CWアンダーソン
CWアンダーソン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
CWアンダーソン クリストファー・W・アンダーソン エル・チコ |
本名 | クリス・ライト |
ニックネーム |
ザ・サムゥー アメリカの高岩竜一 |
身長 | 185cm |
体重 | 111kg |
誕生日 | 1971年1月7日(53歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ノースカロライナ州ローリー |
スポーツ歴 |
野球 ソフトボール |
トレーナー | WCWパワープラント |
デビュー | 1992年 |
CWアンダーソン(C. W. Anderson)のリングネームで知られるクリス・ライト(Chris Wright、1971年1月7日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ノースカロライナ州ローリー出身。
両手でCWの文字を表現することがトレードマークである。
来歴
[編集]高校生時代、野球で活躍し1989年にサンディエゴ・パドレスからドラフト指名を受けるも入団拒否し、大学進学を選んだ。大学ではコンピューティングを専攻し、野球とソフトボールに励んだ。大学在学時に卒業後の進路を悩んでいたところ、友人達がプロレスラーを目指していることを知り、ライトもプロレスラーになることを決意した。
1992年、地元であるノースカロライナ州のインディー団体にてマスクマンギミックであるエル・チコ(El Chico)のリングネームでプロレスラーデビュー。各地のインディー団体で活動中に風貌とレスリング技術が1960年代から1970年代にかけて一世を風靡したアンダーソン兄弟に似ていたことからアンダーソン・ファミリーの一員というギミックで、リングネームを現在でも使われているCWアンダーソン(C. W. Anderson)へと変更。パット・アンダーソンとアンダーソンズ(The Andersons)なるタッグチームを結成し、活動。1996年にNWA世界タッグ王座を獲得している。また、同年にはレスリングスクール、アンダーソン・アカデミー(The Anderson Academy)を開校。
1999年、ECWと契約を交わし入団。ライトの知名度を一気に広めることになり、ECW崩壊まで第一線で活躍した。2001年1月7日、ECW最後のPPVであるGuilty as Chargedではトミー・ドリーマーと1985年にWCWのPPVであるStarrcadeで行われたマグナムTA vs タリー・ブランチャードに基づいたアイクイット・マッチを行った。結果はアンダーソンの敗戦。
ECW崩壊後は再び各地のインディー団体で活動することになるが、2002年4月に日本の団体であるプロレスリングZERO-ONE(後のZERO1)に参戦。天下一ジュニアトーナメントに出場。日本への活動はZERO1を中心に、ハッスルなどに定期参戦している。ECWで共に活動したスティーブ・コリノとタッグを組むことが多かった。
2004年、WWEに参戦。ダークマッチとVelocityでの出場が中心となっていたが、2005年にECWリユニオンショーであるPPV、One Night Stand 2005が行われたことにより、ECW復活の兆しが見えてきたことにより2006年より正式を契約交わし、クリストファー・W・アンダーソン(Christopher W. Anderson)というリングネームでWWE内で復活したECWを中心にECWオリジナルズの一員として出場機会が増えるが、大半がジョバーでの役目であった。
WWE解雇後は世界各地のインディー団体で活動。2005年にはECWリユニオンショーであるHardcore Homecomingに出場し、2010年にはTNAのECWリユニオンショーPPV、ハードコアジャスティスに参戦。2・コールド・スコーピオと対戦し、敗戦。2011年11月にインディー団体であるAWE(Awesome Wrestling Enteratinment)のPPV、Night of the Legendsにてペリー・サターンの復帰戦の相手を務めた。 2020年6月21日、自身のフェイスブックで現役引退を表明した。
得意技
[編集]- スピニング・スパインバスター
- フィニッシャー
- アンダーソン・レフト
- レフト・ノックアウトパンチ
- アンダーソン・トラディション
- シザース・アームバー
- シングルアームDDT
- スーパーキック
タイトル
[編集]- NWA世界タッグ王座 : 1回
- w / パット・アンダーソン
- ZERO1
- NWA UNヘビー級王座 : 1回
- NWAインターコンチネンタルタッグ王座 : 1回
- w / スティーブ・コリノ
その他、世界各地のインディー団体のタイトルを多数獲得。