5ive
5ive | |
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出身地 | イングランド ロンドン |
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メンバー |
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旧メンバー |
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5ive(ファイヴ、Five)は、1997年に結成されたイギリスのボーイズグループ。男性バージョンのスパイス・ガールズを作ろうというオーディションがきっかけだった。世界中で成功したグループ。特に、ヨーロッパ、ロシア、日本、ブラジル、イスラエル、オーストラリアで成功した。2001年9月27日に解散。
2006年9月27日にイギリス、ロンドンのBar Academy Islingtonにて再結成を発表したがショーンはこのメンバーに含まれていなかった。しかし、7か月後の5月20日、公式ページを通じて再び解散することが発表された。
2012年10月にイギリスのリアリティ番組、"The Big Reunion"の企画で2度目の再結成を今度はJを抜いた4人ですることが決まった。
バイオグラフィー
[編集]5ive:デビュー
[編集]1997年、スコット、J、リッチー、アブス、ショーンの5人はスパイス・ガールズの生み親であるボブ・ハーバート、クリス・ハーバートによって、約3,000人の中からオーディションで選ばれた。選ばれた後、5人はBMC/RCA(レコード会社)と契約する。同年12月に"Slam Dunk (Da Funk)"をリリース。UKチャート10位を記録した。また、この曲はアメリカでもリリースされたが、USチャート86位にとどまった。しかしながら、NBAの1998年公式テーマソングに選ばれた。この次にリリースされたWhen The Lights Go Outが彼らの初の“国際的な”ヒット曲となる。UKチャートで4位、USチャートで10位を記録した。その後、予定されていた1stアルバムのプロモーション活動のため、ディズニー・チャンネル、MTV、TRLなどさまざまな番組に出演する。結果、UKアルバムチャート、オーストラリア・アルバムチャート、ニュージーランド・アルバムチャートで1位、USアルバムチャートで27位を獲得した。1998年には"It's The Things You Do"をアメリカでリリース。USチャート53位と振るわず、そしてイン・シンクとアメリカツアーを行うなど、疲労がたまりイギリスに戻り、次のアルバム作成のために休みをとった。1998年には、"Everybody Get Up"、"Got The Feelin'"、"Until The Time Is Through"をリリースしトップ5を記録した。
Invincible
[編集]1999年8月、2ndアルバム・Invincibleからのファーストシングル、"If Ya Gettin' Down"をリリース。世界中で大ヒットとなるが、母国イギリスでの1位はまたしても叶わなかった(リッキー・マーティンによって阻止された)。そして、1999年10月、"Keep On Movin'"で初めてのUKチャート1位を記録する。そして、同時にこのアルバム、InvincibleもUKアルバムチャート4位を記録する。2000年3月に"Don't Wanna Let You Go"をリリース、UKチャート9位を記録。同年3月3日にブリット・アワードで次のシングル、"We Will Rock You"をQueenとパフォーマンスをした(後にこの曲は5iveの2度目のUKチャート1位を2000年7月に獲得する)。またこのときに、ベスト・ポップ・アクト賞を受賞した。2000年の上半期はUK、ヨーロッパ、ロシア、オーストラリア、南アメリカをツアーでまわり成功をおさめた。 このツアーの後、5iveはUKでいくつかのコンサートをひらいた。また、5iveとアジアのレコード会社の間に何らかの問題が生じ、アジアツアーはキャンセルされた。このような苦難からも5iveは次のアルバム制作に励みつづけた。この間、彼らはヨーロッパでいくつかの賞を受賞しつづけ、2000年12月には母国で2度目のツアーを開始。2001年1月には世界でも重要視されているフェスティバル、Rock In Rio(リオ・デ・ジャネイロ)に参加した。ここでは約50万人のファンの前でパフォーマンスをした。
Kingsize、そして、時代の終わり
[編集]2001年5月、5人の音楽性が育ち、3rdアルバム・Kingsizeが完成した(当初は"XL"というアルバム名の予定だった。リリースは2001年8月27日)。このアルバムがリリースされて1か月後、メンバーのショーンが腺熱でダウン。5iveは4人で活動することになる。アルバム、Kingsizeからのファーストシングル、"Let's Dance"(UKチャート1位を2週間記録)のプロモーション・ビデオではショーンは段ボールでの登場となった。それから、スコットは婚約者であるケリー・オーカーが妊娠したという知らせを聞き、一時的に5iveから離れることになった(2001年7月11日に子供が生まれる)。7月末にはショーンが療養中のなか、メンバーから脱退する。残ったメンバーのアブス、リッチー、Jの3人は激しいプロモーション活動におわれるようになる。7月のベルギーでのコンサートでは、リッチーが左足の激しい捻挫をし、5iveはついに活動を休止。これからのオプションと将来について考える時がこのときに来た。Let's Danceのリリースは遅れに遅れ、結局2001年8月の半ばにリリースされた。また、このアルバムはUKチャート3位をマークした。数か月後、ついに5iveは解散することを決意。2001年9月27日にMTVセレクトを通して解散を発表した。次の日、スコットはケリー・オーカーと結婚する。
2001年11月、"Closer To Me"と"Rock The Party"をダブルAサイド・シングルとしてリリース。Closer To Meのプロモーション・ビデオでは彼ら自身がデビューから撮り続けていたビデオをつなげてつくったもので、Rock The Partyのプロモーション・ビデオでは5iveはアニメとして登場した。そして、5iveの集大成、Greatest Hits(2001年11月19日)がリリースされた。 この短い期間のなか、5iveは世界中で成功をおさめた。UKチャート1位が3曲、世界中で約2,000万枚のレコード売り上げ(700万枚のアルバムを含む)。そしていくつもの賞を受賞した。
その後
[編集]アブスは2001年11月にオーストラリアでブルーと一緒にパフォーマンスを行うと、2003年にソロアルバム、Abstract Theoryをリリース。このアルバムからは3曲、UKチャート・トップ10にはいった。 リッチーとショーンもまた、ソロ活動を開始しようとしたが、もう1歩のところであきらめざるをえなくなった。しかしながら、ショーンはSonyと契約し、リッチーはテレビ・ゲストスター、プレゼンター、俳優などと、さまざまな場面でテレビに登場するようになった。 スコットは地元のラジオ局でDJになった。また、2004年の後半から2005年のほとんどにおいて、ミュージカル、ブギー・ナイト2に出演した。また2006年9月13日に第二子を授かる。Jは約4年間、姿を消したが、それからは作詞家、プロデューサーとして活躍している。
4人での再結成
[編集]2006年9月17日、5iveのオフィシャルページを通して、5iveがなんらかの告知をするという情報がながれた。そして、同月27日、解散からちょうど5年、5iveはまた活動を再開すると発表。しかしメンバーにはショーンは含まれておらず、(ショーンはソロ活動を続けていきたい方向)5iveは4人で活動を再開した。2007年にはツアーを行う予定であった。
2007年3月8日の深夜、ファイブは新曲の一部(1分ほど)を彼らのMySpaceで公開。その2曲は"'70 Days"と"Settle Down"であった。
再結成発表後のたった7か月で5iveは解散することを彼らの公式ページで発表。理由はレーベル契約をどことも結べなかったことをあげている。
2012年10月、イギリスのリアリティ番組、"The Big Reunion"の企画でまたもや再結成することが決まった。しかし今回はJを抜いた4人のメンバーである。同番組では同じようにビー・ウィッチド、アトミック・キトゥン、リバティ・エックスなどがカムバックを果たしている。
2014年8月にアブスが脱退を発表[2]。
ディスコグラフィー
[編集]アルバム
[編集]チャート最高位 | シングル |
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アルバム名: Time |
シングル
[編集]年 | シングル | アルバム | 最高位 | |||||
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UK [4] |
US [5] |
AUS | NZ [6] |
NED | SWE [7]
| |||
1997年 | "Slam Dunk (Da Funk)" | 5ive | 10 | 86 | 51 | 28 | 10 | 28 |
1998年 | "When the Lights Go Out" | 5ive | 4 | 10 | 2 | 20 | 32 | 7 |
1998年 | "Got The Feelin'" | 5ive | 3 | -- | 4 | 3 | 4 | 12 |
1998年 | "Everybody Get Up" | 5ive | 2 | -- | 3 | 1 | 9 | 5 |
1999年 | "It's The Things You Do" | 5ive | -- | 53 | -- | -- | -- | -- |
1998年 | "Until The Time Is Through" | 5ive | 2 | -- | 9 | 14 | 15 | 11 |
1999年 | "If Ya Gettin' Down" | Invincible | 2 | -- | 2 | 1 | 6 | 6 |
1999年 | "Keep On Movin'" | Invincible | 1 | -- | 9 | 7 | 3 | 10 |
1999年 | "How Do Ya Feel" | Invincible | -- | -- | -- | -- | -- | -- |
2000年 | "Don't Wanna Let You Go" | Invincible | 9 | -- | 17 | 5 | 13 | 22 |
2000年 | "We Will Rock You (with Queen" | Invincible | 1 | -- | 3 | 29 | 20 | 35 |
2001年 | "Let's Dance" | Kingsize | 1 (2週間) | -- | 3 | 11 | 22 | 20 |
2001年 | "Closer To Me" | Kingsize | 4 | -- | -- | -- | -- | 不明 |
2001年 | "Rock The Party" | Kingsize | 不明 | -- | 56 | 44 | -- | 不明 |
ツアー
[編集]- Invincible ツアー(2000年2月~5月)
- UK ツアー (2000年12月)
賞
[編集]- ベスト・ポップ・アクト賞(2000年)
- MTV セレクト賞(1998年)
シルバー・クレフ・アワード
- ベスト・ニューカマー賞 (2000年)
スマッシュ・ヒット・ポール・ウィナー・パーティー
- ベスト・ニュー・アクト賞(1997年)
- ベスト・ヘア・カット賞(スコットが受賞:1997年~1998年)
- ベスト・ブリティッシュ・バンド賞(1998年~2000年)
- ベスト・アルバム賞(1998年)
- ベスト・カバー賞(1998年)
TMF アワード
- ベスト・シングル賞(2000年)
- ベスト・アルバム賞(2000年)
- ベスト・インターナショナル・グループ賞(2000年)
TV ヒット・アワード
- ベスト・ニュー・バンド賞(1999年)
- ベスト・シングル賞(2000年)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c Ankeny, Jason. Five Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2021年11月27日閲覧。
- ^ “Five: We were upset over Abz Love's sudden exit”. Bucks Free Press. Newsquest (2015年1月21日). 2021年11月27日閲覧。
- ^ “ARIA Top 50 Accreditations”. Album Accreditations for 2001. August 5, 2006閲覧。
- ^ “everyHit.com”. Chart positions. August 5, 2006閲覧。
- ^ “Billboard.com”. Artist Chart History. August 17, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。January 1, 2006閲覧。
- ^ “NZ Top 50 archives”. Chart positions. November 19, 2005閲覧。
- ^ “Swedish Charts”. Chart Peak Positions. August 27, 2006閲覧。
外部リンク
[編集]- World of Five
- 5ive my space
- 5ive USA
- Sean Conlon my space - ウェイバックマシン(2008年10月9日アーカイブ分)