1991年全米オープン (テニス)
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(1991年全米オープンテニスから転送)
1991年 全米オープン(1991ねんぜんべいオープン、US Open 1991)は、アメリカ・ニューヨークマンハッタンにある「USTAナショナル・テニスセンター」にて、1991年8月26日から9月8日にかけて開催された。
シード選手
[編集]男子シングルス
[編集]- ボリス・ベッカー (3回戦)
- ステファン・エドベリ (初優勝)
- ミヒャエル・シュティヒ (ベスト8)
- ジム・クーリエ (準優勝)
- イワン・レンドル (ベスト4)
- ピート・サンプラス (ベスト8)
- ギー・フォルジェ (2回戦)
- アンドレ・アガシ (1回戦)
- セルジ・ブルゲラ (2回戦)
- カレル・ノバチェク (3回戦)
- デビッド・ウィートン (4回戦)
- ゴラン・イワニセビッチ (4回戦)
- アンドレイ・チェルカソフ (1回戦)
- エミリオ・サンチェス (4回戦)
- ペトル・コルダ (1回戦)
- ジョン・マッケンロー (3回戦)
女子シングルス
[編集]- シュテフィ・グラフ (ベスト4)
- モニカ・セレシュ (初優勝)
- ガブリエラ・サバティーニ (ベスト8)
- アランチャ・サンチェス・ビカリオ (ベスト8)
- メアリー・ジョー・フェルナンデス (3回戦)
- マルチナ・ナブラチロワ (準優勝)
- ジェニファー・カプリアティ (ベスト4)
- コンチタ・マルチネス (ベスト8)
- ヤナ・ノボトナ (4回戦)
- マニュエラ・マレーバ・フラニエール (4回戦)
- カテリナ・マレーバ (3回戦)
- ジーナ・ガリソン (4回戦)
- レイラ・メスヒ (3回戦)
- ナタリー・トージア (1回戦)
- ヘレナ・スコバ (3回戦)
- アンケ・フーバー (2回戦)
大会経過
[編集]男子シングルス
[編集]準々決勝
- ジミー・コナーズ vs. ポール・ハーフース 4-6, 7-6, 6-4, 6-2
- ジム・クーリエ vs. ピート・サンプラス 6-2, 7-6, 7-6
- イワン・レンドル vs. ミヒャエル・シュティヒ 6-3, 3-6, 4-6, 7-6, 6-1
- ステファン・エドベリ vs. ハビエル・サンチェス 6-3, 6-2, 6-3
準決勝
- ジム・クーリエ vs. ジミー・コナーズ 6-3, 6-3, 6-2
- ステファン・エドベリ vs. イワン・レンドル 6-3, 6-3, 6-4
女子シングルス
[編集]準々決勝
- シュテフィ・グラフ vs. コンチタ・マルチネス 6-1, 6-3
- マルチナ・ナブラチロワ vs. アランチャ・サンチェス・ビカリオ 6-7, 7-6, 6-2
- ジェニファー・カプリアティ vs. ガブリエラ・サバティーニ 6-3, 7-6
- モニカ・セレシュ vs. ジジ・フェルナンデス 6-1, 6-2
準決勝
- マルチナ・ナブラチロワ vs. シュテフィ・グラフ 7-6, 6-7, 6-4
- モニカ・セレシュ vs. ジェニファー・カプリアティ 6-3, 3-6, 7-6
決勝戦の結果
[編集]- 男子シングルス: ステファン・エドベリ vs. ジム・クーリエ 6-2, 6-4, 6-0
- 女子シングルス: モニカ・セレシュ vs. マルチナ・ナブラチロワ 7-6, 6-1
- 男子ダブルス: ジョン・フィッツジェラルド& アンダース・ヤリード vs. スコット・デービス& デビッド・ペイト 6-3, 3-6, 6-3, 6-3
- 女子ダブルス: パム・シュライバー& ナターシャ・ズベレワ vs. ヤナ・ノボトナ& ラリサ・サブチェンコ 6-4, 4-6, 7-6
- 混合ダブルス: トム・ニーセン& マノン・ボーラグラフ vs. エミリオ・サンチェス& アランチャ・サンチェス・ビカリオ 6-2, 7-6
みどころ
[編集]- 39歳を迎えたジミー・コナーズが、ジム・クーリエとの準決勝まで勝ち進んだ。コナーズは全米オープンで1974年・1976年・1978年・1982年・1983年と5度の優勝記録を持ち、4大大会の男子シングルスで「8勝」を挙げた実力者である。(全豪オープン1勝+ウィンブルドン2勝+全米オープン5勝=総計8勝)準決勝で当時21歳のクーリエに 3-6, 3-6, 2-6 で完敗したが、ベテランのコナーズの久々の活躍であった。
- この大会では、女子シングルスでも新旧勢力の活躍が目立った。15歳5ヶ月のジェニファー・カプリアティがベスト4に進出し、34歳10ヶ月のマルチナ・ナブラチロワが準優勝。優勝したモニカ・セレシュは17歳の(当時)最年少世界ランキング1位として、1991年は全豪オープン・全仏オープン・全米オープンの4大大会年間3冠を獲得した。
- 注意点:1991年はソビエト連邦の崩壊の年であり、ユーゴスラビアでも紛争のためクロアチアなどの独立国家が誕生した。「シード選手」の一覧において、旧ソ連出身選手や旧ユーゴスラビア出身選手の国籍表示は注意を要する。
外部リンク
[編集]先代 1991年ウィンブルドン選手権 |
テニス4大大会 1991年 - 1992年 |
次代 1992年全豪オープン |
先代 1990年全米オープン |
全米オープン 1991年 |
次代 1992年全米オープン |