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麻布南部坂教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

麻布南部坂教会(あざぶなんぶざかきょうかい)は東京都港区南麻布に位置する教会。日本基督教団に属している。1933年竣工の教会堂はウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した。

年表

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新井正平牧師は1902年にアンセルモ神学校へ留学し一時帰国後、1912年にデートン・レフォームド神学校に留学[1]。各地で伝道をしたのち1915年に上京し、同年12月19日に麻布我善坊町35に伝道所を開設し、「日本基督麻布伝道所」の表札を掲げた。これを「麻布伝道所」と呼んだ[2]

1916年6月23日、新井正平牧師が病死(36歳)。伝道師でキク夫人が伝道所を継続する[2]ドイツ改革派教会東北ミッション東京事務所のヘンリー・K・ミラー宣教師、シャフナー宣教師の協力・支援を受ける。9月24日、ヘンリー・K・ミラー宣教師により麻布伝道所最初の授洗が行われる[3]

1917年11月、元・神田教会牧師の瀬上廣成牧師が着任。

1918年、麻布広尾の売却地を取得し、同年10月に牧師館が新築竣工。

1920年3月11日、麻布伝道教会(二種教会)が設立。この日を創立の記念日に定める[4]

1927年4月、第一回麻布伝道教会総会を開催。議事は会堂新築等。

1928年1月、第二回麻布伝道教会総会を開催。議事は会堂建築資金等。

1929年1月、第三回麻布伝道教会総会を開催。

1933年7月、新会堂が竣工。11月19日に献堂式を行う[5]

1936年2月28日、ヘンリー・K・ミラー宣教師が死去。7月、瀬上廣成牧師辞任について教会臨時総会を開催し、10月末日に瀬上牧師が辞任。成田良太牧師に引き継ぐ。

1939年4月10日、幼稚園の開園式を行う。

1941年1月、自給独立を決定。8月、「日本基督教団麻布南部坂教会」に改称。12月、皇軍慰問の感謝状を陸軍大臣より受ける[6]

1943年12月、日本基督教団軍用機献納中央委員会より、軍用機献納金の要請を受ける[6]

1944年1月18日、瀬上廣成牧師が死去。

1945年8月、副島正人副牧師を迎える。1946年に副牧師に就任。

1946年4月、法人組織教会となる。

1947年、バイブルクラスが誕生。

1948年、成人会と婦人会が結成。

1949年南多摩郡稲城村に伝道所を開設。青年会が発足[7]

1951年、成田良太牧師が急死。副島正人副牧師が正牧師に昇格。

1952年9月、会堂増築落成式。

1955年4月、稲城教会独立を決議。5月、墓地着工式[8]

1971年11月、創立五十周年記念礼拝を行う。創立五十周年記念特別講演で、三笠宮崇仁親王崇仁親王妃百合子両氏による講演「バベルの塔」を開催[9]

1976年1月、教会墓地が完成。

1979年5月、稲城教会三十周年記念式典を行う[9]

1991年、副島正人牧師が辞任。北澤良夫牧師が就任。

1994年2月、「麻布南部坂教会七十年の歩み」を刊行。

歴代牧師

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  • 新井正平(1915-1916、麻布伝道所時代)
  • 瀬上廣成(1917年-1936年)
  • 成田良太(1936年-1951年)
  • 副島正人(1951年-1991年)
  • 北澤良夫(1991年-2001年)
  • 渡邊義彦(2001年-2010年)[10]
  • 松谷祐二(2010年-)[10]

所在地

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交通アクセス

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脚注

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文献

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  • 麻布南部坂教会教会史七十年の歩み編纂委員会編集、1994年、『日本基督教団麻布南部坂教会七十年の歩み』

関連項目

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外部リンク

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