黒川俊博
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名前 | ||||||
カタカナ | クロカワ トシヒロ | |||||
ラテン文字 | KUROKAWA Toshihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1971年2月24日(53歳) | |||||
出身地 | 香川県高松市 | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1986-1988 | 高松南高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1989-1995 | 川崎製鉄サッカー部/ヴィッセル神戸 | () | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
黒川 俊博(くろかわ としひろ、1971年2月24日 - )は、香川県高松市出身の元サッカー選手、サッカー審判員、サッカー指導者。
ポジションは、DF。
来歴
[編集]高松南高校から、1989年、JSL2部・川崎製鉄サッカー部へ入部。1992年シーズンに、旧JFL2部のベストイレブンに選出[1]された。クラブのヴィッセル神戸移行後の1995年シーズンは、出場機会に恵まれず、同年退団となった。
その後、サッカー審判員1級を取得し、2009年にJFLの10試合の主審を務めた[2] のをはじめ、その他公式戦の主審・副審・第4の審判員[3] を務めた。
現在は、ピナクル倉敷フットボールクラブの代表を務め、山田恭也らを育成した。
人物
[編集]高さを生かしたヘディングを武器[1][4]とする大型のセンターバック[1][5]。守備の要[1]としてはもちろんのこと、攻撃参加[4]でも活躍。自分に与えられた仕事をきっちりこなす[5]。
目標とする選手は、井原正巳[1]。
趣味は、ショッピング、ドライブ[4]。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1989-90 | 川崎製鉄 | JSL2部 | - | ||||||||
1990-91 | 川崎製鉄 | JSL2部 | - | ||||||||
1991-92 | 川崎製鉄 | JSL2部 | |||||||||
1992 | 川崎製鉄 | 旧JFL2部 | 16 | 1 | - | ||||||
1993 | 川崎製鉄 | 22 | 旧JFL2部 | 17 | 2 | - | |||||
1994 | 川崎製鉄 | 22 | 旧JFL | 14 | 1 | - | |||||
1995 | 神戸 | 24 | 旧JFL | 0 | 0 | - | |||||
通算 | 日本 | JSL2部 | - | ||||||||
日本 | 旧JFL | 14 | 1 | - | |||||||
日本 | 旧JFL2部 | 33 | 3 | - | |||||||
総通算 | - |
この節の加筆が望まれています。 |