鹿児島県立鹿屋農業高等学校
表示
鹿児島県立鹿屋農業高等学校 | |
---|---|
北緯31度23分26.4秒 東経130度51分47.8秒 / 北緯31.390667度 東経130.863278度座標: 北緯31度23分26.4秒 東経130度51分47.8秒 / 北緯31.390667度 東経130.863278度 | |
過去の名称 |
鹿児島県尋常師範学校付属専科農業講習所 鹿児島県簡易農学校 鹿児島県農学校 鹿児島県立鹿屋農学校 鹿児島県鹿屋高等学校第一部 鹿児島県鹿屋農業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鹿児島県 |
校訓 | 誠実・敬愛・力行 |
設立年月日 | 1895年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
農業科 畜産科 園芸科 農業機械科 農林環境科 食と生活科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D146210000351 |
高校コード | 46156D |
所在地 | 〒893-0014 |
鹿児島県鹿屋市寿二丁目17番5号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鹿児島県立鹿屋農業高等学校(かごしまけんりつ かのやのうぎょうこうとうがっこう)は、鹿児島県鹿屋市寿二丁目にある県立農業高等学校。農場内に鹿屋地域気象観測所(アメダス観測施設)が設置されている。
設置学科
[編集]- 農業科
- 畜産科
- 園芸科
- 農業機械科
- 農林環境科
- 食と生活科
1953年から1965年までは商業科も設置されていた。
沿革
[編集]- 1895年 - 鹿児島県尋常師範学校付属専科農業講習所として鹿児島市に創立。
- 1896年 - 鹿児島県簡易農学校として独立。
- 1898年 - 鹿児島県農学校と改称。
- 1900年 - 鹿屋村祓川(鹿屋市打馬、現在の鹿屋市立鹿屋中学校敷地)に移転。
- 1902年 - 鹿児島県立鹿屋農学校と改称。
- 1937年 - 寿明院(じゅみょういん、現在地)に移転。
- 1948年 - 新制の鹿児島県鹿屋高等学校を設置、第一部として継承(第二部が旧県立鹿屋中学校、第三部が旧県立鹿屋高等女学校)。
- 1949年 - 鹿児島県鹿屋農業高等学校として独立。
- 1951年 - 鹿屋市高等学校を併設、大姶良分校および吾平・花岡・高隈の教場を管理。
- 1953年 - 吾平・高隈の教場を分校化。
- 1956年 - 鹿児島県立鹿屋農業高等学校と改称。
- 1958年 - 大姶良分校と花岡教場を廃止。在籍生徒は同年開校の鹿屋市立鹿屋女子高等学校に引き継ぎ。
- 1971年 - 高隈分校を鹿屋市立鹿屋女子高等学校高隈校舎として分離(1988年閉校)。
- 1988年 - 吾平分校を廃止。
- 1995年 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 2015年-創立120周年記念式典を挙行。
著名な出身者
[編集]- 川原新次郎 - 国会議員(参議院)、鹿児島県喜入町長、地方議員
- 瀬戸口勉 - 中央競馬会騎手・調教師
- 西尾太作 - バレーボール選手
- 的場金右衛門 - 国会議員(衆議院)、農業技術者
- 宮ケ原浩 - 近代五種競技選手
- 山下栄 - 鹿児島県鹿屋市長
- 吉田正廣 - 歴史家(朝鮮史、鹿児島県の郷土史)
参考文献
[編集]- 鹿屋市史編さん委員会『鹿屋市史 下巻(改訂版)』鹿屋市、1995年 pp.469-472