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魏明谷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
魏 明谷
生年月日 (1963-03-18) 1963年3月18日(61歳)
出生地 中華民国の旗 中華民国 台湾省彰化県埔心郷太平村
出身校 台中商専
大葉大学事業経営研究所
所属政党 民主進歩党

中華民国の旗 総統府国策顧問
在任期間 2021年2月9日 - 現職
総統 蔡英文
頼清徳

第10代 彰化県長
当選回数 1回
在任期間 2014年12月25日 - 2018年12月25日

中華民国の旗 第5-6・8期 立法委員
選挙区 彰化県選挙区(2002年-2008年)
彰化県第四選挙区(2012年-2014年)
当選回数 3回
在任期間 2002年2月1日 - 2008年1月31日
2012年2月1日 - 2014年11月25日

第13-14期 彰化県議会議員
選挙区 第四選挙区
当選回数 2回
在任期間 1994年3月1日 - 2002年3月1日
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魏 明谷(ぎ めいこく、ウェイ ミングー、1963年民国52年〉3月18日 - )は、中華民国台湾)の政治家総統府国策顧問。民主進歩党所属の元立法委員[1]。元彰化県長

経歴

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1994年の彰化県議員選挙に30歳で初当選した。その後再選され2期務めた。

2001年の第5回立法委員選挙で彰化県選挙区から出馬し、初当選。2004年の第6回立法委員選挙でも再選された。

2008年の第7回立法委員選挙には立候補せず、2012年の第8回立法委員選挙では、彰化県第四選挙区から出馬し当選した。

2014年11月25日、彰化県長選挙に出馬するため、基隆県長選挙に出馬する林佳龍と同時に立法院を辞職し、同年11月29日の選挙の結果、国民党の候補に10万票以上の票差をつけて当選した。

2018年の彰化県長選挙に再選を目指して出馬したが、国民党候補に敗れ落選した。

立法委員

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1979年に彰化県台中市を中心にカネミ油症事件が発生し、2000人以上がポリ塩化ビフェニル中毒に苦しんだ事件に関して、油症が国民健康保険の対象外であることを問題視し、同じ彰化県生まれの立法委員である林淑芬とともに日本の法律を参考にした被害者救済法の成立に尽力した[2]

彰化県長

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県長時代にグリーンエネルギーを推進し、彰化県の工業区に台湾最大の太陽光発電所を建設し[3][4]、台湾で最も広い浅海を持つ彰化県の特色を利用した1000基の洋上風力発電を設置。台湾の代替エネルギー建設に寄与した[5][6]

選挙記録

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年度 選挙 選挙区 所属政党 得票数 得票率 当選 注釈
1994 第13回彰化県議員選挙 第四選挙区 民主進歩党
1998 第14回彰化県議員選挙 9,406 9.88%
2001 第5回立法委員選挙 彰化県選挙区 55,559 9.04%
2004 第6回立法委員選挙 35,003 5.44%
2012 第8回立法委員選挙 彰化県第四選挙区 92,085 50.24%
2014 第17回彰化県長選挙 彰化県 386,405 53.71%
2018 第18回彰化県長選挙 283,269 39.87%

出典

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  1. ^ 彰化縣立委選舉第3.4選區”. 中央選舉委員會. 2024年5月20日閲覧。
  2. ^ 立法院院會紀錄 アーカイブ 2014年11月26日 - ウェイバックマシン, 立法院, 2014年5月
  3. ^ 2018-02-08 中國時報/吳敏菁 報導”. 2018年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月7日閲覧。
  4. ^ 2018-02-08 2018-02-09 自由時報/林良哲、林菁樺 報導”. 2018年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月7日閲覧。
  5. ^ 2018-07-06 新傳媒 / 新新聞》政策鋒頭健 離岸風電魏明谷急變現”. 2018年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月31日閲覧。
  6. ^ 2018-03-06 聯合新聞網 / 離岸風電招商 彰化:4年將有21億收入”. 2018年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月31日閲覧。

外部リンク

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