黒澤保樹
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黒澤 保樹(くろさわ やすき、1952年3月28日 - 2010年4月4日)は、日本の実業家。
秋田県横手市出身。秋田工業高等専門学校を中退後、東京松貿エンジニアリングに入社。1973年、横河・ヒューレット・パッカード株式会社(現日本ヒューレット・パッカード)に入社以来、1984年にはソフトウエア・開発センター課長を初めとして、1989年HP社アジア・パシフィック・ネットワーク・マーケィングセンター・マネージャー、1991年HP社シンガポール・ネットワークオペレーション・ゼネラルマネージャー、1992年 コンピュータシステム事業本部マーケィング本部長、1995年同テレコムシステム営業本部長、取締役・エンタープライズ事業統括本部本部長を歴任し、1998年に日本シスコシステムズ(現シスコシステムズ合同会社)の代表取締役社長に就任[1]。2002年には経産省の「情報技術及び経営戦略会議」委員を務め、2004年、米国シスコ社の上級副社長に就任。2007年8月、シスコシステムズ合同会社代表を退任[2]。
2008年12月頃より癌が発病。転移が複数にわたり、2010年4月に亡くなった。58歳没[3][4]。
脚注
[編集]- ^ 中山実 (1998年11月18日). “日本シスコシステムズ、黒澤新社長の就任記者会見を行なう”. ASCII.jp 2022年10月7日閲覧。
- ^ “シスコ日本のトップが交代”. FACTA ONLINE (2007年10月). 2022年10月7日閲覧。
- ^ 本荘修二 (2010年4月10日). “黒澤保樹さんとのお別れ”. Dr.本荘の Thought & Share. 2022年10月7日閲覧。
- ^ “「パーフェクトだ」との言とともに嵐の如く走り去った黒澤さん”. 鈍想愚感 (2010年4月11日). 2022年10月7日閲覧。