S・E・ジャラ
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セイドゥ・エリマヌ・ジャラ | |
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第4代、第6代 コートジボワール首相 | |
任期 2000年5月18日 – 2000年10月18日 | |
前任者 | ダニエル・カブラン・ダンカン |
後任者 | パスカル・アフィ・ヌゲッサン |
任期 2003年2月10日 – 2005年12月7日 | |
前任者 | パスカル・アフィ・ヌゲッサン |
後任者 | シャルル・コナン・バニー |
個人情報 | |
生誕 | 1933年11月23日 フランス領西アフリカ カティオラ |
死没 | 2020年7月19日 (86歳没) コートジボワール アビジャン |
専業 | 外交官 |
S・E・ジャラ (S. E. Diarra) として知られた[1]、セイドゥ・エリマヌ・ジャラ(Seydou Elimane Diarra、1933年11月23日 - 2020年7月19日)は、2000年と2003年から2005年にかけての2回、コートジボワールの首相を務めたコートジボワールの政治家。
経歴
[編集]ジャラは、1933年11月23日にカティオラに生まれた[2]。政府の一員となる前には、欧州経済共同体やブラジルへ大使として派遣され、また、コートジボワール商工会議所の会頭も務めた。1999年12月の軍事クーデターの後、彼は2000年1月4日に、政権移行のための大統領であったロベール・ゲイから、計画、開発、政府協力を担当する国務大臣に任じられた[2]。次いで彼は、2000年5月から10月にかけて、首相となった。
2003年2月、彼は再び首相に任命された[1]。これは2002年から2003年にかけての第1次コートジボワール内戦を終結させるための取り組みの一環であり、彼が広く中立的な人物と目されていたためであったが、ローラン・バグボ大統領の支持者たちは、2004年に反乱軍の武装解除に失敗して政権が打撃を受けたにもかかわらず、ジャラが反乱軍に対して強硬な姿勢を取らなかったことを非難した。
2005年12月5日、アフリカ連合の仲介者たちは声明を出し、12月7日をもってシャルル・コナン・バニーがジャラに代って首相となることを発表した。
死
[編集]ジャラは、2020年7月19日に、アビジャンにおいて、86歳で死去した[3][4]。
脚注
[編集]- ^ a b 佐藤章「7 内戦期コートディヴォワール政治史年表(資料)」『政治変動下の発展途上国の政党』(PDF)アジア経済研究所、287頁 。2021年3月21日閲覧。「2003.02 大統領が、S・E・ジャラ(Seydou Elimane Diarra)元首相・元国民和解フォーラム議長を「合意に基づく首相」に任命。」
- ^ a b "Le gouvernement de transition de Côte d'Ivoire formé le 4 janvier 2000" Archived 25 August 2007 at the Wayback Machine., Afrique Express .
- ^ https://news.abidjan.net/h/676655.html
- ^ L’ancien premier ministre ivoirien, Seydou Diarra, est mort
外部リンク
[編集]先代 ダニエル・カブラン・ダンカン |
コートジボワールの首相 2000 |
次代 パスカル・アフィ・ヌゲッサン |
先代 パスカル・アフィ・ヌゲッサン |
コートジボワールの首相 2003–2005 |
次代 シャルル・コナン・バニー |