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A.ランゲ&ゾーネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Lange Uhren GmbH
種類 子会社
本社所在地 ドイツの旗 ドイツ
ザクセン州グラスヒュッテ英語版
設立 1845年 (179年前) (1845)
業種 製造業
事業内容 時計の設計・製造
代表者 ヴィルヘルム・シュミット(CEO)
所有者 リシュモン
関係する人物 フェルディナンド・アドルフ・ランゲ(創業者)
外部リンク alange-soehne.com
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A.ランゲ&ゾーネA. Lange & Söhne 発音例)は、ドイツに本拠地を有する高級時計ブランドである。リシュモングループに属する。

パテック・フィリップオーデマ・ピゲヴァシュロン・コンスタンタンブレゲとともに世界五大時計ブランドの一つに数えられる。

概要

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グラスヒュッテの伝統技法に基づいた時計づくり、ドイツのマイスターの手作業による仕上げの美しさ、プラチナやゴールドモデルを中心とする等の方針で高級時計メーカーと認知されており、ムーブメントも含めた自社一貫生産体制をとるメーカー(マニュファクチュール)としても地位を確立している。また、マニュファクチュールであっても外部調達していることが多いヒゲゼンマイも、ランゲは自社製造している[1]

ドイツ語に近い表記は「ランゲ・ウント・ゼーネ」になる。Söhneはドイツ語で息子の意味で、欧米の企業名にみられる「& sons」に相当する。

代表モデルであるランゲ1は、時分針がオフセンターに配置された特徴的な時計であり黄金比が使われていることでも知られている[2]

歴史

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創業者、フェルディナント・アドルフ・ランゲ

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ドイツ・ザクセン王国のドレスデンで生まれたフェルディナント・アドルフ・ランゲFerdinand Adolph Lange 、1815年2月18日[3] - 1875年[3]12月3日、以下アドルフ・ランゲ)は1830年[3]に後に宮廷時計師となる著名な時計師、ヨハン・フリードリヒ・グートケスJohann Friedrich Gutkaes1785年-1845年8月8日)に弟子入りし、時計師としての修行を始めた[3]。1837年からフランス、スイス、イギリスなどに3年間時計製造の手法を学び、現在『旅の記録』として知られる手帳を残した[3]アドルフ・ランゲはこの修行の旅の結論として、今後の時計製造においては、精密な計測が可能な測定器具を駆使し、合理的で緻密な製造方法を採るべきであると考えた。1840年ドイツに帰国し、ドレスデンにあるグートケスの工房に戻った。

この頃、過去に銀採掘で栄えたグラスヒュッテ英語版(現ザクセン州)が資源枯渇などで貧困に苦しんでいたため、ザクセン王室は町おこしのアイデアを募り、アドルフ・ランゲは『時計製造業を中心とした町の活性化』を提案、採用された[3]。1845年に多額の融資を受けて15人の見習い工とともにドレスデンからグラスヒュッテに移住し、独立工房を開設[3]。時計製造業において初めてとなるメートル法の採用、伝達効率の高い歯数駆動機構、ホイール式旋盤の導入など高級精密時計開発の近代化を進めた[3]。やがて育った時計師がゼンマイや歯車、ケースといった部品専門工房として独立、グラスヒュッテはアドルフ・ランゲの工房を頂点とする精密時計産業地帯に変貌した[3]

息子たちの参加、全盛期と破滅

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1868年にはフェルディナント・アドルフ・ランゲの長男リヒャルト・ランゲが経営に参画し、屋号をA.ランゲ&ゾーネとした[3]1871年には次男のエミール・ランゲも経営に参画。普仏戦争が終結した1871年頃から第一次世界大戦後の恐慌に見舞われる1920年代前半頃まで最盛期を迎えた[3]。しかしインフレーションにより生産量が激減、これはグラスヒュッテ時計会社の統合企業設立により何とか乗り切ったものの、第二次世界大戦勃発により軍需工場とされ、1945年5月8日ソビエト連邦軍の空襲により工房は焼失した[3]

さらに戦後、グラスヒュッテは社会主義国東ドイツの領土になってしまったため、1948年4月20日に設備や資産を政府に接収された上でグラスヒュッテ国営時計会社に統合された[3]。創業者フェルディナント・アドルフ・ランゲから数えて4代目のウォルター・ランゲWalter Lange)は1948年に西側のプフォルツハイムに亡命した[3]

復興

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ウォルター・ランゲはプフォルツハイム[3]に時計工房を開いて1960年代にインターナショナル・ウォッチ・カンパニーと協力関係を作り、再興を意図するが、クォーツショックにて頓挫した[3]

1990年10月3日に東西ドイツが統一された際、自身も時計師としての経験を持つドイツの財閥マンネスマングループの鉄鋼部門の代表が「統一を記念してドイツ時計の最高峰を復活させよう」と傘下のインターナショナル・ウォッチ・カンパニーの社長ギュンター・ブルームラインに命じ、偶然にもマンネスマン傘下の企業に勤めていたウォルター・ランゲを探し出しブランドが再建された。1990年12月7日、A.ランゲ&ゾーネの再登記と商標登録がされた[3]

かつて存在したA.ランゲ&ゾーネを継承しているのはグラスヒュッテ・オリジナルで、現在のA.ランゲ&ゾーネの創業年は厳密には1990年であるが、元々の創業家子孫が自ら再興したという点においては歴史の継続性が高く評価されている。

1994年[3]10月24日、新たな出発となる新工房の第1号コレクション「ランゲ1[3]」「アーケード」「サクソニア」「トゥールビヨン“プール・ル・メリット”」の4ラインが発表された[4]

2000年にはその再建を支援したインターナショナル・ウォッチ・カンパニーとともにリシュモングループ傘下のブランドとなった[5]

年表

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  • 1815年 - ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・グートケスJohann Cristian Friedrich Gutkaes )がドレスデンに工房を構えた。
  • 1830年 - アドルフ・ランゲがグートケスの工房に丁稚奉公に出た[3]
  • 1837年 - アドルフ・ランゲがグートケスに認められ、パリに旅行してオーストリア出身の時計師ヨーゼフ・タドイス・ヴィナールJoseph Thaddäus Winnerl 、1799年1月25日-1866年1月27日)の下で働いた[3]
  • 1840年 - アドルフ・ランゲがグートケスの工房に戻った[3]
  • 1845年[3]12月7日 - アドルフ・ランゲはドレスデンからグラスヒュッテに移住しザクセン王国の支援を受け自分の工房A・ランゲ・ドレスデン(A. Lange Dresden )を創業した[3]
  • 1849年 - アドルフ・ランゲがグラスヒュッテ市長に推挙され、1867年まで務めた[3]
  • 1863年 - ハートカムを備えたクロノグラフ開発、ただし積算機能はない[3]
  • 1864年 - 1998年時点でもランゲの時計の大きな特色の一つである3/4スケールの地板を開発した[3]
  • 1866年 - フルカレンダーとムーンフェイズ表示機能を備える懐中時計型天文時計を発表した[3]
  • 1867年 - アドルフ・ランゲの息子フリードリヒ・エミール・ランゲFriedrich Emil Lange 、1849年-1922年)が経営に参画[3]した。
  • 1868年 - アドルフ・ランゲの息子リヒャルト・ランゲRichard Lange 、1845年12月17日-1932年10月29日)が経営に参画[3]、「A・ランゲ&ゾーネ・ドレスデン」(A. Lange & Söhne Dresden )に商号変更[3]した。
  • 1875年 - アドルフ・ランゲが死去[3]した。
  • 1882年 - 円錐滑車方式のマリンクロノメーターの製造を開始した[3]
  • 1895年 - マリンクロノメーター部門を新設した[3]
  • 1898年 - ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世より注文を受け、コンスタンチノープル公式訪問の際のオスマン帝国のスルタンアブデュルハミト2世へのプレゼントとして懐中時計を製作、この時計は現在トプカプ・サライ博物館にある[3]
  • 1908年 - パーペチュアルカレンダー、スプリットセコンドクロノグラフ、ミニッツリピーターを備えるグランドコンプリケーションウォッチを製造販売した。
  • 1924年 - ウォルター(ヴァルター)・ランゲが生まれた[3]
  • 1945年5月8日 - 空襲により工場が被害を受けた[3]
  • 1948年4月20日 - 東ドイツ政府による接収を受け、グラスヒュッテ国営時計会社に統合される。ウォルター・ランゲは西ドイツへ亡命。
  • 1990年12月7日 - 10月3日のドイツ再統一に伴いウォルター・ランゲWalter Lange )により商号登記、商標登録を行ない再興される。ギュンター・ブリュームラインドイツ語版がCEOに就任。
  • 1994年10月24日 - 復興後第一号コレクションとして、4つのモデルを発表する。
  • 2001年10月1日 - ギュンター・ブリュームラインが死去。ヴィルヘルム・シュミットがCEOとなる。
  • 2017年1月17日 - ウォルター・ランゲが死去[6]。これを受けて、ランゲ社は史上初のステンレス製の一点物「1815 “ウォルター・ランゲへのオマージュ”」を製作、翌2018年にスイスのオークションに出展する[7]
  • 2019年 - 初のステンレス製のレギュラーモデル「オデュッセウス」を発表。10年の開発期間をオデュッセウスの試練の期間になぞらえたという[8]

脚注

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  1. ^ ランゲ自社製ヒゲゼンマイ”. 2020年10月21日閲覧。
  2. ^ A.ランゲ&ゾーネ ランゲ1 黄金比が使われた美しすぎる高級時計”. 腕時計の読みもの. 2019年4月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 『ヴィンテージウォッチ2nd』pp.54-79「時計文化立国、ドイツへ」。
  4. ^ A.ランゲ&ゾーネ ランゲ1の25周年記念モデルが登場! SIHH2019”. 腕時計の読みもの. 2019年4月26日閲覧。
  5. ^ Compagnie Financière Richemont SA - History”. 2020年10月21日閲覧。
  6. ^ In Memoriam: The passing of yet another giant. Walter Lange (1924-2017), DEPLOYANT, 2017年1月18日
  7. ^ ウォルター・ランゲの功績を称えて、A.ランゲ&ゾーネ
  8. ^ A.ランゲ&ゾーネから初のステンレス スティール・ケース製オートマチック・ウォッチ「オデュッセウス」登場!、Watch media online、2019年10月24日

参考文献

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外部リンク

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