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バリー・ギブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Barry Gibbから転送)
バリー・ギブ
Barry Gibb
2017年
基本情報
出生名 バリー・アラン・クロンプトン・ギブ
Barry Alan Crompton Gibb[1][2]
別名 ジョニー・ヘイズ
生誕 (1946-09-01) 1946年9月1日(78歳)
マン島の旗 マン島ダグラス
出身地 Rised in:
イングランドの旗 イングランド
Moved to:
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル ポップロックディスコカントリー
職業 シンガーソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ギターボーカル
活動期間 1955年 - 現在
レーベル Leedon、Spin、Festival、Polydor、Philips、Lyntone、IBC、Mercury、Atco、RSO、Capitol、United Artists、Brunswick、Warner Bros.、Columbia
共同作業者 ビージーズ (1958年-2012年)
公式サイト Official website

バリー・ギブ: Barry GibbKBE1946年9月1日 - )は、マン島出身のシンガーソングライター音楽プロデューサーである。2人の弟(ロビン・ギブモーリス・ギブ)と結成したビー・ジーズのメンバーとして知られている。ビー・ジーズはオーストラリアでデビューし、イングランドに戻ってから成功した。バリーは高いピッチのファルセットを歌声で使うことで知られる。また、トップ10中5曲を同時にランクインさせた唯一のソングライターである。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第38位[3]

若年期

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バリーはマン島で父ヒュー・ギブ(1916~92)と母バーバラ(1920~2016)の下で生まれた。バリーは5人きょうだいで、1人の姉(レズリー 1945年生)と3人の弟(ロビンとモーリス 1949年生、アンディ 1958年生)がいる。彼は家族とともに1953年にマンチェスターへ移り住み、彼が12歳の時に家族とともにオーストラリアブリスベンに移った。彼ら兄弟の音楽キャリアはオーストラリアでスタートした。1967年にイングランドへ戻り、その後まもなくビージーズはスターとなった。

来歴

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彼ら3人が貢献した『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックは、4000万枚のセールスを記録した。この記録はマイケル・ジャクソンの『スリラー』に抜かれるまで、史上最も多く売り上げたレコードだった。彼らは6曲のナンバー1ヒットを記録している。グラミー賞には16回ノミネートされ、9回受賞している。

シンガーソングライターとして、ソロでも兄弟と合同でも、バリーは成功している。1978年、Billboard Hot 100のトップ10内に同時に5曲を送り込んだ。また、同年3月には、トップ5内の4曲が彼によって書かれた曲だった時期が1週間あった。1977年12月24日から1978年9月2日までの37週のうち、27週もの間彼の曲が1位を記録していた。バリーが書いた曲は1960年代、1970年代、1980年代、1990年代の何れにも1位を記録している。彼の曲はエルヴィス・プレスリージャニス・ジョプリンバーブラ・ストライサンドデスティニーズ・チャイルドセリーヌ・ディオンアル・グリーンダイアナ・ロスケニー・ロジャースディオンヌ・ワーウィックルーサー・ヴァンドロスサラ・ヴォーンワイクリフ・ジョンなど100組以上のアーティストに録音されている。

バリーはアンディ・ギブ (末弟)、ケニー・ロジャースディオンヌ・ワーウィックバーブラ・ストライサンドダイアナ・ロスのアルバムの制作も行い成功している。

ビージーズはソングライターの殿堂、そしてロックの殿堂入りを果たした[4][5][6][7][8][9]

私生活

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ジョニー・キャッシュ

ジョニー・キャッシュ が2003年に亡くなり、[10] 2年後の2005年に、ジョニーの兄はジョニーの家を売りに出した。そして2006年に、バリーと彼の妻リンダはその家を購入した (沿って$230万ドル)。[11][12] バリーはこの家を作曲の楽園にすることを目的に購入した。2007年4月10日、改修中の家が火事にあった。[13][14]

家族

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親:

  • バーバラ・ギブ (母) (1920年11月17日〜2016年8月12日)[15]
  • ヒュー・ギブ (父) (1916年1月15日〜1992年3月6日)
兄弟

ボイス

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バリー・ギブ・ボーカル・テシトゥラ、範囲は A1[19] まで C6[20]、バリー・ギブは5オクターブを歌う(A1、2、3、4、5)。[21] バリー・ギブの声のタイプはカウンターテナー[22][23][21]

政治活動

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2006年12月7日、バリー・ギブは他の4,500人のミュージシャンとともに、イギリス政府に対して50年の著作隣接権保護期間を延長するための広告を、フィナンシャル・タイムズ紙に出した。彼らはアメリカのように著作隣接権保護期間を95年まで延長できるよう提案した。これは、2006年12月6日ガウアーズ報告書が著作隣接権保護期間は現行の50年を維持する内容であることをイギリス政府が発表したことに対する反発だった[24]

近年

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バリー・ギブ・トーク・ショー

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「バリー・ギブ・トーク・ショー」は、サタデー・ナイト・ライブの中のコーナーで、皮肉な部分が人気だった。それはジミー・ファロンが、非常にあくが強いバリーに、ジャスティン・ティンバーレイクが、無口という設定になっている弟のロビンに、それぞれ扮する内容である。

2010年3月16日、バリーとロビンはテレビ番組「レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン」に出演し、彼らの50年のキャリアとロックの殿堂の授賞式、そして最近の出来事と「バリー・ギブ・トーク・ショー」について語った。

ディスコグラフィー

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アルバム

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  • 1970: The Kid's No Good (未リリース)
  • 1984: Now Voyager
  • 1988: Hawks (サウンドトラック)
  • 2006: The Eaten Alive Demos (iTunes)
  • 2006: The Guilty Demos (iTunes)
  • 2006: The Eyes That See in the Dark Demos (iTunes)
  • 2006: The Heartbreaker Demos (iTunes)[26]
  • 2016 イン・ザ・ナウ

シングル

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  • 1969: "I'll Kiss Your Memory"
  • 1978: "A Day in the Life"
  • 1981: "Guilty英語版" (duet with Barbra Streisand)
  • 1981: "What Kind of Fool" (duet with Barbra Streisand)
  • 1984: "Shine Shine"
  • 1984: "Fine Line"
  • 1988: "Childhood Days"
  • 2006: "Dr. Mann"
  • 2006: "Underworld"
  • 2007: "Drown on the River"[27]

関連項目

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脚注

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  1. ^ Barry Gibb Biography” (英語). 2020年8月19日閲覧。
  2. ^ Bio” (英語). 2020年8月19日閲覧。
  3. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  4. ^ Barry Gibb Bio”. 2010年7月17日閲覧。
  5. ^ Barry Gibb Infosite”. 2010年7月17日閲覧。
  6. ^ Barry Gibb Biography at IMDb”. 2010年7月17日閲覧。
  7. ^ The Rock and Roll Hall of Fame”. 2010年7月17日閲覧。
  8. ^ The Songwriters Hall of Fame”. 2010年7月17日閲覧。
  9. ^ Gibb Songs: 1978”. 2010年7月17日閲覧。
  10. ^ «Johnny Cash died» www.theguardian.com
  11. ^ «Property where Johnny Cash, June Carter Cash once lived sold» www.apnews.com
  12. ^ «Gibb buys Johnny Cash's house» www.usatoday.com
  13. ^ «Arde la casa que preteneció a Johnny Cash y que fue comprada por Barry Gibb, de The Bee Gees» www.lavanguardia.com
  14. ^ «Johnny Cash's Former Home Burns to Ground» web.archive.org.com
  15. ^ «Barbara Gibb, mother of the Bee Gees, dies aged 95» www.theguardian.com
  16. ^ «Andy Gibb, 30, Singer in 70's, Dies in Britain» www.nytimes.com
  17. ^ «Maurice Gibb, talented but tormented Bee Gee, dies» www.theguardian.com
  18. ^ «Robin Gibb, a Bee Gee With a Taciturn Manner, Dies at 62» www.nytimes.com
  19. ^ «Barry Gibb - Cover You 1988» www.youtube.com
  20. ^ «You Should Be Dancing (Edit)» www.youtube.com
  21. ^ a b «Barry Gibb vocals» www.allbeegees.blogspot.com
  22. ^ «Can Women Sing in Falsetto?» www.slate.com
  23. ^ «Why did the Bee Gees sing in falsetto?» www.smoothradio.com
  24. ^ Being For The Benefit Of British Musicians” (2006年12月8日). 2010年7月17日閲覧。
  25. ^ BBC News (2009年10月15日). “Bee Gees to perform on Strictly”. http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/8308513.stm 2009年10月16日閲覧。 
  26. ^ "Bee Gees Rarity Site"
  27. ^ "Gibb Songs"

外部リンク

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