鳥取柔三郎
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鳥取 柔三郎(とっとり じゅうさぶろう、1859年3月9日(安政6年2月5日)[1] - 没年不明)は、日本の実業家、篤農家[2]。讃岐農工銀行監査役[1]。讃岐土管取締役[3]。族籍は香川県平民[1]。
人物
[編集]讃岐国(現・香川県)出身。鳥取為三郎の二男[1]。1875年、分家した[1]。住所は香川県三豊郡笠田村[1]。
家族・親族
[編集]- 鳥取家
- 妻・イク(1867年 - ?)[1]
- 長男・富士男(1886年 - ?、農業、香川県多額納税者[4]、1933年、家督を相続[4])
- 男・義兵(1890年 - ?)[1]
- 三男・宗三郎(1893年 - ?、大西スマの死跡を相続)[1]
- 長女(1895年 - ?、香川、村井八十治の妻)[1]
- 孫
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』と18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第25回』下編976頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 下』ト69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。