鹿児島県立加世田高等学校
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鹿児島県立加世田高等学校 | |
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北緯31度24分31秒 東経130度19分29秒 / 北緯31.408556度 東経130.324861度座標: 北緯31度24分31秒 東経130度19分29秒 / 北緯31.408556度 東経130.324861度 | |
過去の名称 |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鹿児島県 |
学区 | 南薩学区 |
校訓 |
自主独立 協力奉仕 不撓不屈 |
設立年月日 | 1912年6月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D146210000128 |
高校コード | 46116E |
所在地 | 〒897-0003 |
鹿児島県南さつま市加世田川畑3200 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鹿児島県立加世田高等学校(かごしまけんりつ かせだこうとうがっこう)は、鹿児島県南さつま市加世田川畑にある普通科の県立高等学校。2011年度より南薩学区。
沿革
[編集]略歴
年表
- 1912年6月 - 加世田村立女子技芸学校として開校。
- 1914年4月 - 加世田村立実科高等女学校と改称し開校。
- 1918年4月 - 川辺郡立実科高等女学校と改称し開校。
- 1920年3月 - 鹿児島県成淑高等女学校と改称許可。
- 1923年3月 - 鹿児島県に移管、鹿児島県立加世田高等女学校と改称。
- 1948年4月 - 学制改革により鹿児島県立加世田高等学校として発足。本部を加世田高等学校内におき、旧加世田高等女学校を第2部、旧加世田農学校を第1部と称す。第2部に加世田町立の定時制家庭科を併置、第1部に同定時制農業本科、建築科及び女子農業別科を併置。
- 1949年 - 部制廃止、鹿児島県立加世田高等女学校並びに併設中学校閉校。第1部は定時制と共に加世田農業高等学校(現:鹿児島県立加世田常潤高等学校)として独立。鹿児島県加世田高等学校と改称。
- 1950年 - 校歌制定。
- 1956年 - 鹿児島県立加世田高等学校と改称。
- 1975年 - 校訓制定。
- 1983年7月 - 新校舎(現在地)に移転。
- 1984年 - シンボルツリー「あふちの木」を旧校地から新校地へ移植。
- 1991年 - 研究紀要『あふち』創刊
- 2006年 - 鹿児島県立笠沙高等学校の閉校に伴う事務引継校となる
- 2014年 - 鹿児島県進学指導重点支援校に指定。
象徴
[編集]- 校訓
- 「自主独立」「協力奉仕」「不撓不屈」
- 校歌
- シンボルツリー
- 「あふちの木」
学校行事
[編集]- 文化祭
- 例年クラス発表は、3年生が劇、2年生がバザー等の催し物、1年生が展示となっている。
- クラス発表だけでなく、文化系部活動や一部委員会も参加する。
- 体育祭
- 学年対抗。3年生が仮装行列を行うのが恒例となっている。
- 35km遠行
- 鍛錬行事。いわゆる強歩大会。
- クラスマッチ
- 年2回。1学期は全学年のクラス、3学期は1・2学年のクラスが参加。
- 修学旅行(2年生)
- おうちの日
- 年に数回ある奉仕作業の日。名称はシンボルツリーの「あふち(おうち)の木」にちなむ。
- 宿泊研修(1年生)
- 一日遠足(2・3年生)
- 芸術鑑賞会
- 文化講演会
- 大学出張講義
- 校内読書会
部活動
[編集]一覧
2021年度(令和3年度)現在
- 文化系
- 書道部、美術部、放送部、吹奏楽部、茶道部、文芸部(2011年第26回全国高等学校文芸コンクール詩部門優良賞1名、入選1名)、
- 体育系
- 野球部、サッカー部、剣道部、バスケットボール部、バレーボール部、卓球部、テニス部、陸上競技部、弓道部、水泳部、バドミントン部、ダンスプロジェクト、
著名な出身者
[編集]- 政治・行政
- 実業・経済
- 報道・マスコミ
- 学術・研究
- 折田悦郎 - 歴史学者(日本近代大学史)、九州大学名誉教授
- 神野耕太郎 - 医学者(生理学)、東京医科歯科大学名誉教授
- 鮫島卓 - 観光学者、駒沢女子大学教授
- 髙橋聡美 - 看護学者(精神看護学)
- 六反田豊 - 歴史学者(朝鮮中世・近世史)、東京大学教授
- 芸術・芸能
- スポーツ