鷺沼古墳群
鷺沼古墳群 | |
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所在地 | 千葉県習志野市鷺沼 |
位置 | 北緯35度40分42秒 東経140度01分33秒 / 北緯35.67833度 東経140.02583度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長25m |
出土品 | 下総型円筒埴輪、直刀破片、土玉、鉄鏃、刀子 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 鷺沼古墳B号墳箱式石棺:1976年(昭和51年)7月16日市指定[1] |
地図 |
鷺沼古墳群(さぎぬまこふんぐん)は現在の千葉県習志野市鷺沼の鷺沼城付近にあった群集墳。B号墳の箱式石棺は習志野市指定史跡に指定された[1]。
概要
[編集]千葉県習志野市役所から200mほど南にある標高約18mの八剣台と呼ばれる菊田川河谷左岸の下総台地上の「鷺沼城址公園」内に、前方後円墳のA号墳、隣接するB号墳の石棺が保存されている。
A号墳は前方部を南西に向けた、帆立貝形古墳やいちじく型古墳の様に前方部が小さい前方後円墳で、前方部南西端を除いて周溝があったことが確認されている。全長約25mの墳丘上には「源太様小祠」と呼ばれる祠が祀られていて、通称「源太塚」とも呼ばれる。1966年(昭和41年)の調査で下総型円筒埴輪が出土したことから6世紀後半の築造と推定されている。
南東すぐにあるB号墳もA号墳よりやや小さい、同じ向き・形状の前方後円墳であるが、墳丘は原型をとどめていない。A号墳の様に埴輪は出土しておらず、6世紀末の築造と推定されている。くびれ部付近で2基の石棺が発見されたが南よりの1基は既に破壊されていた。もう1基の石棺は長さ約2m、幅約0.8m、深さ約0.7mの大きさで砂岩・凝灰岩を金属製工具で加工して造られている。中や周囲からは成年男性2体分の人骨片や直刀破片、土玉、鉄鏃、刀子などの副葬品が発見された。現在は覆屋を設けられているが、常時外からの見学が可能である。
両古墳近くに造られている形象埴輪のレプリカは当古墳群とは全く関連のないものがモデルとされている。またB号墳東の遊具付近の土盛りも全く遺跡とは関係の無い武人埴輪なので注意が必要である。
また公園敷地外でも南東約200mの山王祠古墳などがあり、最低でも4基以上の古墳群であったが[2]、その後宅地化されている。
脚注
[編集]- ^ a b 習志野市役所. “習志野市の文化財”. 習志野市. 2020年11月25日閲覧。
- ^ 習志野市役所 (2020年1月28日). “鷺沼古墳群を訪ねる!本当は古墳がいくつあるの?”. 習志野市. 2020年11月25日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 習志野市役所. “鷺沼古墳とその時代”. 習志野市. 2020年11月25日閲覧。