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黄鍾律

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黄 鍾律(ファン・ジョンニュル / ジョンユル、朝鮮語: 황종율 / 황종률[1]1909年 - 1972年1月21日)は、満洲国および大韓民国官僚政治家。第8代国会議員[2]カトリック教徒[3]

生涯

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1909年に漢城府で誕生。日本の内地に留学し、中央大学予科を経て、1935年九州帝国大学法文学部法科を卒業。満州国大同学院を経て、同国の官吏となった[4][5]満洲国経済部金融司において金融事務官を務め、経済分野に注力した。

第二次世界大戦終戦で満州国が消滅すると、朝鮮半島軍政庁地域に戻った。1945年から延禧専門学校教授をしばらく務めた後、在日本公館長(1947年)、外資購買処長(1952年)、外資管理局長(1952年)、東国大学校法政大学教授(1959年)、忠清北道知事(1960年-1961年)を歴任。

第三共和国では5・16軍事クーデター当時の国家再建最高会議財経委員会諮問委員(1961年)、財務部長官(1963年)、経済科学審議会常任委員(1966年)、経済担当無任所長官(1966年〜1967年)、逓信部長官(1967年〜1968年)、財務部長官(1968年〜1969年)を歴任。1971年に民主共和党から全国区国会議員に当選し、民主共和党政策委員会副議長を務めたが[1]、国会議員在職中の1972年1月21日、文化公報部長官の尹冑栄朝鮮語版の母親の遺体安置所に行く途中、脳溢血により死去。享年62[3]

注釈

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  1. ^ a b 황종률(黃鍾律)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。
  2. ^ 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月13日閲覧。
  3. ^ a b 황종률 의원 별세”. 가톨릭신문 (1972年1月30日). 2023年10月21日閲覧。
  4. ^ 南昌龍 (2000-08-15). “7. 歴史的審判”. 満州帝国朝鮮人. ソウル: 新世林. ISBN 9788985331593 
  5. ^ 永島広紀 「帝国」の大学に学んだ朝鮮人学生韓国研究センター年報22巻

参考資料

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公職
先代
金世錬
大韓民国の旗 大韓民国財務部長官
1968 - 1969
次代
朴東奎
先代
朴璟遠
大韓民国の旗 大韓民国逓信部長官
第20代:1967 - 1968
次代
金泰東
先代
金潤起
大韓民国の旗 大韓民国無任所長官
第15代:1966 - 1967
次代
金元泰
先代
徐奉均
大韓民国の旗 大韓民国財務部長官
第16代:1963
次代
金裕澤
(経済企画院長官)
先代
鄭麟澤
忠清北道知事
第8代:1960 - 1961
次代
趙大衍