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鵜飼勝美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鵜飼 勝美
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県一宮市
生年月日 (1932-11-11) 1932年11月11日(91歳)
身長
体重
174 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1952年
初出場 1953年
最終出場 1963年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鵜飼 勝美(うがい かつみ、1932年11月11日 - )は、愛知県一宮市[1]出身の元プロ野球選手内野手外野手)。1953年鵜飼 勝助(うがい かつすけ)の登録名でプレー。

経歴

[編集]

父は元一宮市議として活動[1]享栄商業高校ではエース金田正一を擁し、二塁手として1950年夏の甲子園県予選準決勝に進むが一宮高に惜敗。金田以外のチームメートに一塁手高木公男がいた。

1952年国鉄スワローズに入団[1]1954年には一軍に定着し、一塁手、二塁手として62試合に先発出場。1956年には外野手に回り、5月からは四番打者として起用される。同年は初の規定打席(13位、打率.256)に達し、オールスターゲームにも初出場した[1]。翌1957年は四番を南海から移籍した飯田徳治に譲るが、その後も中軸打者として活躍する。1959年からは岩下守道の移籍入団もあって控えに回るが、1962年には右翼手のレギュラーに復帰し83試合に先発出場。しかし1963年高林恒夫の移籍入団により出場機会が減少、同年限りで引退した[1]

引退後は地元の一宮市でスポーツ用品店を経営していた[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1953 国鉄 12 18 18 0 2 0 0 0 2 3 0 0 0 -- 0 -- 0 3 0 .111 .111 .111 .222
1954 85 263 251 21 62 9 0 4 83 23 6 5 3 2 7 -- 0 37 10 .247 .267 .331 .598
1955 68 127 123 11 32 1 1 2 41 7 3 1 1 0 3 1 0 13 3 .260 .278 .333 .611
1956 130 518 484 42 124 13 5 7 168 53 10 5 6 3 25 1 0 59 12 .256 .293 .347 .640
1957 96 236 229 13 45 2 3 3 62 15 5 2 0 0 6 0 1 50 0 .197 .220 .271 .491
1958 119 416 399 28 92 14 8 3 131 29 15 5 5 3 9 1 0 65 9 .231 .248 .328 .576
1959 70 131 121 11 23 5 0 2 34 7 0 0 0 0 10 0 0 32 4 .190 .252 .281 .533
1960 81 130 121 8 25 2 0 3 36 12 1 0 1 3 5 2 0 23 5 .207 .238 .298 .536
1961 84 155 141 12 31 4 1 1 40 12 3 4 5 1 8 0 0 28 0 .220 .262 .284 .545
1962 111 325 294 17 69 5 3 1 83 17 2 2 10 1 20 1 0 57 4 .235 .283 .282 .566
1963 41 40 39 0 5 0 0 0 5 0 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .128 .150 .128 .278
通算:11年 897 2359 2220 163 510 55 21 26 685 178 45 24 31 13 94 6 1 373 48 .230 .261 .309 .570
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 39 (1952年 - 1954年)
  • 8 (1955年 - 1959年)
  • 15 (1960年 - 1962年)
  • 32 (1963年)

登録名

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  • 鵜飼 勝美 (うがい かつみ、1952年、1954年 - 1963年)
  • 鵜飼 勝助 (うがい かつすけ、1953年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、80ページ

関連項目

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外部リンク

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