HARRY山科
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HARRY 山科(ハリー やましな、1952年6月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、映像制作者、Good Weather Studio 主宰者[1]。1970年代には、松山晴介、山科晴義という名義でそれぞれ1枚のアルバムをメジャー・レーベルからリリースし、また、他の歌手への楽曲提供もおこなっていた[2][3]。
経歴
[編集]東京都文京区大塚の開業医の家に生まれる[1]。高校時代に両親を相次いで亡くした[1]。
20歳だった1972年に松山晴介という名義でRCAビクターから、シングル「赤い花模様の服」[4]、アルバム『晴介』を出し、シンガーソングライターとしてメジャー・デビューした[1][2][5]。その後、1977年に山科晴義という名義で日本コロムビアからアルバム『さよなら心のララバイ』を出し[6]、以降、作詞・作曲家として、古時計、とんぼ、田中健、石野真子、グラシェラ・スサーナなどに楽曲を提供した[1][2]。
1980年代以降は、活動拠点を八王子市に移し、自宅録音や映像制作に取り組むようになった[1]。
映像作家としては、YouTubeで公開されている『皆神山の謎』シリーズで知られ、各地で映像の上映や講演もおこなっている[7]。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f “HARRY 山科 プロフィール”. Good Weather Studio. 2018年4月8日閲覧。
- ^ a b c “山科晴義・松山晴介のその昔のレコード”. Good Weather Studio. 2018年4月8日閲覧。
- ^ シングル「赤い花模様の服」のジャケットに記載されたプロフィールでは、山科晴義が本名。
- ^ B面は「夕日を見ると」。:“1973年 歌謡曲歌手デビュー盤”. record shop FUJIYAMA. 2018年4月12日閲覧。
- ^ “松山晴介”. disk union (2005年10月6日). 2018年4月9日閲覧。
- ^ “さよなら心のララバイ;山科晴義”. 国立国会図書館. 2018年4月9日閲覧。 - ただし「出版年」は便宜上「1900年」と記載されている。
- ^ “皆神山の謎”. Good Weather Studio. 2018年4月8日閲覧。