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C-1隠岐諸島沖墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
航空自衛隊 88-1027
同型機の川崎 C-1
事故の概要
日付 2000年6月28日
概要 試験飛行中の墜落、詳細不明
現場 日本の旗 日本島根県隠岐郡隠岐諸島北北西約50km地点
乗客数 0
乗員数 5
負傷者数 0
死者数 5(全員)
生存者数 0
機種 川崎 C-1
運用者 日本の旗 航空自衛隊
機体記号 88-1027
出発地 日本の旗 米子美保基地
目的地 日本の旗 米子美保基地
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C-1隠岐諸島沖墜落事故(C-1おきしょとうおきついらくじこ)は2000年(平成12年)6月28日島根県隠岐諸島北北西沖で発生した、航空自衛隊C-1輸送機の墜落事故。乗員5名が殉職した。

概要

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美保基地第3輸送航空隊C-1輸送機(シリアルナンバー88-1027、1978年製造)が、飛行試験中に姿勢を回復できず墜落し、乗員5名が死亡した。

航空自衛隊においては、前年から死亡事故が続いており、当事故発生日に近い7月1日が「航空自衛隊安全の日」として全国で一斉に安全教育が実施されるきっかけの一つ[1]となった。

経緯

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事故発生

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美保基地第3輸送航空隊C-1輸送機は、6月26日に定期点検を終え、6月28日に飛行試験を計画した[2]。このため、輸送機には機長のA3等空佐(当時41歳)、副操縦士のB2等空尉(当時26歳)の他、機上整備員1名、整備員1名、空中輸送員1名の計5名が搭乗していた[2][3]。なお、A3佐は飛行時間6500時間超のベテランパイロットである一方、B2尉は飛行時間500時間超で6月22日に副操縦士資格を得たばかりの若手パイロット[4]だった。

試験内容として、速度を落として失速状態に近づける、エンジンを止め再起動する、飛行中にドアを開閉することが計画されていた[2]

6月28日午後2時7分頃、事故機は美保基地を離陸した。当日の気象状態は極めて良好であり、飛行は順調であった。

失速状態に近づける試験を実施中の、午後2時35分頃、交信中だった春日防空指令所(DC)が、内容を判別できない乗員の声を受信。同36分頃レーダーから消失し、墜落した。

遺体と残骸の回収

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事故発生当日に、機体の破片と救命胴衣が回収された[2]。その後、隠岐島西約45kmの海底で機体の一部とともに、7月10日までに4名[3]、11日に残りの1名の遺体が発見された。

原因解明へ

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脚注

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  1. ^ この直後、同年7月4日には松島基地の第11飛行隊のT-4(ブルーインパルス)墜落事故も発生している。
  2. ^ a b c d 2000年6月29日 朝日新聞「隠岐島近海 空自輸送機が墜落 女性副操縦士ら5人不明」
  3. ^ a b 2000年7月11日 朝日新聞「空自輸送機墜落 搭乗員4人遺体を収容」
  4. ^ かつ、航空自衛隊4人目の女性パイロットだった

関連項目

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