コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

1930年のル・マン24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1930年のル・マン24時間レース
前年: 1929 翌年: 1931
1930年のコース

1930年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1930 )は、8回目[1]ル・マン24時間レースであり、1930年6月21日から6月22日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

概要

[編集]

出走したのは17台[1][2]または18台[3][注釈 1]と史上最小台数になってしまった[2]が、メルセデス・ベンツタルボブガッティは健在であった。

MGが847ccとこの年の出場車両中最小排気量車Mタイプミジェットで初出場したが、28号車はピストン損傷またはトランスミッションシャフトトラブルにより82周目にリタイヤ、29号車は発電系統やオイルパイプの漏れにより5時間目28周でリタイヤした[2]

ベントレーはワークスのスピード6が3台の他にミス・パジェのチームからブロワーの8号車9号車が出場した。ブロワーは9号車が4周目に平均速度144.352km/h、ラップタイムわずか6分48秒という記録を打ち立てたが2台ともリタイヤとなった。

完走したのは9台[1][3]

ウルフ・バーナート(Woolf Barnato )/グレン・キドストン(Glen Kidston )組のベントレー・スピード6[1]の4号車がルドルフ・カラツィオラが乗るメルセデス・ベンツとの10時間に及ぶ死闘の末24時間で2,930.663km[1][2][3]を平均速度122.111km/h[1][2]で走って優勝した[1][2]。ウルフ・バーナートは3度のみの出場で3度とも優勝という快挙であった。ベントレーはこの後ワークス出場しなくなるとともに勝利から遠ざかり、次の総合優勝は73年後、2003年のル・マン24時間レースとなった。

第2位はフランク・クレメント(Frank Clement )/リチャード・ワトニー(Richard Watney )組、ベントレー・スピード6の2号車。

順位 クラス 号車 チーム ドライバー シャシ エンジン 周回数
1 8.0 4 イギリスの旗 ベントレー
  • イギリスの旗 ウルフ・バーナート
  • イギリスの旗 グレン・キドストン
ベントレー・スピード6
"Old Number One"
ベントレー 6.6リットル直列6気筒 179
2 8.0 2 イギリスの旗 ベントレー
  • イギリスの旗 フランク・クレメント
  • イギリスの旗 リチャード・ワトニー
ベントレー・スピード6 ベントレー 6.6リットル直列6気筒 173
3 3.0 15
  • イギリスの旗 Arthur W. Fox
  • イギリスの旗 Charles Nicholl
  • イギリスの旗 Brian E. Lewis
  • イギリスの旗 Hugh Eaton
タルボ AO90 タルボ 2.3リットル直列4気筒 162
4 3.0 16
  • イギリスの旗 Arthur W. Fox
  • イギリスの旗 Charles Nicholl
  • イギリスの旗 Johnny Hindmarsh
  • イギリスの旗 Tim Rose-Richards
タルボ AO90 タルボ 2.3リットル直列4気筒 160
5 2.0 23 イギリスの旗 ハウ卿
  • イギリスの旗 ハウ卿
  • イギリスの旗 Leslie Callingham
アルファロメオ・6C 1750GS アルファロメオ 1.8リットル直列6気筒スーパーチャージャー 159
6 1.5 24 イギリスの旗 リー・フランシス
  • イギリスの旗 ケネス・ピーコック
  • イギリスの旗 サミー・ニューサム
リー・フランシス ハイパーSタイプ メドーズ1.5リットル直列4気筒スーパーチャージャー 140
7 1.5 25 フランスの旗 Mme. Marguerite Mareuse
  • フランスの旗 Marguerite Mareuse
  • フランスの旗 Odette Siko
ブガッティ・タイプ40 ブガッティ 1.5リットル直列4気筒 132
8 1.1 27 フランスの旗 トラクタ
  • フランスの旗 フェルナン・ヴァロン
トラクタ A28 S.C.A.P. 1.0リットル直列4気筒 128
9 1.1 26 フランスの旗 トラクタ
  • フランスの旗 ロジェール・ブーシェ
  • フランスの旗 Louis Debeurgny
トラクタ A28 S.C.A.P. 1.0リットル直列4気筒 123

注釈

[編集]
  1. ^ :en:によればDNSが1台あり、この扱いの差か。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
  2. ^ a b c d e f 『ル・マンの英国車』pp.18-19「1930」。
  3. ^ a b c 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。

参考文献

[編集]