1949年ドイツ民主共和国人民代表大会選挙
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1949年ドイツ民主共和国人民代表大会選挙(1949ねんドイツみんしゅきょうわこくじんみんだいひょうたいかいせんきょ、ドイツ語: Volkskongresswahl 1949)は、1949年5月15日から5月16日までドイツ民主共和国(東ドイツ)で行われた人民代表大会委員の選挙である[1]。
概要
[編集]選挙では事実上の独裁政党であるドイツ社会主義統一党(SED)が支配する反ファシスト民主党ブロックの統一名簿が作成された[2]。投票用紙には「私はドイツの統一と公正な平和条約に賛成です。それゆえ、私は第3回ドイツ人民代表大会の候補者リストに投票する」と記載されており、有権者は「賛成」と「反対」の選択肢があったが、秘密投票は行われなかった[3][4]。
公式統計によると、有権者の95.23%が投票し、66%がリストを承認し[5]、その後の40年間の共産主義支配で最低の得票率となった[4]。
選挙結果
[編集]党派別獲得議席
[編集]政党 | 獲得 議席 |
得票数 | 得票率 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
ドイツ社会主義統一党 | SED | 450 | |||||
ドイツキリスト教民主同盟 | CDU | 225 | |||||
ドイツ自由民主党 | LDPD | 225 | |||||
協同組合 | 100 | ||||||
ドイツ民主農民党 | DBD | 75 | |||||
ドイツ国家民主党 | NDPD | 75 | |||||
ドイツ民主女性連盟 | DFD | 50 | |||||
自由ドイツ労働総同盟 | FDGB | 50 | |||||
自由ドイツ青年団 | FDJ | 50 | |||||
東ドイツ文化連盟 | KB | 50 | |||||
農民共済協会 | VdgB | 50 | |||||
ナチス政権の迫害者協会 – 反ファシスト連盟 | VVN | 50 | |||||
ドイツ社会民主党[注 1] | SPD | 25 | |||||
無所属 | 50 | ||||||
候補者に反対 | 4,080,272 | 33.93% | |||||
総計 | 1,525 | 12,024,221 | 100.0% | ||||
有効票数(有効率) | 12,024,221 | 93.30% | |||||
無効票数(無効率) | 863,013 | 6.70% | |||||
投票総数(投票率) | 12,887,234 | 95.23% | |||||
棄権者数(棄権率) | 645,837 | 4.77% | |||||
投票総数(投票率) | 13,533,071 | 100.0% | |||||
出典:Nohlen & Stöver |
選挙後
[編集]人民代表大会は10月にドイツ民主共和国憲法を採択し、10月7日にドイツ民主共和国の樹立を宣言した。建国後、人民代表大会は人民議会に移行した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Dirk Spilker (2006) The East German Leadership and the Division of Germany: Patriotism and Propaganda 1945-1953, Clarendon Press, p184
- ^ Die Republik der Partei at Die Zeit
- ^ Ballot paper Direct Democracy
- ^ a b Germany at Encyclopædia Britannica
- ^ Dieter Nohlen & Phillip Stöver (2010) Elections in Europe: A data handbook, p771 ISBN 978-3-8329-5609-7