26枚目 3–4 |
西幕下29枚目 4–3 |
西幕下29枚目 6–1 |
東幕下8枚目 4–3 |
西幕下5枚目 4–3 |
東幕下3枚目 3–4 |
1968年 (昭和43年) |
西幕下6枚目 6–1 |
東幕下筆頭 4–3 |
西十両12枚目 9–6 |
東十両6枚目 9–6 |
西十両2枚目 7–8 |
西十両3枚目 優勝 12–3 |
1969年 (昭和44年) |
東前頭11枚目 8–7 |
東前頭9枚目 8–7 |
西前頭5枚目 5–10 |
東前頭10枚目 6–9 |
東前頭13枚目 9–6 |
西前頭5枚目 4–11 |
1970年 (昭和45年) |
東十両筆頭 6–9 |
東十両4枚目 7–8 |
東十両5枚目 5–10 |
西十両12枚目 8–7 |
西十両11枚目 9–6 |
東十両8枚目 6–9 |
1971年 (昭和46年) |
東十両12枚目 8–7 |
東十両11枚目 引退 4–11–0 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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朝嵐 | 0 | 1 | 浅瀬川 | 2 | 1 | 朝登 | 1 | 3 | 旭國 | 1 | 2 | |||
海乃山 | 1 | 2 | 和晃 | 0 | 1 | 黒姫山 | 0 | 1 | 高鉄山 | 1 | 3 | |||
大文字 | 1 | 1 | 大雄 | 1 | 2 | 大竜川 | 0 | 5 | 高見山 | 1 | 0 | |||
時葉山 | 3 | 1 | 戸田 | 0 | 3 | 栃東 | 2 | 2 | 栃勇 | 1 | 0 | |||
栃王山 | 1 | 2 | 栃富士 | 1 | 3 | 錦洋 | 1 | 1 | 花光 | 3 | 2 | |||
福の花 | 0 | 1 | 藤ノ川 | 1 | 1 | 三重ノ海 | 1 | 0 | 禊鳳 | 1 | 0 | |||
明武谷 | 3 | 1 | 陸奥嵐 | 0 | 4 | 吉王山 | 0 | 1 | 義ノ花 | 0 | 3 | |||
若天龍 | 1 | 0 | 若浪 | 4 | 0 | 若鳴門 | 0 | 1 | 若二瀬 | 1 | 2 |
改名歴
[編集]- 大村 功(おおむら いさお)1960年11月場所-1962年7月場所
- 二子龍 功(ふたごりゅう - )1962年9月場所-1967年5月場所
- 魁罡 功(かいごう - )1967年7月場所-1971年1月場所
- 二子竜 功(ふたごりゅう - )1971年3月場所
年寄変遷
[編集]- 放駒 功(はなれごま いさお)1971年3月28日-同年3月29日
参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第3巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1991年、p230-p233)