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鳥越新一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥越 新一
生誕 1894年4月6日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (1972-11-08) 1972年11月8日(78歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1915年 - 1946年
最終階級 海軍少将
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鳥越 新一(とりごえ しんいち、1894年明治27年)4月6日[1] - 1972年昭和47年)11月8日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将位階勲等正五位勲二等[2]

経歴

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鹿児島県出身[1]1915年(大正4年)12月、海軍兵学校第43期を卒業し[3][4]1916年(大正5年)12月に海軍少尉に任官した[2]。「吾妻」「金剛」「」各乗組などを経て[2]1921年(大正10年)12月、海軍大尉に進級し海軍大学校航海学生となった[2]1922年(大正11年)12月、「松江」航海長に就任し[2]、「千早」航海長兼分隊長[2]第2艦隊参謀兼副官[2]、「長鯨」「夕張」各航海長兼分隊長などを歴任した[2]1927年(昭和2年)12月、海軍少佐に進級し[2]、「利根」「名取」各航海長兼分隊長や博義王附武官[2]、「春日」航海長兼分隊長教官[2]・「富士」教官[2]軍令部参謀などを歴任した[2]1932年(昭和7年)12月、海軍中佐に進級し[2]、軍令部部員[2]鎮海要港部参謀[2]海軍省軍務局局員などを務めた[2]

1937年(昭和12年)12月1日海軍大佐進級と同時に「知床」特務艦長に着任した[5]1938年(昭和13年)6月に在シャム公使館附武官に任ぜられ[5]1941年(昭和16年)1月から「タイ」国仏領インドシナ間停戦斡旋委員を務めた[5]。同年4月に大阪地方人事部長に就任し[5]、11月に大阪警備府参謀長に転じた[5]1943年(昭和18年)5月に海軍少将に進級し[5]、8月27日に第1南遣艦隊参謀長に就任して太平洋戦争に出征した[1][5]1944年(昭和19年)5月には兼第1南遣艦隊補給長となるが[5]、同年9月に舞鶴鎮守府参謀長兼補給長に転じ[5]1945年(昭和20年)7月10日に兼第1護衛艦隊参謀長となった。同年11月30日に予備役に編入されるが即日充員召集され[5]12月1日に舞鶴地方復員局長官に就任した[5]1946年(昭和21年)6月15日に召集解除となり[5]、舞鶴地方復員局長に就任したが[5]1947年(昭和22年)3月25日に依願免となった[5]。同年11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

年譜

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脚注

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  1. ^ a b c d 福川 2000, 266頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av 海軍歴史保存会 1995, 264頁.
  3. ^ 外山 1981, 188頁.
  4. ^ 外山 1981, 189頁.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 海軍歴史保存会 1995, 265頁.
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」82頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X 
  • 海軍歴史保存会 編集『日本海軍史 第10巻』海軍歴史保存会、1995年。 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500034