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鳥取治郎八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日嘉永6年4月8日[1] - 1936年昭和11年)3月22日[2])は、日本実業家資産家[3]篤農家[4]、大地主[5][6]、香川県多額納税者[7]。合資会社信正社有限責任社員[2]。讃岐農工銀行監査役[5]。族籍は香川県平民[5][8]憲仁親王妃久子は曽孫。承子女王千家典子守谷絢子は玄孫。

人物

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讃岐国(現・香川県)出身。鳥取為三郎の長男[5]1886年家督を相続した[8]農業を営んだ[1][7]貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。金持ちであるが驕らず勤倹力行を旨とし家業の発展を図った[6]。公共慈善の事に接すると私財を投じて惜しむ所はなかった[6]。住所は香川県三豊郡笠田村[8]

家族・親族

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鳥取家
  • 祖父・勇治郎[9]
  • 父・為三郎1885年6月より3か年に亘り中之池を修築し、水利の便を興した[9]
  • 妻・シナ1853年 - ?、香川士族、三好源市の長女)[8]
  • 長女・マサ1877年 - ?、香川、浪越直治郎の長男・鷹太郎の妻)[8]
  • 三女・フサ1884年 - ?、愛媛、鈴木澤之助の長男・富士太郎の妻)[8]
  • 二男・為三郎1888年 - ?、地主、香川県多額納税者)[10]
  • 養子・コイソ1881年 - ?、香川、荻田才助の二男・延治郎の妻)[8]

脚注

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  1. ^ a b c 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』74-77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  2. ^ a b 『官報 1936年06月05日』官報 第2826号 191頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月25日閲覧。
  3. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  4. ^ 『大日本篤農家名鑑』93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』と17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  6. ^ a b c 『大正人名辞典』35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  7. ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』69 - 71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』と20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  9. ^ a b 『讃岐人名辞書』ト之部162 - 163頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。
  10. ^ a b 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』香川5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月28日閲覧。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 梶原竹軒監修『讃岐人名辞書』高松製版印刷所、1933年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1936年06月05日』日本マイクロ写真、1936年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。