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パスコ (哨戒フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
EK-12 (警備艦)から転送)
パスコ
基本情報
建造所 カイザー・カーゴ社
艦歴
起工 1943年7月7日
進水 1943年8月17日
就役 1944年4月15日
除籍 1961年12月1日
その後 海上自衛隊に貸与
要目
基準排水量 1,430トン
常備排水量 2,415トン
全長 92.6m
最大幅 11.4m
吃水 4.1m
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット
乗員 170名
兵装 50口径3インチ単装緩射砲×3基
56口径40mm連装機銃×2基
70口径20mm単装機銃×9基
ヘッジホッグ対潜迫撃砲×1基
片舷用爆雷投射機(K砲)×8基
Mk.9爆雷投下軌条×2条
レーダー SA 対空捜索用×1基
SL 対水上捜索用×1基
Mk.51 射撃指揮装置×2基
ソナー QBFまたはQJA 探信儀×1基
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パスコ (USS Pasco, PF-6) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はワシントン州パスコに因む。

艦歴

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パスコは海事委任契約(船体番号1424)の下カリフォルニア州リッチモンドのカイザー・カーゴ社で1943年7月7日に起工する。1943年8月17日にマイラナ・オルソン夫人によって命名、進水し、1944年4月15日に就役した。

整調後パスコは5月25日にカリフォルニア州サンフランシスコに到着、サンフランシスコとサンディエゴ間での哨戒任務を継続した。その後10月15日コディアックアラスカン・シー・フロンティアに合流した。1945年1月にシアトルに戻り、北太平洋での護衛任務に就く。

戦後パスコはレンドリース法に基づき1945年8月16日ソ連海軍へ貸与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号が付与され、EK-12ロシア語:ЭК-12エーカー・ドヴィナーッツァチ)と命名された。1945年8月26日には、警備艦として太平洋艦隊に配備された。

1949年11月1日にアメリカ海軍に返還、予備役として保管された後、1953年1月14日に日米船舶貸与協定に基づき第1回貸与艦として警備隊(後の海上自衛隊)に貸与され、「かし (PF-3)」 として就役した。他に貸与された「くす」、「なら」、「もみ」とともに同日付で第1船隊を編成し横須賀地方隊に編入された。同年4月1日、第1船隊群(後の第1護衛隊群)が新編され第1船隊は同群に編入された。1957年9月1日、艦籍番号がPF-283に変更された。1958年4月1日、第1護衛隊(第1船隊から改称)が廃止となり、横須賀地方隊に編入。「かし」は1961年12月1日にはアメリカ海軍から除籍され、1962年8月28日には貸与から供与へと変更された。1965年3月31日に保管船(YAC-12)に区分変更され、1967年6月30日に除籍。1968年3月18日にアメリカ海軍に返還された。翌1969年韓国へ供与され部品船として使用され、最終的に艦は浮桟橋として使用された。

外部リンク

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