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Template‐ノート:メインページ/ようこそ

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『ウィキペディアは誰でも編集できるフリー百科事典です。』となっていますが、これは明らかな間違いで、『ウィキペディアは各種方針に従うのなら誰でも編集できるフリー百科事典です。』が正しいはずです。メインページに嘘を書かないでいただきたいです。--Vigorous actionTalk/History2013年3月16日 (土) 11:18 (UTC)[返信]

こんばんは、いつも大変お世話になっております。この文面は先の改訂の際に提出して採用していただいたものになります。この文面は嘘だというご指摘について、英語版・フランス語版・中国語版なども同様の文意を掲げていますのでこれはうそではなく同様に日本語版もWikipediaの一員として問題がないと考えています。世のどのようなサイトにも利用規約やこれに類する存在があり、これを冒頭に掲げるか別の場所に容量を割いてに記載し説明するかについて種類のあるところですが、おおよそ後部ないし別ページに詳細な説明がされているのではないかと思います。--Degueulasse会話2013年3月16日 (土) 17:11 (UTC)[返信]
wikipediaはメタによると、「wikipeia is a project dedicated to the building of free encyclopedias in all languages of the world.」となっています。これは財団のプロジェクトの根幹から考えれば「世界のすべての言語で無料(閲覧及び再利用などが無料である)百科事典の構築」との意ですが、自由な百科事典と訳しえしまえばなんでも自由に行える百科事典と言う意味に取られます。中国語版も同様とおっしゃっておられますが、中国語版には、「准确和中立的百科全书。」という一文が有り、正確で中立的な百科事典の編纂という制限がかかっていることは少なくとも明記されていますからこれにより一定の制限があることは理解できるでしょう。
よく「Wikipediaの編集は自由にできる」と言われる方が居ますが、この場合の自由は意味的にはfreeではなくliberty的なものであることは方針等を読めば理解できるかと思います。
私がwikipediaに参加した以降の短い期間でも「誰でも編集できる、フリーな」と言っておきながら書き込みを削除や除去(やブロック)をされたなどという話があります。このことからフリーなと書いた場合なんでもできると理解する人が一定数(私の感覚ではかなり多く)おられるようです。こういった人の多くはリンク先など見てません。彼らの理論では、「フリー(自由)なのだからリンク先を見る必要がない。そもそも必要なことなら読むようにわかりやすく誘導しろ。」といったものなのでしょう。特に[[Wikipedia:ウィキペディアへようこそ|誰でも編集できる]]といったパイプの裏技ものなどの場合はリンク先がわかりにくいことからそういうことになることもあると思います。『ウィキペディアは[[Wikipedia:ウィキペディアへようこそ|誰でも編集できる]][[オープンコンテント|フリー]][[百科事典]]です。』と例えば『ウィキペディアは[[Wikipedia:方針とガイドラインの一覧|簡単な各種方針など]]を守る限り[[Wikipedia:ウィキペディアへようこそ|誰でも編集できる]][[オープンコンテント|フリー]][[百科事典]]です。』や、『ウィキペディアは[[Wikipedia:ウィキペディアへようこそ|誰でも編集できる]][[オープンコンテント|無料]]の[[百科事典]]です。参加や再利用にあたっては、[[mwf:Terms of Use/ja|利用規約]]や[[Wikipedia:方針とガイドラインの一覧|簡単な各種方針など]]をご覧下さい。』などですと情報量が全く異なると思いますがいかがでしょう。
さてwikipedia(Wikimedia)では新規の有意な編集者が増えることはとても歓迎すべきことです。さはさりながら今後有意な編集者になるかもしれない人が、方針などの説明がなく自由に使えると思って投稿したものが削除された場合など「嫌気」がさして投稿を止められることもあります(場合によってはブロックされたり、LTA化したりすることもあります)。そのほうがwikipediaにとっての損失は大きいし双方が不幸なのではないでしょうか?wikipediaにとっては有意な新規参入者は増え、且つ定着することが必要だと思います。
昨年ウィキマニアで行われた内容ですが、定年退職者など(一定の専門知識を持ち)時間に余裕のある方をwikipediaに呼び込もうということを行っているヨーロッパのグループがありました(wikimania2012のエントリーページ)。私は最初の方で別のカンファレンスに参加するため外れてしまいましたので最後まで参加できなかったのですが、日本語版からの参加者でその討論に最後まで参加された方もおられたかと思います(詳しい内容は、その討議参加者にお聞きください)。私がその討論の開催前に考ていたことですが、パソコン(当時はマイコン)と呼ばれるものが日本で発売されて30年強(現在のゲーム専用機よりも能力は低い)。メインフレーム以外のコンピュータがオフィスに導入され出したのも20年ほど前だと思いますし、一人一台なんて達成している企業があっても最近のことと言わざるを得ないと考えます。ですので未だにPCが使えない人やネット初心者というのも一定数おられる。さらに定年退職者などの高齢者の人はプライドからか人に教えを請うことが苦手な方などもおられるでしょうし、その指摘者が若年者ならなおさらだと思います。それらの方をいかにして継続参加してもらうかの方法が私は必要だと思います。これらの方が、当該templateの内容を見て気軽に参加した場合でも新規参加者を苛めないでくださいというガイドラインがあろうとも、削除依頼などでは実質的な袋叩きと思しき投票が行われています。
『世のどのようなサイトにも利用規約やこれに類する存在があり、これを冒頭に掲げるか別の場所に容量を割いてに記載し説明するかについて種類のあるところですが、おおよそ後部ないし別ページに詳細な説明がされているのではないかと思います。--Degueulasse(会話) 2013年3月16日 (土) 17:11 (UTC)』確かにその通りなのですが、それらを全部読んで投稿する利用者ばかりならばサイト運営者などが行うサイト管理の負担はほとんどなくなるのでしょうね。しかし実際はどうでしょう?私が管理者をしていたほんの少しの期間(2010年5月-2012年11月)でも、私が行った公開されている権限行使だけでも6015件の削除・17345件のブロックを実行しています。これらの全てだとはけっして言いませんが、最初からきちんと説明されており理解しておられたら権限を行使せずに済んだ案件であろうというのが一定数あることは事実です(中にはLTAとして分類されているものも存在します)。イケイケで権限行使を行なっていたと思われているだろう私でさえ、(短期・無期限にかかわらず)方針に従い苦渋の決断でブロックボタンを押したということも少なくはないのです。
私達編集者はサイト運営者から各種方針に従う限りこのサイトの編集等を行う事を許可されているに過ぎないのです。その事は簡素に明示し、詳細についてはリンクを付けておくほうが私は編集者の定着に意味があると考えますし、例えば無出展の記事なども作成されず質の向上も期待できると思いますがいかがでしょう?--Vigorous actionTalk/History2013年3月17日 (日) 00:54 (UTC)[返信]
ご丁寧なご説明痛み入ります。中国語版の記述を確認いたしましたところ位置的に最上部ではない様に伺えます。私にはご趣旨がメインページ/ようこそテンプレートに記載されている内容でなく、メインページにVigorous actionさんのお考えになる記載があるかどうかの観点に感じました。テンプレートのノートページでは目立ちにくいこともありますので、メインページのノートでお話しいただけますと話が進展しやすいのではないかと思います。ご意見をいただきましたことを伝えますので、恐縮ですがお話をいただけますと幸甚に存じます。--Degueulasse会話2013年3月17日 (日) 02:45 (UTC)[返信]
いえ、メインページに記述があるかではなく、メインページの最上段に表示されるテンプレートそのものの記述の内容が問題だと考えているので、当該ノートが適切ではないでしょうか?--Vigorous actionTalk/History2013年3月17日 (日) 03:10 (UTC)[返信]
英語版・フランス語版・中国語版の同位置に同様の記載があるようには見受けられませんでした。テンプレートの話に限定せずメタや管理権限の話も含めていただいており、知識不足で話し相手が務まらないと思いました。それらの内容について全く考えないこともないのですが、同じレベルで興味を持って会話を成立させられません。ただこの短いお話をいただく中で分かったことはふさわしい場所はここではなく、内容がひとかたの深刻なご憂慮によるものだと受け止めておりますので、メインページで進めていただきますと有意義なのではないかと思った次第です。申し訳ありませんが何とぞご容赦のほどよろしくお願い申し上げます。。--Degueulasse会話) 2013年3月17日 (日) 03:20 (UTC)(インデント修正--Vigorous actionTalk/History2013年3月18日 (月) 12:32 (UTC)[返信]
さて英語版・フランス語版・中国語版の同位置に同様の記載があるようには見受けられませんでした。(後略)--Degueulasse会話) 2013年3月17日 (日) 03:20 (UTC)ですが、どうして多言語版にこだわるのでしょう?たとえば、wikipediaとはを説明するのに財団サイトメタといったwikimediaの根幹についての場所からの引用・参照などは必要になることもありえますが、wikipedia日本語版は英語版・フランス語版・中国語版の下位プロジェクトではないのです。その言語版ごとにこれまでの実績などをふまえて方針や運用が変わることもあります。例えばWP:SOCKですが英語版で改訂しないといけないようなある事案がありました。そこで多重アカウントの方針が改定されました。日本語版でも英語版であったことと同様な行為がありそれを踏まえて改正提案がなされました。ドイツ語版やフランス語版の運用とは異なることになります。それを持って方針や運用が違うのがおかしいということにはならないでしょう。また言語版によってというより、単一言語をほぼ一つの国だけで用いているような場合(日本語のような場合)と、言語が複数の国や地域で使用されている場合(英語・フランス語・中国語など)とではかなり異なった運用になることもありえるでしょう。例えば英語版の場合、英語を母国語とする利用者と英語を解する利用者が投稿します。この人口はかなり多くまた世界各地に分散するでしょう。こういった場合投稿者の地域性や国民性といったものは薄れます。しかし日本語のように母国語とする利用者以外で日本語を解する利用者がそれほど多くはない場合には、日本人の国民性だとかが端的にでで来るでしょう。こういった場合はそれに合わせた運用とか説明が必要なのではないでしょうか?国民性に寄らなくてもそういた投稿が多いと考えればそれに寄った案内を行うことは自然でしょうし、多言語版がどうであれ実施すべきものだと思いますがいかがですか?--Vigorous actionTalk/History2013年3月18日 (月) 12:32 (UTC)[返信]
  • コメント 井戸端から来ました。Vigorous action様の御意見に賛同します。私はメインページは通常見ないので気づきませんでしたが、ここにこんなにでっかく「誰でも編集できるフリー」と誤解を招くような文言があるから、目的外利用者の宣伝、著作権違反の丸パク、ガキ(精神的にという意味)が投稿する同級生の名誉毀損記事などが作られる一因になっているのかもしれません。改正すべきでしょう。Wikipedia:井戸端/subj/ページ新規作成の利用者条件追加についてでの案は言わば締め付けなので、それよりは注意勧告を予めしておく方が遥かに良いでしょう。--JapaneseA会話2013年3月18日 (月) 13:08 (UTC)[返信]
メタの話をする場合にそれと近接な関係にある英語版メインページの現状に着目しない点はおかしいでしょう。一文があると引き合いにお出しになられた中国語版もその一文は先頭の位置にないです。メインページ関連の変更はノート:メインページで行われていることは過去ログからも明らかです。何かのご主張を行いたい場合は広く周知を行って合意形成を行ってください。--Degueulasse会話2013年3月18日 (月) 13:17 (UTC)[返信]
メタと英語版が近接な関係であるという根拠は?wikipediaの各言語版は各々独立した対等なプロジェクトです。--Vigorous actionTalk/History2013年3月18日 (月) 14:17 (UTC)[返信]
この議論について、Wikipedia:お知らせに記載しておきました。 --JungleCrow会話2013年3月18日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
コメント英語版のメインページを確認しました。冒頭にWelcome to Wikipedia, the free encyclopedia that anyone can edit.というほぼ同趣旨のことが書いてありますね。これは要するにウィキペディアとは何かというのを手短に説明した惹句なのであって、表現の問題であって、嘘などと責めるようなことではないでしょう。それで、実際には「誰でも編集できる」の部分はWikipedia:ウィキペディアへようこそへ内部リンクしてあってそこでルールの説明がされてますし、実際に投稿する段になると著作権や検証可能性に関する警告メッセージが表示されるので、このメインページだけのせいで、ウィキペディアは丸パク、宣伝もありなどと勘違いする人がいるとは思えません。そこまでおっちょこちょいの人は、メインページ冒頭に各種方針に従うのならと書いてあったところで、丸パク、宣伝してしまうでしょう。
それで、惹句の表現として検討してみますと、『ウィキペディアは各種方針に従うのなら誰でも編集できるフリー百科事典です』は、私がウィキペディアのことを知らないとしたら「各種方針って何なのよ?」と悩むと思いますし、『ウィキペディアは誰でも編集できるフリー百科事典です』と比べてかなりださいです。--Bugandhoney会話2013年3月18日 (月) 13:35 (UTC)[返信]
ダサかろうが、そういった案件が過去から一定数見受けられるようであればそういった案内を行うのは道理ではないでしょうか?パイプの裏技で、Wikipedia:ウィキペディアへようこそへリンクしていることが明確ではないのですが、そのページを見ないといけないと理解できますか?なお、Wikipedia:ウィキペディアへようこそへのアクセス数は新規投稿者数に比べて決して多いことはないと言えると思います[1]このデータをどう見ますか?--Vigorous actionTalk/History2013年3月18日 (月) 14:17 (UTC)[返信]
えーと、そういうことを言うと、「各種方針に従うのなら」と付け加えたところで、実際にはその「各種方針」に目を通してもらわなければいけないわけですよね。それで、「各種方針」をクリックする確率と「誰でも編集できる」をクリックする確率はあまり変わらなさそうかなと思います。私にはこの文言変更の効果があやふやないし限定的に見えるので、そういう場合はやっぱり見た目を重視しますね。
ウィキペディアには各種方針があるということにできるだけ気付いてほしいということであれば、投稿時に毎回表示される警告を工夫するのがよいかなと思います。必ず見ますので。--Bugandhoney会話2013年3月18日 (月) 15:14 (UTC)[返信]
メインページの一番頭にある言葉ですので、カッコ悪いから嫌だという理由はじゅうぶん成り立つとは思います。どんな自由にも制約や秩序はありますし、元の言葉に必ずしも誤りがあるわけではありません。「各種方針に従うのなら」という上から目線の言葉の追加には反対寄りです。 --JungleCrow会話2013年3月18日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
  • コメント 現状でもいいですし、『ウィキペディアは各種方針に従うのなら誰でも編集できるフリー百科事典です。』という文章でもいいです。自論は『ウィキペディアはみんなで編集するフリー百科事典です』ですが。--べあぱーく(Bearpark)会話2013年3月18日 (月) 15:18 (UTC)[返信]
コメント単純に国語の問題で、「誰でも」というのは「何をしようが構わない」という意味ではありませんよ。たとえば専門家でなくても、何かの資格や免許を有していなくても、一般人でも編集に参加できますよ、という意味での「誰でも」ですよ。それは間違いや嘘という話ではありません。そんなところをあげつらってみても何も益にならないように思いますが。--Horlicks会話2013年3月18日 (月) 16:05 (UTC)[返信]
コメント私は「文言が紛らわしい」と思います。ここで発言をされている方のレベルと、ネットの平均レベルは全く違います。「フリー」と「誰でも」の組み合わせで自分の都合の良い方に解釈する人は少なからずいるはずです。ダサクなく、制約だと感じさせないような文言にすれば良いと思います。良い案が思い浮かびませんが、例えばBearpark様の「みんなで」という言葉には協調性を暗に感じさせます(みんなでする事=勝手にしてはいけない事)。素晴らしいと思います。--JapaneseA会話2013年3月18日 (月) 16:48 (UTC)[返信]
コメント 「各種方針に従うのなら」という文言はメインページに書くには硬い気がします。ブロックの際の文言「基本的な決まりを守れば」という感じがいいですね。--Blue31-Eleven会話2013年3月18日 (月) 22:54 (UTC)[返信]
コメント「基本方針に同意」はまだメインページが保護されておらずそれこそ誰でも編集できた2004年ごろの文章がなんとなくそのままになっていただけで、これでなくてはならないというものでもないでしょう。基本方針を守ることを強調する必要があるなら、冒頭ではなく「インフォーメーション」のところに書けばよいと思います。ところでBearparkさんの『ウィキペディアはみんなで編集するフリー百科事典です』っていいですね。--miya会話2013年3月18日 (月) 23:05 (UTC)[返信]
コメント 日本語に訳出する際にはある程度のゆれはあるでしょうが“anyone can edit”という文言はウィキペディアの根源にかかわる部分なので、これを改変することには慎重になる必要があるでしょう。「各種方針に従うのなら誰でも編集できる」というのは裏を返せば「○○しないなら編集できない」というネガティブな文言と同義になります。極端な解釈をすれば「数多く存在する規定の中に一つでも受け入れられないものがあれば参加を許されない」というWP:NOTBUREAUCRACYとは全く相反する内容を冒頭に掲げてしまうことになります。もちろん「私達編集者はサイト運営者から各種方針に従う限りこのサイトの編集等を行う事を許可されているに過ぎない」というのは否定のしようのない事実ですが、やはり「参加に制限がかけられている」というのを明示してしまうのはウィキペディアの本来の理念に反している気がしますし、何よりダサいです。メインページに掲げられた文面は、ある種の象徴的メッセージなのですから、余計な文面を付けるのは興ざめしてしまいます。タテマエを掲げる上で、ホンネを敢えて明示するのはナンセンスです。例えば「日本臣民ハ自由ヲ有ス ※法律ノ範圍内ニ於テ」「努力する人は美しい ※ただしイケメンに限る」などの文章において、実際は※以下が重要だったりするのですが、理想を掲げる上では余計な一言だとは思いませんか。個人的にはむしろWP:IGNOREを全面に押し出すくらいの気概が必要とさえ考えています。もちろん「悪意の利用者」は除きますけどね。ちなみに「最初からきちんと説明されており理解しておられたら権限を行使せずに済んだ案件であろうというのが一定数ある」という点は大いに同感です。これに関してはメインページのメッセージがどうこうというより、編集ボタンを押したときの注意喚起に問題があるように感じます。IPユーザや新参者が編集する際には、まずデカデカと「プライバシーを侵害している可能性が絶対にないか」という画面を表示してOKボタンを押させたら、次にデカデカと「著作権を侵害している可能性が絶対にないか」という画面を表示してOKボタンを押させ、次にデカデカと「検証可能性を有する出典を明示していない文章は除去されることがある」という画面を表示して、同意ボタンを押させ、次にデカデカと「特筆性を………ってなかんじで四重にでも五重にでも確認画面を表示させるくらいシステム面を強化すれば、かなりの程度、新参者による悲喜劇は防げるんじゃないかなあと思います。ところで『ウィキペディアはみんなで編集するフリー百科事典です』っていいですね。どうせだったら『ウィキペディアはみんなで創る百科事典です』くらいまとめちゃってもいいかもしれないです。--Damena会話2013年3月19日 (火) 04:22 (UTC)[返信]
コメント Vigorous actionさんの言わんとするところは分かります。まあ「嘘」と言うよりは「言葉が足りないため誤解を招きかねない」という趣旨と受け止めていますが。で、文言としては、「各種方針に従うのなら」には消極的です。そもそも規則主義ではありませんし、何より固い。ただ、野放図に一切の規制なく勝手気儘に書いてよいところではない旨の何らかの言及を付け加えることには賛成です。自分でも自信はありませんが「みんなで定めた決まりを守って」とか「一部のしてはいけないことを除いて」とか、要は「方針」がコミュニティの議論で変わりうること、臨機応変の対応があること等が推察できて、のちのち「ああ、そういう意味だったのか」と分かるような、いい文言であればよいのですが。--ろう(Law soma) 2013年3月19日 (火) 04:26 (UTC)[返信]
コメント 『ウィキペディアは誰でも編集できるフリー百科事典です。』という文章は、「ウィキペディアが百科事典である」ことと、「ウィキペディアは誰でも編集できる」ことを述べている、という点は異論がないでしょう。「百科事典である」以上は当然それなりの制約やスタイルなどがあり、利用者は本来、百科事典として何を書くべきでなにを書くべきでないか常識に基づいて判断することが求められているし、それを読み取ることが期待されていると思います。また、好き勝手に編集できるわけではないということは、「誰でも編集できる」ことからもいえます。共同作業において自分の編集を尊重してもらうということは、他者の編集を尊重しなければ成り立たないことで、自由がわがままの意味でないのと同様です。以上から、この文章がなんでも好き勝手なことを書けることを意味しないことは、多少の注意深さのある利用者には自明といってよく、「明らかな間違い」とか「嘘」というのは当たりません。
それで、トップの文章にどういったことが書かれるべきかについては、どのくらい性善説(楽観的)に立つか性悪説(悲観的)に立つかで変わってくるところで、管理者でブロック対処などが多いと、どうしても後者に傾きがちだろうとはお察しします。しかし、このプロジェクトの原点であると同時に成功した理由は、むしろ前者の立場に立ったことにあると思いますから、不信が募るようなことがあったとしても、絶えずそこへ立ち戻る努力をしてほしい。事前に各種規約などを最後まで読まされて「同意」ボタンを押さないと参加できないみたいなことにはしてほしくないなあ、と思っています。とはいえ、このところの井戸端などの議論を見ると、そういうことも現実味を帯びてきつつあるような気がします。
書き換え案としては、Damenaさんの『ウィキペディアはみんなで創る百科事典です』はいい感じです。Bearparkさんの『ウィキペディアはみんなで編集するフリー百科事典です』でも反対しませんが、「フリー」という言葉が「好き勝手に編集できる」につながるおそれが高いのなら、「利用自由な」や「フリーコンテンツの」などの言い換えを検討した方がいいのかもしれません。--みっち会話2013年3月19日 (火) 11:05 (UTC)[返信]
コメント 皆様に貴重なご意見をいただきましてありがとうございます。私には一つ疑問があります、論を述べる機会はつい最近まで3ヶ月間場を設けてあったのではないでしょうか?2度の投票も相当の人数が参加し、その後大きな改訂を行ってまだひと月余りです、ここで個々が何かを言い出せばまとまらないのも必定で、また時間と労力を掛けて行った極めて大きな合意をすぐに少数で変えてしまうことで、将来にある大きな変更やコミュニティの合意形成への信頼度にも禍根を残すのではないでしょうか。私は前の合意形成に対する説得力がないと思います。この議論に時間を割いていただく前に考えてみていただきたいのです。その上で、何かを変えるというのであれば、ご提案にあったインフォメーション部分に説明文を追加するということでしたら、説得力・内容・場所的な観点から大きな違和感は起きないと思います。冒頭にみんなでというのは、ウィキペディアに使われる文面として私には子供を扱う意味にも感じるため推せません。--Degueulasse会話2013年3月19日 (火) 11:27 (UTC)[返信]
コメント キャッチコピーというのはシンプルであるべきで、ご提案の「各種方針に従う」というのは、ダサいというよりも少々野暮ったいです。ご提案の文言については、キャッチコピーに続く各方針文章に委ねるとして、依頼者ご指摘のように「誰でも編集できる」が誤解を招き易いということであれば、「みんなで編集する」に置き換えることで回避できるのではないでしょうか? 「誰でも編集」だと「何やってもいいんだ」と考える人がいるかもしれません。「みんなで」となれば、勝手の出来ない共同作業の場であるという意識が高まり、方針文章へ誘導しやすくなると思います。 --Triglav会話2013年3月19日 (火) 11:32 (UTC)[返信]
コメント Degueulasseさんの論を述べる機会はつい最近まで3ヶ月間場を設けてあったのではないでしょうか?というご意見、確かにおっしゃる通りだと思いました。この部分はWikipedia:メインページの改訂/2012で選ばれたデザイン案の中で(下の方のポータルやインフォーメーションの部分とは異なり)一番目立つ部分であり、Wikipedia:メインページの改訂/2012/決定後の検討・調整でも全く異論が出ていなかったのですから。--miya会話2013年3月19日 (火) 12:30 (UTC)[返信]
コメント みっちさんとDegueulasseさんの意見に同意します。「みんなで」は幼いイメージですね。もうちょっと格式があったほうがいいです。代わりの言葉としては「共同して」でしょうけど、うまい文案が浮かびませんでした。まとまらなさそうというのはその通りかと思いますし、その場合は今のままということになるでしょうけど、話し合いを続けるのは別に妨げる必然性はないわけですし、それでよい文案が出てくるというのであれば、メインページ改訂と同じ手続き・期間をかけて改訂すればいいだけかなとも思います。--Bugandhoney会話2013年3月19日 (火) 13:18 (UTC)[返信]

(インデント戻し)[2]こんな投稿があったことをお知らせします。--Vigorous actionTalk/History2013年6月27日 (木) 13:57 (UTC)[返信]