鳴海廉之助
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鳴海 廉之助(なるみ れんのすけ、1854年2月24日(安政元年1月27日)[1] - 1920年(大正9年)1月8日[2])は、日本の資産家[3]、畜産家、篤農家[4]、銀行家、青森県の大地主[5]。立誠銀行、金兵衛銀行各頭取[1][6]。族籍は青森県平民[1][6]。
人物
[編集]青森県・鳴海健太郎の長男[1]。1891年、家督を相続[1]。郡会議員[2]、村用係、戸長、屏風山総代人等郷里のため力を尽くし、1897年、青森県農工銀行創立委員となり、以来取締役としてその任にあり、1914年、頭取に挙げられる[7]。
1898年以来青森県地方森林会議員であること4回、1902年、青森県牛馬改良協議委員を嘱託され、同年西津軽郡畜産組合が成立すると、評議員に当選し車力組合長となる[7]。1905年、青森県産馬連合会議員となり、郡及び県施設の産業に力を尽くす[7]。
産馬業に努力し、開墾事業を興し、造林を為す[7]。その他教育、慈善等に寄付してその事業を賛助する[7]。1920年1月8日に死去[2]。住所は青森県西津軽郡車力村大字牛潟[7](現つがる市)。
家族・親族
[編集]- 鳴海家
- 父・健太郎(青森平民)[1][6]
- 母・さよ(1843年 - ?、青森、下山藤次郎の四女)[1][6]
- 妹・つる(1863年 - ?、その夫源吉に従い、その子と共に分家)[1][6]
- 妻・ハル(1869年 - ?、青森、佐々木傳十郎の妹)[1][6]
- 養子
- 養孫・周次郎(1887年 - 1969年、孫・ひさの夫[1]、鳴海銀行頭取、貴族院議員、青森県多額納税者)
- 孫[1][6]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第4版』な14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月15日閲覧。
- ^ a b c 『青森県人名録』238-239頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月15日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月16日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』451頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月15日閲覧。
- ^ 『日本現今人名辞典』な7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』な16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月15日閲覧。
- ^ a b c d e f 『青森県名鑑 大正四年特別大演習記念』77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月15日閲覧。