1896年8月9日の日食
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1896年8月9日の日食 | |
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この日食で撮影されたコロナ | |
日食の種類 | |
性質 | 皆既日食 |
ガンマ値 | 0.6963 |
食分 | 1.0392 |
最大食 | |
持続期間 | 2分43秒 |
所在地 | ロシア帝国 沿海州 |
座標 | 北緯54度24分 東経132度12分 / 北緯54.4度 東経132.2度 |
食帯の最大幅 | 181.6 km |
時間 (UTC) | |
最大食 | 05:09:06.0 |
参照 | |
サロス周期 | 124番(全73回の48番目) |
Catalog # (SE5000) | 9272 |
1896年8月9日の日食(1896ねん8がつここのかのにっしょく)は、アジア中部・北部と東ヨーロッパで観測された。場所によっては皆既日食を観測できた。特記のない限り、時刻はUTCによる。また、中心食についての情報は[1]による。
中心食
[編集]中心食帯はノルウェー海に始まり、スカンディナビア半島北部、バレンツ海、ノバヤゼムリャ、カラ海を経てシベリアに上陸した。そこから南東に進み、沿海州北西部の北緯54度24分 東経132度12分 / 北緯54.4度 東経132.2度で5時9分6秒に最大食分1.0392、継続時間2分43秒、中心食帯の幅181.6 kmの中心食を迎えた。その後は樺太をかすめて北海道を通過し、ミッドウェー諸島南方の海上で終わった。
中心食帯に入った国・主要都市
[編集]観測
[編集]この日食は王立天文学会が初めて遠征観測を行った日食である。観測団はノルウェーのVadsøで観測を行ったが、悪天候のため失敗した[2][3]。しかし、ノバヤゼムリャでは観測に成功した[2]。
日本では北海道の道東が皆既日食帯に入り、厚岸、根室、紋別などでは悪天候のため観測できず、釧路では観測できた[4]。枝幸においては米国のデイヴィッド・ペック・トッドと仏国のアンリ・デランドルが観測のために来日し、東京天文台長の寺尾寿も加わったが、やはり観測に失敗した[5]。
脚注
[編集]- ^ NASA
- ^ a b Marriott, R. A. (June 1991). “Norway 1896: the BAA's first organised eclipse expedition”. Journal of the British Astronomical Association 101 (3): 162-170. Bibcode: 1991JBAA..101..162M.
- ^ “Expedition for the Observation of the Total Solar Eclipse, August 9th, 1896”. Memoirs of the British Astronomical Association 6: 1-4. (1898). Bibcode: 1898MmBAA...6....1..
- ^ 皆既日食:明治時代にもブーム 毎日新聞、2012年3月12日
- ^ 初めて津軽海峡を渡った年会 日本天文学会