黄鍾律
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黄 鍾律(ファン・ジョンニュル / ジョンユル、朝鮮語: 황종율 / 황종률[1]、1909年 - 1972年1月21日)は、満洲国および大韓民国の官僚、政治家。第8代国会議員[2]。カトリック教徒[3]。
生涯
[編集]1909年に漢城府で誕生。日本の内地に留学し、中央大学予科を経て、1935年九州帝国大学法文学部法科を卒業。満州国大同学院を経て、同国の官吏となった[4][5]。満洲国経済部金融司において金融事務官を務め、経済分野に注力した。
第二次世界大戦終戦で満州国が消滅すると、朝鮮半島の軍政庁地域に戻った。1945年から延禧専門学校教授をしばらく務めた後、在日本公館長(1947年)、外資購買処長(1952年)、外資管理局長(1952年)、東国大学校法政大学教授(1959年)、忠清北道知事(1960年-1961年)を歴任。
第三共和国では5・16軍事クーデター当時の国家再建最高会議財経委員会諮問委員(1961年)、財務部長官(1963年)、経済科学審議会常任委員(1966年)、経済担当無任所長官(1966年〜1967年)、逓信部長官(1967年〜1968年)、財務部長官(1968年〜1969年)を歴任。1971年に民主共和党から全国区で国会議員に当選し、民主共和党政策委員会副議長を務めたが[1]、国会議員在職中の1972年1月21日、文化公報部長官の尹冑栄の母親の遺体安置所に行く途中、脳溢血により死去。享年62[3]。
注釈
[編集]- ^ a b “황종률(黃鍾律)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。
- ^ “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月13日閲覧。
- ^ a b “황종률 의원 별세”. 가톨릭신문 (1972年1月30日). 2023年10月21日閲覧。
- ^ 南昌龍 (2000-08-15). “7. 歴史的審判”. 満州帝国朝鮮人. ソウル: 新世林. ISBN 9788985331593
- ^ 永島広紀 「帝国」の大学に学んだ朝鮮人学生韓国研究センター年報22巻
参考資料
[編集]公職 | ||
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先代 金世錬 |
大韓民国財務部長官 1968 - 1969 |
次代 朴東奎 |
先代 朴璟遠 |
大韓民国逓信部長官 第20代:1967 - 1968 |
次代 金泰東 |
先代 金潤起 |
大韓民国無任所長官 第15代:1966 - 1967 |
次代 金元泰 |
先代 徐奉均 |
大韓民国財務部長官 第16代:1963 |
次代 金裕澤 (経済企画院長官) |
先代 鄭麟澤 |
忠清北道知事 第8代:1960 - 1961 |
次代 趙大衍 |