12月の雨の日/はいからはくち
「12月の雨の日 / はいからはくち」 | ||||
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はっぴいえんど の シングル | ||||
初出アルバム『はっぴいえんど(12月の雨の日)』/『風街ろまん(はいからはくち)』 | ||||
リリース | ||||
規格 | 7"シングルレコード | |||
録音 | 1971年2月3日 | ・28日、キング・スタジオ|||
ジャンル | ||||
時間 | ||||
レーベル | KING | |||
作詞 | 松本隆 | |||
作曲 | 大滝詠一 | |||
はっぴいえんど シングル 年表 | ||||
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「12月の雨の日 / はいからはくち」(じゅうにがつのあめのひ / はいからはくち)は、1971年4月1日はっぴいえんど通算1作目のシングル。
に発売された背景
[編集]「12月の雨の日」は『はっぴいえんど』、「はいからはくち」は『風街ろまん』それぞれのアルバム収録曲。どちらもアルバムとはテイク違いのシングル・ヴァージョンで、1974年 発売のベスト・アルバム『SINGLES』と2004年 発売のボックス・セット『はっぴいえんどBOX』に収録されたほか、「12月の雨の日」は、2013年 に発売された大滝詠一のオールタイム・ベスト『Best Always』にも収録された。「12月の雨の日」は新録で、アルバム・ヴァージョンの4チャンネル録音と違ってこちらは8チャンネル録音。「はいからはくち」は新曲で、こちらがオリジナル・ヴァージョン。大滝のソロ・アルバム『大瀧詠一』収録曲「ウララカ」の原型[1]。本作は、キングからの初リリース。その後、同年11月のアルバム『風街ろまん』はURCから発売されたので、シングルとアルバムが異なる会社から出るという変則となった。
はっぴいえんどが在籍していたURCレコードは原盤制作会社でもあり、岡林信康のシングル盤は原盤供給という形でビクターから発売されていた。1970年 の『第2回中津川フォークジャンボリー』[注釈 1] のライブ盤供給を受けたキングの担当者だった三浦光紀が、はっぴいえんどの原盤供給も受けたいということで、「12月の雨の日 / はいからはくち」のキングからのシングル発売が決定した。普通の原盤供給ならば、同じ音源を使用するのが通例だが、グループの意向で、どうせ出すなら“シングル・ヴァージョン”を再録しようということになった。しかし、このような前例がないことから、その制作費をどこが持つのかという問題が起き、原盤及び販売会社が困ってしまったという。さらに悪いことに、一度録音した音源を惜しげもなくボツにして、また録音し直したいというグループのわがままから、制作費の高騰という問題も発生した。そこでキング・スタジオが提供されることになり、キングはシングル発売にこぎつけたという[2]。
録音、制作
[編集]シングル・ヴァージョンの「12月の雨の日」と「はいからはくち」は、アルバムとは別に2回レコーディングが行われている[2]。
日付 | スタジオ | 曲名 | ミキサー | トラック | 備考 |
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1970年12月3日 | アオイ・スタジオ | 12月の雨の日 | 吉田保[注釈 2] | 4トラック | ボックス・セット『はっぴいえんどBOX』に収録 |
はいからはくち | ベスト・アルバム『CITY』、ボックス・セット『はっぴいえんどBOX』に収録 | ||||
1971年2月3日 | キング・スタジオ | 12月の雨の日 | 山崎聖次 | 8トラック |
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1971年2月28日 | はいからはくち |
12月の雨の日
[編集]シングル・ヴァージョンのレコーディングには、ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」[注釈 3] を聴いた大滝詠一が、この曲でプロデュースを手掛けたフィル・スペクターと“再会”したことが大きく関係している。大滝によれば「アルバム・ヴァージョンではアコースティック・ギターは1本なんだよ。<マイ・スウィート・ロード>はギターが何本か入ってたよね。そこでシングル・ヴァージョンを録る時に小倉エージもかんでいて[注釈 4]、これがいいね、という話になって、超盛り上がったんだよ。2回重ねよう、いや4回重ねようと。嬉しかったなぁ、あそこから始まってるんだよなぁ」[5] という。さらに、「<12月>は空いたチャンネルに12弦ギターを山のようにダビングした。一人スペクター・サウンド。山崎さんと録音したキングのほうはロー・カットしている。タモやん(吉田保)と一緒にアオイでした録音のほうが、ギターは重ねてないけれどスペクターっぽい。というか『ロンバケ』っぽいんだ、エコーの使い方が。ちゃんとマスタリングしたら同じような音にできそうな気がする」[6] とも話していた。後に小倉は『レコード・コレクターズ』2014年3月 号にて「<12月の雨の日>の再収録時には、制作を主導する大滝がいた。同曲収録時でのジョージ・ハリスンの<マイ・スウィート・ロード>との出会いがフィル・スペクターの存在、自身の音楽的背景への再認識や追求の発端となり、自身のソロ活動に反映され、“ナイアガラ”でのシリーズ作や『ロング・バケイション』に連なる。再収録作の<12月の雨の日>こそは、大滝詠一としての旅立ちの始まりだった」[3] と記している。また、この曲は1973年9月21日 、文京公会堂にて行われたラスト・ライブ“CITY -LAST TIME AROUND-”と1985年6月15日 に国立競技場で行われたイベント“ALL TOGETHER NOW”での再結成ライブの両方ともにキーを半音上げて演奏され[7]、それぞれ『ライブ!! はっぴいえんど』[注釈 5] と『THE HAPPY END』[注釈 6] の2枚のライブ・アルバムに収録された。
はいからはくち
[編集]「はいからはくち」は、モビー・グレープ「オマハ」からの影響が濃厚な作品[8]。松本隆が大滝に歌詞を渡したのが1970年8月27日 、日比谷野音で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている[9]。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん』収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで、大滝の初期ノヴェルティ作品に位置づけられる。演奏は3種類に分類され、一つはいちばん古いスタイルのシャッフル版で、小坂忠がコーラスで参加した別テイク、山崎聖次がエンジニアを務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたる。もう一つがアルバム版。シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成は明らかに異なっている。1972年 以降は大滝詠一「ウララカ」と等しい構成で演奏されるケースが出てくる。フィル・スペクター制作の「ダ・ドゥ・ロン・ロン」[注釈 7] を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている[7]。
リリース
[編集]アナログ・シングルの復刻盤が2000年ディスクユニオンでは、全9タイトル購入特典として7インチ収納BOXがプレゼントされた。
リリースの『ベルウッド 7インチボックス』に収められたほか、2017年 には“ベルウッド・レコード設立45周年記念、7インチ復刻シリーズ(第三弾)”として限定盤にてリリースされた。なお、発売を記念してアートワーク、パッケージ
[編集]歌詞カードは見開き仕様で、表面はイラストとメンバーの写真による2種類の異なるジャケット。裏面には歌詞のほか、メンバー紹介を含む記述“心やさしい若者達「はっぴいえんど」”が掲載されている。なお、歌詞カード表面および、レコード・レーベルには“12月の雨の日”とあるが、歌詞カード裏面には“十二月の雨の日”と記されている。
収録曲
[編集]SIDE A
[編集]- 12月の雨の日(3分19秒)
SIDE B
[編集]- はいからはくち(2分18秒)
リリース日一覧
[編集]地域 | タイトル | リリース日 | レーベル | 規格 | カタログ番号 | 備考 |
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日本 | 12月の雨の日 / はいからはくち | 1971年4月1日 | KING | 7"シングルレコード | BS-1366 | |
2000年3月18日 | Miracle Music ⁄ ULTRA DISTRIBUTION | MM-7001~10 | 『ベルウッド 7インチボックス』の一枚。レーベルはキングのものが使われているが、レコード袋はベルウッドのものとなっている。 | |||
2017年9月6日 | FUJI | FJEP1007 | ベルウッド・レコード設立45周年記念 7インチ復刻シリーズ(第三弾)の一枚。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 1970年10月10日KING 2LP:KR-7018-9 発売
- ^ 2014年ボックス・セット『はっぴいえんどマスターピース』付属の「はっぴいえんど資料集」用に今回撮影されたオリジナル・マスターテープの表書きには、“昭和45年12月3日”という日付とともに“ディレクター(D.) 小倉エージ、エンジニア(Mix.) 島(島雄一)”と明記されている[3]。 リリースの
- ^ George Harrison「My Sweet Lord」Released in 23 November 1970 (US), Apple Records 7" single:2995
- ^ 小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで北山修やはしだのりひことシューベルツ、ジャックス、さらには六文銭、中川五郎はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった細野晴臣に接触。岡林信康のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた[4]。
- ^ 『ライブ!! はっぴいえんど』 1974年1月15日 発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
- ^ 『THE HAPPY END』 1985年9月5日 発売 CBS/SONY LP:18AH 1993, 1985年11月3日 発売 CBS/SONY CT:18KH 1755
- ^ The Crystals「Da Doo Ron Ron」 Released in April 1963 (US), Philles Records 7" single:Philles 112
出典
[編集]- ^ 篠原章「ライヴ、編集アルバムとシングル」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、114-117頁、ASIN B001FADJZ2。
- ^ a b 大瀧詠一『大瀧詠一』(12cmCD)Yoo-Loo / Oo Records、1995年。OOCO 1。
- ^ a b 小倉エージ「特集 はっぴいえんど『果たせなかった再会 -“ゆでめん”を作ったころ、夢見ていた音楽のこと』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、38-40頁。
- ^ 小倉エージ「一枚のシングルからはじまった伝説」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、96-101頁、ASIN B001FADJZ2。「デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み」
- ^ 萩原健太「対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、442-453頁、全国書誌番号:00039156。「スペクターの凄さに気づいて」
- ^ 湯浅学「1970-1972」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、6-43頁、全国書誌番号:00039156。「はっぴいえんどの初シングル」
- ^ a b 篠原章「特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、52-61頁。「風街ろまん」
- ^ 『自伝 鈴木茂のワインディング・ロード』株式会社リットーミュージック、2016年3月25日、59-80頁。ISBN 978-4-8456-2793-6。「第5章 歴史的名盤『風街ろまん』」
- ^ 志田歩「はっぴいえんど全曲ガイド」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、101-113頁、ASIN B001FADJZ2。「風街ろまん」
外部リンク
[編集]- はっぴいえんど-12月の雨の日 はいからはくち - Discogs (発売一覧)