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国鉄ED18形電気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄ED18形電気機関車(2代)
ED18 2 浜松工場にて
ED18 2 浜松工場にて
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東海旅客鉄道
種車 ED18形(初代)、ED17形
改造所 日本国有鉄道浜松工場
改造年 1953年 - 1955年
改造数 3両
主要諸元
軸配置 A1A+A1A
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式
全長 12,400 mm
全幅 2,800 mm
全高 3,965 mm
機関車重量 65.86t
動輪上重量 51.60t
動力伝達方式 1段歯車減速、吊り掛け式
主電動機 MT6 (定格回転数550rpm) × 4基
主電動機出力 210 kW (電圧675V)
歯車比 19:78=1:4.33
制御方式 非重連、抵抗制御、2段組合せ制御
制御装置 複式電磁空気単位スイッチ式
制動装置 EL14A空気ブレーキ、手ブレーキ
最高運転速度 65 km/h
定格出力 840 kW (1時間定格)
定格引張力 10,000 kg
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国鉄ED18形電気機関車(こくてつED18がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)及びその前身である鉄道省が、旅客用電気機関車等の改造により製作した直流電気機関車である。

ED18形には、その性格により下記の2種が存在する。本項においては、それぞれED18形 (初代)ED18形 (2代)と呼称することとし、双方について記述するものとする。

  1. 初代:鉄道省が1931年(昭和6年)から1935年(昭和10年)にかけて、ED52形4両を勾配線区の中央本線新宿 - 甲府間)で使用する車両として、歯車比を増大する改造を施工して改番したもの(ED18 3 - 6)。
  2. 2代:国鉄が1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)にかけて、ED18形(初代)1両及びED17形2両を線路規格の低い飯田線飯田 - 辰野間)で使用する車両として、軸重軽減改造を施工し改番したもの(ED18 1 - 3)。

いずれも1925年(大正14年)の東海道本線東京 - 国府津電化に際して、イギリスイングリッシュ・エレクトリック社(English Electric & Co.,/英国電気)で製造され、輸入されたものを種車としており、ED17形やEF50形と同じく「デッカー」の一党である。

ED18形(初代)

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ED18形(初代)形式図

ED18形(初代)は、前述のように東海道線電化に際してイギリスから輸入されたED52形を、中央本線用として、1931年から1935年にかけて、歯車比の増大(2.56→4.33)改造を大宮工場(現在の大宮総合車両センター)において実施し、改番したものである。ED52形全6両のうち、3 - 6が改造の対象となり、改造後も元の車番を踏襲してED18 3 - 6となった。

ED50形とED52形は、この改造によって基本的に同形・同性能になったが、内部機器の配置が異なることから、ED17形と本形式に別れた。

1号機、2号機については、将来の改造に備えて欠番のままとされた。しかし、種車として想定されたED521, 2は、1943年(昭和18年)に同様の改造を受けたものの、ED18形にはならず、直接ED17形(22, 23)に改番されてしまった。

太平洋戦争後の1950年(昭和25年)、ED18 4 - 6の3両は、電気機器を国産のものに交換する装備改造を受け、ED17形(19 - 21)に編入された。残ったED18 3は、1953年(昭和28年)にED18形(2代)に改造された。

ED18形(2代)

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ED18形(2代)は、線路規格の低い飯田線北部地区で使用するため、軸重軽減改造をED18形(初代)及びED17形(旧ED50形)に対し、浜松工場において施工したものである。具体的には、戦前に製作されたDD10形電気式ディーゼル機関車が履いた台車の設計を基本とする、動軸間に軸重のみを負担する走軸を1軸追加した台車(HT62形。軸配置:A1A)を新製して、従来の台車と交換するという大掛かりなものである。

1953年に、ED18 3を種車として改造が行なわれたが、形式番号とも改められなかった。翌1954年(昭和29年)には、ED17 17を種車としてED18 1が、1955年にはED17 16を種車としてED18 2が改造落成し、所期のとおり中部天竜機関支区に配置され、飯田線でED19形とともに貨物列車牽引用に使用された。

1975年(昭和50年)に3号機が、1976年(昭和51年)に1, 2号機が貨物営業から撤退、1号機と3号機が廃車された。2号機は浜松工場入換機に転用され、ED11 2を置き換えた。同機の車籍は1979年(昭和54年)に抹消され、一旦は形式消滅となった。ED62 14が入換機に転用された後は同工場で静態保存されていたが、1991年(平成3年)に佐久間レールパークに移された[1]

1992年(平成4年)、EF58形とともにトロッコファミリー号の牽引機に抜擢され、走行可能な状態に整備され営業復帰を果たした[1]が、2005年(平成17年)に故障により再び引退し、浜松工場に戻った。2009年(平成21年)3月31日付で除籍され、2011年(平成23年)3月からは、リニア・鉄道館で展示されている。

脚注

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  1. ^ a b “JR東海のED18形 大正生まれ13年ぶり現役復帰”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1992年4月22日) 

外部リンク

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関連項目

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  1. ^ 地球環境保全への貢献”. 東海旅客鉄道. 2023年11月29日閲覧。