黄志龍 (野球)
統一セブンイレブン・ライオンズ時代 (2012年9月7日) | |
基本情報 | |
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国籍 | 中華民国(台湾) |
出身地 | 台湾省台東県 |
生年月日 | 1989年2月22日(35歳) |
身長 体重 |
177 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 |
初出場 |
NPB / 2010年6月9日 CPBL / 2012年3月21日 |
最終出場 |
NPB / 2010年6月27日 CPBL / 2014年9月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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黄 志龍(ファン・ツーロン、1989年2月22日 - )は、台湾(中華民国)台東県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]中学生時代から台湾代表入りし、アジア野球選手権大会、AAA世界野球選手権大会、世界大学野球選手権大会などに出場。2009年9月に行われた第38回IBAFワールドカップでは日本戦に先発し、延長10回を4安打1失点(自責点0)に抑えて勝利投手となった[1]。また台湾では「速球王子」の異名を取った[1]。
巨人時代
[編集]2009年10月下旬から11月上旬にかけて、日台間の野球交流事業の一環で読売ジャイアンツの二軍練習に参加[1]。最速152km/hの直球と多彩な変化球が関係者の目に留まり、11月20日に読売ジャイアンツと育成選手契約を結んだ[2][3]。支度金200万円、年俸240万円(金額は推定)で、背番号は118。
2010年は主に先発として二軍公式戦(イースタン・リーグ)7試合に投げ、2勝2敗、防御率1.54の好成績を残し、6月4日に支配下選手登録された[4]。契約金1000万円、年俸440万円で、背番号は同じ台湾出身の呂明賜、姜建銘らが着用していた97に変更された[4]。6月9日のオリックス・バファローズ戦で1軍初登板。躍動感あるフォームから繰り出される威力十分の投球もあり、3回1/3を2失点で降板も首脳陣から高く評価された[5]。この年は3試合に登板したが、勝ち星を挙げることはできなかった。オフの11月に広州アジア大会の野球台湾代表に選ばれ銀メダルを獲得した。
2011年は一軍登板は無く、二軍でも僅か4試合の登板に終わった。10月9日に球団から戦力外通告を受けた[6]。
台湾・統一時代
[編集]2011年の中華職業棒球大聯盟(CPBL)のドラフト会議において、統一セブンイレブン・ライオンズから1位指名を受け入団。
2012年は一軍で18試合に登板したが0勝4敗に終わった。オフの11月には、第3回WBC予選前にキューバ代表との国際親善試合であるサンダーシリーズのCPBL代表に選出された[7]。
2013年は4試合の登板で未勝利に終わり、また10月には右肘を手術した[8]。
2014年は僅か1試合しか登板できず、結局3年間で未勝利のまま、10月13日に統一を自由契約となった[8]。
統一退団後
[編集]2015年に社会人チームの崇越隼鷹隊に入団。2016年2月に退団した。
その後、2019年6月にCPBLに再加盟した味全ドラゴンズの入団テストを受験したが、不合格となった[9]。
その後もアマチュア野球を続けており、2022年6月にはCPBLの新球団である台鋼ホークスの入団テストに参加した[10]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2010 | 巨人 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 43 | 7.2 | 13 | 1 | 6 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | 9 | 9 | 10.57 | 2.50 |
2012 | 統一 | 18 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 206 | 40.1 | 69 | 1 | 20 | 0 | 5 | 15 | 2 | 0 | 40 | 32 | 7.14 | 2.21 |
2013 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 3.1 | 7 | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 5 | 4 | 10.80 | 3.00 | |
2014 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 0.1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 54.00 | 12.00 | |
NPB:1年 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 43 | 7.2 | 13 | 1 | 6 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | 9 | 9 | 10.57 | 2.50 | |
CPBL:3年 | 23 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 232 | 44.0 | 78 | 2 | 25 | 0 | 6 | 17 | 3 | 0 | 47 | 38 | 7.77 | 2.34 |
- 2014年度シーズン終了時
記録
[編集]- NPB
- 初登板・初先発:2010年6月9日、対オリックス・バファローズ3回戦(京セラドーム大阪)、3回1/3を2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に坂口智隆から空振り三振
背番号
[編集]- 118 (2010年 - 同年途中)
- 97 (2010年途中 - 2011年)
- 23 (2012年 - 2014年)
代表歴
[編集]- 第22回AAA世界野球選手権大会(2006年)[11]
- 2007年アジア野球選手権大会(2007年)[11]
- 第24回ハーレムベースボールウィーク(2008年)[11]
- 第4回世界大学野球選手権大会(2008年)[11]
- 第38回IBAFワールドカップ(2009年)[11]
- 2009年アジア野球選手権大会(2009年)[11]
脚注
[編集]- ^ a b c “巨人に王建民2世!台湾の「速球王子」獲得”. スポーツニッポン (2009年11月20日). 2022年4月16日閲覧。
- ^ “巨人が台湾152キロ右腕・黄志龍を獲得”. 日刊スポーツ (2009年11月20日). 2022年4月16日閲覧。
- ^ “巨人の育成152キロ右腕・黄志龍が入団”. 日刊スポーツ (2010年1月27日). 2022年4月16日閲覧。
- ^ a b “巨人が育成選手の黄志龍投手と支配下契約”. 日刊スポーツ (2010年6月3日). 2022年4月16日閲覧。
- ^ “黃志龍初登板 3局好投”. 自由體育 (2010年6月10日). 2022年4月16日閲覧。
- ^ “ファン、川口両選手に戦力外通告”. 読売ジャイアンツ (2011年10月9日). 2011年10月9日閲覧。
- ^ WBC 資格賽《賽前組訓熱身賽》球員出賽參考名單 中国語 2015年4月19日閲覧
- ^ a b “中職/志龍大仔被砍了! 統一解約5球員季後首波釋出”. ETtoday運動雲 (2014年10月13日). 2022年4月16日閲覧。
- ^ “中職/投球協調性仍在 黃志龍珍惜最後機會”. ETtoday運動雲 (2019年6月14日). 2022年4月16日閲覧。
- ^ 吳政紘 (2022年6月15日). “中職/台鋼測試會最大咖!前巨人火球男黃志龍參戰”. NOWnews今日新聞. 2022年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f “王建民二世 黃志龍加盟巨人”. 自由體育 (2009年11月21日). 2022年4月16日閲覧。