PHスタジオ
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PHスタジオ(ピーエイチすたじお)は、都市に棲むことをテーマ[1]に、美術と建築を横断する活動を展開している美術家・写真家・建築家からなるユニットである。
概要
[編集]1984年、川俣正の初期のプロジェクトのアシスタントメンバーが独立し、結成される。同年、個展「家具φ展」(ヒルサイドギャラリー:東京)[2]でデビュー。作品の範囲は、家具製作や住宅設計、ランドスケープ、アート・プロジェクトなど多岐にわたる。メンバーは、池田修、中川達彦、細淵太麻紀、小杉浩久[3]。
主な作品・プロジェクト
[編集]- 1985年 ダンボール合戦 in 原宿(東京)、カンナシピモシリ(神奈川)
- 1986年 ネガアーキテクチャープロジェクトNO.1(東京)
- 1987年 ネガアーキテクチャープロジェクトNO.2(横浜)
- 1992年 ホームレスハウスプロジェクト(世田谷美術館)
- 1994年 連結送水管カバー(ファーレ立川)[4]、「えびす」-猫の抜け道(オオタファインアーツ:東京)
- 1994+1996年 船をつくる話~灰塚アースワークプロジェクト(広島)[5]
- 1995年 ゆう・もあ・あーと大宮 風の通り道展(大宮)
- 1996年 オン・キャンプ/オフ・キャンプ(東京ビッグサイト)
- 1997年 北九州ビエンナーレ(北九州市立美術館)、「えびす市場」-猫の抜け道(オオタファインアーツ+恵比寿市場:東京)
- 2000年 河岸段丘 - ノジュール 越後妻有アートトリエンナーレ(新潟)
- 2002年 森のレストラン「ファーブル」(神戸市立自然の家)
関連文献
[編集]- 『PH STUDIO 1984-2002』 現代企画室、2003年 ISBN 9784773803051
脚注
[編集]- ^ 都市に棲むことについて、「私たちの解法は、多分建築でも美術でもなく棲むことなんだと思う。都市に棲む動物として、自分たちの環境の生成についてより積極的に考えていきたいという意味だ。(中略)社会における動物としての空間の奪取の方法についても身につけていきたい。そして住まされるのではなく、より積極的に都市に棲んでいくこと、場所を見つけていくことが私たちのこれからも続いていくテーマだ」(PH STUDIO「都市に棲み続けること」『新建築住宅特集』1999年8月号)と語っている。
- ^ 最初に家具のプロジェクトを実施したことについては、メンバーに建築の者と美術の者がいて、その境界線として家具があった、と述べている。(「PH STUDIOインタビュー」『PH STUDIO 1984-2002』)
- ^ 池田は1984年当初から、中川は1986年から、小杉は1992年から、細淵は1996年からの参加である。これまでに、永岡るみ、松坂有司、中村啓二、斉藤利行、森田彗、渡辺守彦、三好範明、斉藤宏司、黒田薫、秋山伸、神保神一、青谷京子、春日部幹、山本満晴などが関わっている。(『PH STUDIO 1984-2002』)
- ^ 以下に詳しい。 「その26:ファーレイーストビル東側-地鎮のための消防装置」『TOKYO TAMA CITY:多摩へようこそ[ファーレ立川]』。
- ^ このプロジェクトはその後も継続され、2006年3月、地元神楽団による司祭と完成のパーティが行われた。以下に詳しい。「『船をつくる話』プロジェクト」『船、山にのぼる』。