Template‐ノート:See also

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記事名の直後に空白を入れるべき場合[編集]

Wikipedia‐ノート:Template メッセージの一覧#記事名の直後に空白を入れるべき場合にて議論しています。現時点では、文中の記事名を鉤括弧でくくるという案を、このテンプレートにも適用しようと考えています。ご意見をお待ちしています。--三畔 2009年5月31日 (日) 21:33 (JST)

バグの発生について[編集]

2010年5月31日 (月) (UTC)の編集によって、節へのリンク

{{See also|成田駅#歴史}}

が、本来の

成田駅#歴史」も参照

ではなく、

「成田駅#歴史」も参照

のように正しくリンクされなくなるというバグが発生しています。再修正、または差し戻しが必要かと思います。--菊地 英仁会話2010年6月2日 (水) 05:02 (UTC)[返信]

一旦差し戻しました。--122.132.176.142 2010年6月2日 (水) 13:59 (UTC)[返信]
不具合を修正しました。
{{See also|成田駅#歴史}}
お騒がせし、すみませんでした。 --㋔㋯㋤㋓㋛ 2010年6月3日 (木) 13:04 (UTC)[返信]

節の冒頭限定?の限定条項を外しては[編集]

頭痛さんによって節の途中で使うテンプレでは無いのではという事でタグを外され文中に移動されたのですが、確かにTemplate:See_alsoにて「これは節の先頭でその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。」とありますね。

ただ、このタグを文中で使っているものを何度も目にした事がありますし、実際私も文中で(見易く便利なので)使って参りました(すみません、今回の件で初めて知りました、この「節冒頭限定」)。

このテンプレ説明文を「これはその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。」として、何か不都合があるのでしょうか?反論として予想される不都合としては「無制限にリンクを増やされかねない」というものがあるかもしれませんが、それは冒頭か文中か、置かれる場所に関係無い問題と思います。異論が無いか、あるいは合意が得られれば、説明文を変えたく思います。--Kinno Angel会話) 2013年2月7日 (木) 23:31 (UTC)補足--Kinno Angel会話2013年2月7日 (木) 23:32 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:お知らせでも議論提起を告知しました。--Kinno Angel会話2013年2月7日 (木) 23:39 (UTC)[返信]

「節の先頭で~」については、{{Main}}と使い分けて下さいということではないでしょうか。{{See also}}{{See}}{{Main}}{{Main2}}はTemplate‐ノート:Seeで統合を検討されたものの、合意には至らなかったようです。--LudwigSKTalk/History2013年2月8日 (金) 01:15 (UTC)[返信]
どこで使っても構わないとは思いますが、問答無用で斜体の文字が文章中に挟まることに違和感を感じます。{{See}}と{{See also}}はどちらかがあればいいと思いますが、《{{See}}と{{See also}}》と{{Main}}は位置づけが違うので、配置する位置で使い分けるということではないと思いました。--ikedat76会話) 2013年2月8日 (金) 13:53 (UTC)訂正。むしろ斜体ではっきり分かるようにするべきですね。--ikedat76会話2013年3月2日 (土) 13:00 (UTC)[返信]
賛成 同じく、こちらも理解に役立ちます、という補足にあたる用いられ方なので、本文中で解説をひとしきり行った上で、後ろに付くのが自然ではないかと思います。少なくとも、文頭に設置場所を制限する必要は無いのではないでしょうか。文中のいたるところで用いるのは賛成できませんが、節の冒頭、あるいは文末のいずれかならば問題ないと思います。--Ocdp(会話) 2013年3月2日 (土) 12:10 (UTC)[返信]
コメント あまり盛り上がっては居ませんが^^;コメントを下さっている皆様、ありがとうございます。盛り上がっていないということは逆に問題視する人も少ないのかなとは思いますが、逆に積極的な賛成票も無いようですね…。
で、今記事正教会で、御教示頂いた{{See|}}を使ってみているのですが、やはり「~を参照」よりも「~も参照」を使いたいのですね。で、「~を参照」は文中使用可で、「~も参照」は文中使用不可、と差があるのには、合理的な理由がちょっと思いつきません。文中のいたるところで使って可読性を損なっている場合は編集によって適宜対処されるべきであって、「禁止」までする理由も思いつかないというのが、私の意見です。実際、{{See|}}を沢山使って、可読性が下がっているとは、(私の感覚では)思えないのです。--Kinno Angel会話2013年3月4日 (月) 13:40 (UTC)[返信]
コメントたとえば、「正教会#信仰内容の概容」の部分なのですが、ニカイア・コンスタンティノポリス信条などは本文中ですでに内部リンクになっていますので、新たに{{see}}も加える必要は無いのではないでしょうか。重要なことなので強調したいのでしょうが、あまり使いすぎると文章が途切れるわけですし、可読性は落ちると思います。できることなら、一節の頭か末尾、どちらかに付くだけくらいの使用頻度がきれいなのではないかな、と思ったところです。とりあえず、節の頭だけでの限定使用の撤廃に、私は賛成です。--Ocdp(会話) 2013年3月6日 (水) 12:26 (UTC)[返信]
コメント 取り敢えず、Ocdpさんの仰るseeニケア・コンスタンティノポリ信経については御尤もと思いましたので、削除しておきました。まあ報告する必要も無いかと思ったのですが、後でここの議論から飛んで行った人が分からないと良くないと思いまして…。Ocdpさん、御指摘ありがとうございます。--Kinno Angel会話2013年3月7日 (木) 08:57 (UTC)[返信]

コメントさて、議論開始から2ヶ月、最後の発言から1ヶ月が経過し、とくに反対意見は今のところ無いわけですが、個人的には現行の制限を撤廃するに十分な手はずは整ったと思うのですがいかがでしょう。「見出しを付けた文節の最初か、最後に挿入推奨」とすべきだと思うのですがどうでしょう。なぜ文中に挿入することに対して消極的かを説明しておきますと、テンプレートを使い目に付きやすくする必然性として、記事の中で節として独立できるだけの重要な要素を包括するリンクにこそ、目に付きやすくするべき理由があると考えるからです。--Ocdp(会話) 2013年4月7日 (日) 09:35 (UTC)[返信]

コメント Ocdpさん、コメントをありがとうございます。休眠に近い状態にしてしまっていて申し訳ありません。「禁止」的な条文ではなく「推奨」にとどめるならば、ありだとは思います…が、少し考えさせて頂きたく存じます(今回はそんなにお待たせしません)。--Kinno Angel会話2013年4月7日 (日) 17:27 (UTC)[返信]

コメント 取り敢えず具体的な話をした方が議論が早くなると思いまして文案を作成してみました。

「これはその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。見出しを付けた文節の最初か、最後に挿入することが推奨されます。節中にも使用可能ですが、多過ぎる節中での使用は可読性を落としかねませんので注意が必要です。」

自分でもこれが最善とは思っておりません。修正意見等あればお願いします。--Kinno Angel会話2013年4月8日 (月) 08:15 (UTC)[返信]

コメント自分はこのテンプレートは太字などの強調させるための目的で用いられるものではなく、節単位に設置できる関連項目のようなものと考えています。そのため、基本的にリンクは[[]]、目立たせたいリンクは太字で[[]]、節の中では触れてはいないが、参照することによって理解が深まる記事へのリンクをこのテンプレートで追加する、という方針でこれまで執筆してきました。(だから後ろに付けたかったのです。)なので、節の途中への挿入に否定的なため「これはその~~推奨されます。」だけでいいのではないかと思います。してはならない、とは言いませんが「推奨」だけを打ち出すことによって緩やかにスタイルの統一性が図れたら良いのではないかと。--Ocdp(会話) 2013年4月8日 (月) 12:19 (UTC)[返信]
コメント 「一定スタイルを推奨する」「禁止はしないことをノート(本ページ)で確認する」のであれば、積極的に妥協できる範囲です。それでは「これはその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。見出しを付けた文節の最初か、最後に挿入することが推奨されます。」で行きましょうか。--Kinno Angel会話) 2013年4月14日 (日) 07:52 (UTC)「節」と「文節」は違う、との御指摘を受けての取り消し線--Kinno Angel会話2013年4月18日 (木) 12:31 (UTC)[返信]
確認「節」ではなく文節」の最初or最後ですか?「文節」は「節」とはちがうし、Ocdpさんが仰せなのは「節」のはずですが?--ikedat76会話2013年4月14日 (日) 08:26 (UTC)[返信]
>「文節」は「節」とはちがう
orz…大間違いをやらかしました…恥ずかしい…orzガックリ
全くikedat76さん御指摘の通りです。文案を「これはその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。見出しを付けた節の最初か、最後に挿入することが推奨されます。」に訂正させて頂きます。--Kinno Angel会話2013年4月18日 (木) 12:31 (UTC)[返信]
ですよね。であれば問題ないと思いますので、改定案に賛成します。--ikedat76会話2013年4月18日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
報告
満10日以上反対がありませんでしたので、テンプレ説明文を「これはその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。見出しを付けた節の最初か、最後に挿入することが推奨されます。」に変更させて頂きました。長い間、議論にお付き合い下さいました皆様、ありがとうございました。--Kinno Angel会話) 2013年4月29日 (月) 13:09 (UTC)一部修正--Kinno Angel会話2013年4月29日 (月) 13:10 (UTC)[返信]

使用方法再論[編集]

すいません、名前が挙げられながら上の議論があったことに気づいていなかったのですが(声かけて欲しかった・・・)、このテンプレートおよび同種のテンプレートを含めて使用方法の見直しをする提案をさせてください。

現在この種の記事中で関連記事の誘導を行うテンプレートとして、{{see also}}、{{see}}、{{main}}、{{main2}}があるようです。以前から気になっていたのですが、これらはいずれも具体的な使用位置に関する規定がなく、現状「節の冒頭」のほか「節の最後」、「文の途中」など、記事によってかなりばらばらで利用者によって各自思い思いの使われ方がされています。中には普通に内部リンクできるところでわざわざ文をちょん切るような形で使われているものもあり、テンプレートがあるからということで無理に使用しなければならないと考えている利用者もいそうです。また{{see also}}については「節の冒頭」という規定があったようですが、上記の議論を経てはずされたようです。しかしそのためか最近「記事全体の冒頭」にまで使われているケースを見かけました。

英語版ではこの種のテンプレートは節に使われるハットノートと位置づけられており、原則「節の冒頭に用いる」ものとして統一されているように思います。先に結論から言うと、私は日本語版でも同様に「節の冒頭に用いる」形に統一すべきではないかと考えています。

まず記事の文中に使われているケースですが、普通に内部リンクが使用可能なところでこの種のテンプレートを用いることがナンセンスであるのは明らかであると思います。内部リンクされていればその語句に関する詳しい情報がそちらにあると一般に想定できるはずです。文中に自然な形で該当の語句が登場しないような場合でも、節中の文の流れを断ち切ってまでその語句を目立たせる必要性があるとは思えません。文中で示したいのであれば括弧書きで文末に(○○も参照)というふうにつけるのが自然に思われますし、また一般に「節」は特定の主題に関するまとまった小記事の体裁をなしているわけですから、テンプレートを使うほどその節とその語句との関連性が強いのであれば、節の冒頭にまとめて示す形にするほうが理に適っているように思われます。

次に節の最後に使われているケースですが、これは節における説明が中途半端なところで中断されることを許容しかねないという弊害があります。Wikipedia:サマリースタイルにあるように、記事中の節の解説は、たとえそれをより詳しく解説した別の記事がある場合でも、一つの統一された(より小規模な)解説記事として完成されたものであるべきものです。その観点から言えば「あとは任せた」というような形でまとまった解説に必要な記述を放棄する口実として使用されかねない使い方を容認するのはよろしくありません。また「記事の冒頭」用にはOtherusesや{{混同}}などよりふさわしいテンプレートのほか、関連項目節を利用することもでき、わざわざ「密接に関連する項目」をこれらのテンプレートを用いて誘導する必然性はないように思います。

以上の理由により、上記のテンプレート類は「節全体と密接に関わる別項記事を示すために節の冒頭に用いる」ものと明確に定義したほうがよいと考えています。これについてご意見を賜りたく思います。--頭痛会話2013年10月13日 (日) 13:20 (UTC)[返信]

節の最後に使われているケースですが、これは節における説明が中途半端なところで中断されることを許容しかねない
これはむしろ個別の記事で「中途半端な説明」を改善していけば良いだけの話で、テンプレートに原因のある話ではありません。どうも頭痛さんは「テンプレートによる縛り」で記事を全体的に改善出来ると考え過ぎの傾向があるように思います。
上記の議論を経てはずされたようです。しかしそのためか最近「記事全体の冒頭」にまで使われているケースを見かけました。
記事全体の冒頭に使うことについてはそもそも発想として有り得ませんでしたので、「記事冒頭に使う事はやめて下さい」と書く事には反対しません(ただ「畳の部屋には土足厳禁です」並みの禁止だとは思いますが…そういう人も居るんですね)。しかし「自分を外した議論の結果の所為だ、責任だ」と仰りたいのかもしれませんが、、
見出しを付けた節の最初か、最後に挿入することが推奨されます。
という「節」に関する文言は議論の結果ででも残されており、「記事冒頭」に挿入されたケースについて責任を云々するかのような論難は当たりません。どうして「そのためか」などと仰るのか、ちょっと理解に苦しみます。
普通に内部リンクが使用可能なところでこの種のテンプレートを用いることがナンセンスであるのは明らか
私はそうは思いません。甲節の中で内部リンクされているものの中でも、その節への関連の軽重は一様ではありません。たとえば1917年といった年代へのリンクと、その他の個別のリンクで軽重が同じではありません。その中で最も重要な関連性を持つものを明示する事が、記事の理解を損なうとは思えません。むしろ記事の理解を助けるものです。
これは節における説明が中途半端なところで中断されることを許容しかねない
そのようなケースが全く想像出来ないのですが、
  • 「節における説明が中途半端なところで中断されて」いる具体的な記事の事例を挙げて頂けませんでしょうか。
  • 次に、その具体的な例について、「テンプレートの規定が主な要因であって、記事執筆の経緯に主な要因があるわけではない」事を説明して頂けませんでしょうか。
以上二点が説明されません限り、
その観点から言えば「あとは任せた」というような形でまとまった解説に必要な記述を放棄する口実として使用されかねない使い方を容認するのはよろしくありません
は、杞憂、というのが現時点での感想です。--Kinno Angel会話2013年10月13日 (日) 16:26 (UTC)[返信]
コメント おっしゃられているような点はKinno Angelさんが最近加筆された復活祭と英語版のEasterを比べれば一目瞭然ではないかと思いますよ。現在の日本語版ではコンプトゥスについても復活日論争についても光明週間についても、文の途中ないし末尾にテンプレートを挿入することによって事実上ほぼ「本来その記事に書かれるべき説明の丸投げ」が行われています。一定の要約をしっかりおこなったうえで節の冒頭で関連付けを行っている英語版と対照的だと思います。テンプレートの使用法ではなく利用者の意識の問題であるということを指摘されていますが、Wikipedia:サマリースタイルと合わせたうえでテンプレートの使用範囲を明確化すればこういったことは構造的にある程度防げるようになり、かつ本来必要な情報の加筆も促せるようになると思います。「末尾に使用」だとむしろ加筆を妨げる原因になるでしょう。
内部リンクの関連性の軽重が同じではないというのはまったくそうでしょう。でもそれは「see alsoテンプレートなどで目立たせる」必然性を説明するものではないと思います。see alsoやmainはそもそも「重要な語句を目立たせる」ために作られたものなのでしょうか? ある程度重要な語句が登場するたびに使っていてはキリがないし、文章の自然な流れも絶たれてしまいますよね。
「そのためか~」という部分は確かに理に適わない指摘だったようです。失礼しました。でも議論に呼ばれなかったことをそこまで恨みに思っているなどと言われるのはまったく心外です。前に全然別の利用者からも議論で反論したから根に持って報復編集されるようになったというような中傷を受けたことがありましたが、そんな底意で動いている人間に見えますかね。どちらにしてもWikipedia:善意に取るを参照されたく思います。--頭痛会話2013年10月13日 (日) 16:54 (UTC)[返信]
恨みに思っているなどと言われるのはまったく心外
私はそれこそ「恨み」などとは全く申しておりませんよ(勝手に話を造らないで下さい)。ただ「恨み」は感じませんでしたが、「声かけて欲しかった・・・」と仰る言葉からは相当な不愉快さ、怒りを感じました。会社のメールのやり取りとかでこういう言葉が書かれて居たら、相当怒っているという場面ではありませんでしょうか(少なくとも他社や対等の相手であれば)。
事実上ほぼ「本来その記事に書かれるべき説明の丸投げ」が行われています
キリスト教関連についても「本来その記事に書かれるべき」と判断が可能なほど造詣が深いようでいらっしゃいますね。敬服します。
ただ私としては「記事本体に書くべきメインテーマではない」と判断しましたので、ああいう形にしているわけです。概要を書くべき記事は出来るだけスリムにしませんと、可読性を損ないます。少なくとも現行の記事に対して「一目瞭然」なほどの大問題があるとお考えの方は、多分頭痛さんだけですよ
それから経緯をよくご確認頂きたいのですが、復活日論争については分割しました。そもそも復活祭について「復活日論争」をメインテーマとして大量に書いている書籍での事典など私は見た事が無いのですが、頭痛さんにはおありなのですか?
「英語版にあるからこうだ」という見解がウィキペディアのシステム上ナンセンスなのは頭痛さんはお判りの筈です(参考意見程度ならば判りますが)。そもそも英語版も他の記事が物凄く膨大に書かれた上で日付についてもそれなりの分量が割かれているわけであって、他の内容が少ない日本語版で日付を肥大化させる意義も私には分かりません。
文章の自然な流れも絶たれてしまいますよね。
そもそもこれが私には全くそう思えませんので。頭痛さんの考え過ぎ(あと英語版を絶対視し過ぎ)だと思います。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 01:18 (UTC)[返信]
追記です
「末尾に使用」だとむしろ加筆を妨げる原因になるでしょう。
これもサッパリ解りません。今まで私は様々なところで加筆修正を抜本的に行ってきていますが、「このテンプレートがあるから加筆を止めようっと」と思った事は一度もありませんが。
取り敢えず、「お知らせ」欄にまた議論発生を告知しております。頭痛さんの御考えが相当杞憂に満ちているとしか私には思えませんので。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 01:22 (UTC)[返信]

報告 「お知らせ」に告知してきました(そもそもこれほどの全分野全記事にかかる重要な提案でしたら提案者自らなされるべきだと思いますが)。

なお、私としては他の方の登場を待ちます。基本的に

  • 「これらのテンプレート({{see also}}、{{see}}、{{main}}、{{main2}})が多用されていると節がぶった切られて読み難い」とは全く思えない。
  • 「これらのテンプレート({{see also}}、{{see}}、{{main}}、{{main2}})が多用されていると、節の加筆を妨げる」とは全く思えない。
  • 英語版には英語版の良さがあるが(特に幅広い地理記事の充実)、「書かれるべきサマリーが節内にしっかりまとめられていて読み易い」と思った事は全く無い。

以上が私の判断となります。ただこれは「読み易さ」といった「感覚的」問題も絡んで参りますので、8割、9割の方が頭痛さんと同感と仰るのであれば、テンプレートの使用制限について一定の結論が多数派によってなされるのであれば、私もそれ以上主張する気はありません。テンプレの使用方針については多数の感性に従います(ただ個別の記事でまで「これ書くべきなのは一目瞭然」とまで一方的に断言されたくはありませんが)。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 01:42 (UTC)[返信]

あと今気付いたことなので(連続投稿につき深謝申し上げます)。英語版で「節の流れをぶった切る」が忌避されるのは、英語という言語の構造にも由来するところが大きいのではないでしょうか?「パラグラフリーディング」をメインとする講座が予備校で用意されるような状況があるわけですが、明らかな接続では接続詞をあまり使わない傾向のある英語版では、段落同士の接続が切られたら文意不明瞭になる、という問題があるのかもしれません(そこまで私も英語が得意ではありませんが、英語に通暁されていらっしゃる頭痛さんには気になるところなのかもしれませんね)。
ただ日本語でそこまで可読性が損なわれていると私が感じた事は一度もありません。これについては多数の感性の判断を知りたいところです。というわけで一旦引っ込みます。複数(できれば多数)の方の御判断を伺いたく存じます。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 01:47 (UTC)[返信]
私は「英語版と見比べれば論点としているところは一目瞭然なはずだ」ということを書いたのです。以前他にもそういう方がおられましたが、強化記事で選ばれたとか、新着記事に選ばれたということそのものを何かの傍証のように扱わないでいただけないでしょうか。新着・強化記事の投票は査読の場とは違います。強化記事に選ばれたということと英語版と比較して問題が指摘可能かということとはまったく関係ないと思います。
「復活日論争」については分割した結果あのようになっているということであれば、まさに「そのようなことはなるべく避けてくれ」(子記事を分割する際は一定量の要約をもとの記事に残して元記事の体系性や包括性を損なわないようにしてくれ)というのがWikipedia:サマリースタイルの趣旨です。
加筆の妨げになりうるのではないか、というのは、節冒頭にある場合と比べて「ここから後は別記事を参照」というニュアンスがあると感じられるからです。日常的に文末にsee alsoなどを用いられ、かつ記事になにをどう加筆するかを決めておられる側なのであればKinno Angelさんがそのような弊害(があったとして)を弊害と感じられないのは当然ではないかと思います。
繰り返しますが議論によばれなかったこと自体については別段のうらみも怒りも感じておりません。単に残念だったというだけのことです。ニュアンスをやわらげるためにわざわざ自分の本来の習慣にない3点リーダまでつけたのですが、まったく伝わらなかったようで残念です。しかし議論相手に不必要に感情を想定するのはやめていただきたいです。議論の邪魔になりますので。--頭痛会話2013年10月14日 (月) 09:43 (UTC)[返信]
>何かの傍証のように扱わないでいただけないでしょうか
拒否します。他については頭痛さんの「私は思います」「感じられます」しかありませんのでお話になりません。後は、多数の御見解を伺いたく思います。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 10:03 (UTC)[返信]
まあ、それが何かの傍証になっているかどうかは他の方が判断されるでしょうからお好きになさってください。--頭痛会話2013年10月14日 (月) 10:22 (UTC)[返信]
ええ、ですから最初から「他の方の判断を待ちます」と繰り返し申しております。後老婆心ながら申し上げますが、頭痛さんは「明らか」「一目瞭然」を軽く使い過ぎだと思います。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 10:29 (UTC)[返信]
なので「思います」「感じられます」などを使って和らげているのだと思ってください。議論それ自体から議論者の議論態度のほうへ話をずらそうとなさるのはノートが煩雑になるのでやめていただきたいです。--頭痛会話2013年10月14日 (月) 10:34 (UTC)[返信]
  • コメント お知らせを見て参りましたが、節の頭で使用を強制したいと考える方の手によって、それがなされていないが故に見た目が無茶苦茶になってしまっている記事および版を5乃至10程度列挙して頂けませんことには、お話が始まりません様な気がします。それが無視出来ないほど多く、また実害が顕著でありかつ頭での使用を強制することでしか問題が解決できないと多くの方を納得させるには、それが一番でしょう。それが行われなければ合意は得られずとして流れる案件でしょうね。--Hman会話2013年10月14日 (月) 10:05 (UTC)[返信]
    • 5乃至10程度という根拠がよくわかりません(関係ないですが、あなた確か活動をやめられたのでは・・・)。新着記事や強化記事への推薦記事を探したり、普通に記事にリンクをつけるなどの活動をしていれば日常目につくはずのものだと思いますし、実例としては(何度も挙げて申し訳ないが)さしあたり復活祭だけでも十分だと思います。それで特に現状で問題を感じないという方が多数派なのであれば5乃至10程度挙げたとしても同じことかと。その場合は規定を設けるのは諦めますが、上に挙げたような記事の問題点、ないし将来的に改善が可能な点は依然そのようなものとして残ると思います。ただ最低でも「文の途中」は使用不可にして欲しいとは思います。--頭痛会話2013年10月14日 (月) 10:22 (UTC)[返信]

コメント以前の改定に携わったものですが、Hmanさんと同じく、複数の具体的な事例を挙げていただく必要があると考えました。改定をするのであれば、それがテンプレートの使い方であるにしても他者を拘束する以上は、特定の用法に弊害があることを説得的に立証する必要があるでしょう。ご自身でも仰せのとおり、感覚に左右される部分が確かに否定しづらい以上、異論や疑問に対しては慎重に説得を試みるのでなければ、合意形成に至るのは難しいでしょう。

「議論相手に不必要に感情を想定する」ことが不適当であるのと同様、相手の活動様態を問題にすることはここでの議論の本筋と関係がないはずです。「議論相手に不必要に感情を想定する」ことを忌まれるのであれば、議論の本筋と関連しない相手の活動様態に言及するのは、「感情」を云々することと等しく差し控えられるべきでしょう。--ikedat76会話2013年10月14日 (月) 10:32 (UTC)[返信]

ではさしあたりすぐ思い出せる過去に問題を感じた記事を実例として5つほど挙げておきます(すでに私自身の手で修正済みのものが多いです)--頭痛会話2013年10月14日 (月) 10:57 (UTC)[返信]
「他の方の登場を待ちたい」と言いながら発言繰り返して申し訳ないのですが…
現行でも既に「節単位で使用を推奨」とはなっているわけで、記事の冒頭使用(私個人の感性から言っても、斜め上の発想です)については直ぐにでも修正が可能と思いますが…?既に申しましたように「記事冒頭に使う事はやめて下さい」と定義文に加える事には反対しません。
なお、私個人はそれぞれの記事で、ゲール文字の現行版(記事冒頭に使用)以外には特段問題を感じませんでした。
但し、自らの判断を「明らかと思う」「一目瞭然だと思う」と仰る頭痛さんとは異なり、私は自分の判断につき「明らか」「一目瞭然」とは決して思いません。何度も申しますが上記具体例について「これはひどい」と思われる方が多数派で、また「テンプレの定義をいじることでしか解決出来ない」もしくは「方法が他に無いではないが、テンプレをいじることで相当改善が期待出来る」という方が多数派なのであれば、勿論従うつもりです。本当に御意見をお待ちしております。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 14:28 (UTC)[返信]
いちいち皮肉やあてつけめいたことを書かなければ意見表明できないのですか。--頭痛会話2013年10月14日 (月) 14:30 (UTC)[返信]
コメント 皮肉と受け取られたのであれば深謝いたします。--Kinno Angel会話2013年10月14日 (月) 14:32 (UTC)[返信]
頭痛さんに同感同情を懐きます。「日清戦争」「喫煙」「日本の喫煙」など、記事の成長を阻害する要因になっているのを見ると、どうしたものかと頭を抱えます。「海洋国家としての日本」で節のなかに入ってのは、本来節を切り分けるべきなものが分割されていない結果、そうなっていると判断できます。--rshiba会話2013年10月14日 (月) 16:23 (UTC)[返信]
頭痛氏にご提示頂いた例につきまして、いくつか検討してみました。確かに見る人の主観では過剰と思えるものもありますでしょうし、そもそも節とすべきか箇条書きとすべきか当落線上にあるケースもよくございます(いずれ箇条書きから節に昇格する場合がありますので、余り厳密に分けて考える必要はありません)。また、標準的な記述を定めることはやはり必要なことですが、若干些末な気もします。全ての記事が標準的なスタイルがベストであるとも限らないのですが・・・。実際の執筆者にある程度の裁量を残す事は当然必要なコトです。標準書式や文書は良い記事の作成のためにあるもので、それが足かせになることがあってはなりません。これにつきましては、一連のテンプレートが比較的「地味」であることも関係しています。Kinno Angel氏曰くところの「節がぶった切られて読み難い」とは全く思えない」状態です。かなり地味です。もしド派手なテンプレートでしたら、私も「うわこれはあかんわー」と言う所かもしれませんが。例えばTemplate:出典の明記がそこら中に貼ってあったら、それは悪夢の様な光景となるでしょう。ただし、加筆を妨げているかどうかは私にはわかりません。そう言ったところに本格的に加筆した経験が少なく、確かな記憶が無いからです。
さて、一連のテンプレートの扱いには、大きく二つに分けられると思います。a.「節または箇条書きブロックの冒頭または末尾に設置する」 b.「それ以外の場所に設置する」、です。
a.に関しては、個人的には「用いる時は冒頭とする」と言う扱いで問題は無いと考えます。「末尾にする」では、末尾まで読んでみないと解らないのですから、先に出しておいた方が良いでしょうと言う、単純な理由によります。ですが、喫煙#たばこ産業による資金提供の各種箇条書きでは末尾の方が自然ですね。もちろん先頭を強要されれば、それはそれで書き方が有るんでしょうけど。
b.につきましては・・・うーん、見た記憶が無いんですよ。というわけで柴崎力栄氏ご提示の記事で始めてまともに拝読致しました次第ですが。ふむ、日清戦争#前史2:朝鮮の混乱とそれをめぐる国際情勢などを例に考えますと、うーん、節分けの頻度やタイミングは実際の編集者の裁量の範囲とは思います。それほど見にくいとは思いません。大体ですね、これはmainテンプレートを使っていますが、mainテンプレートの使用を禁止されてもですね、手動で「詳細は○○参照」とタイプしちゃえば、その取り決めに縛られるコトは全く無い訳で、恐らく一連のテンプレートの注意に「原則的に節か箇条書きの冒頭(仮)で使うこと」で使用を禁止してもちょっと意味がないんじゃないかなあ、と。節分けは、行いたいなら執筆者各位が勝手に行えばいいわけで・・・。「Main/seeテンプレートを冒頭とするために無理矢理節分けにする」のも本末転倒ですし。
ですからとどのつまり、やるにしても「このテンプレートは原則的には節または箇条書きの冒頭に設置してください。ただし構成上の理由により必要な場合にはこの限りではありません」くらいで、いいんじゃないでしょうかねえ。さすれば、「どうにもこれが無茶苦茶だ!」と言う記事があれば、ノートにて「どういう事情があるのかお聞かせ下さい。特に反対が無い場合、1週間後を目処に節分けなどに若干の変更を加えます」が成立し、実用上の問題はほぼ無くなるんじゃないでしょうか。いや、私はあまり問題とは思ってはいないんですけど。
ただ、機械的に先頭に移動して回るのは勘弁して頂きたいですね。先ほどの「喫煙」の様に、それをやってはまずそうな記事も恐らく多数あるのでしょうから。勿論責任を持って、修正箇所ごとに新調し作文し直す必要が有る。手書きの物?うん、私もよくやりましたよ。なんだかんだと書いてから、段落末尾に詳しくは○○、××も参照、って。そこまで縛らなくてもいいんじゃないかなあ。テンプレートなんざ、所詮は執筆を便利にするためのものなんですから、あまりガチガチにして不便にしたり、テンプレートの使用を強制したりしては本末転倒。つまり、もしかしたらここでテンプレートの話だけしてても仕方ないかもしれないんです。手書きでの誘導にまで一定の書式を強制したいのであれば、このノートではなく、もっと上のレベルのノートで、そもそも他記事への誘導行為はどう取り扱うべきかと言う議論が必要でしょう。既に誘導について規定されている先行議論や文書はございましたでしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアルなどでしょうか。そちらでもし強制や禁止との決定が下れば、トップダウンのかたちで一連のテンプレートのドキュメントも改訂される流れになるでしょうね。--Hman会話2013年10月14日 (月) 18:32 (UTC)[返信]

コメント 本件のお知らせを見てしばらく考えていましたが、ようやく自分なりに考えがまとまりましたので参りました。よろしくお願いいたします。

私としては、今回議論の対象となっている4テンプレートについて「テンプレート」「テンプレートに対応するリンク元記事における一定量の記述」「テンプレートの参照先記事」とが内容・量的に適切に対応していれば、記事中でのテンプレートの使用位置に係わらず特に違和感は感じません。もちろん、元記事の記述や参照先記事の記述に問題があるケースもあろうかとは思いますが、それはテンプレートの問題ではなくそれらの記述を改善することをまず考慮すべき話でしょうから、以下はこれらの質・量については概ね問題ないものと仮定して進めます。
節冒頭ないしは節末尾にテンプレートが置かれ節に一定量の解説記述があるパターンについては、基本問題ないのではと考えます。節内での記述の途中でテンプレートが用いられているパターンについても、テンプレートが示す記事記述がどこかが明確にわかり、記述量が十分であれば問題ないでしょう(編集者裁量により、あえて節分けまではしていないケースと捉えることもできるかと思います)。その記述が箇条書きであっても、箇条書きのひとかたまりと参照先とがマッチしていれば同様に適切であろうと思います。
悩ましいのは箇条書き項目それぞれにテンプレートが用いられているケースで、私個人の感覚としては、単なるリンクではなくテンプレートまで使うのならば解説文章を追記すべきで、そうでなければ項目リンクでいいのではと感じます(その修正のためだけにわざわざ版を重ねようとまでは思いませんが)。なお、記事冒頭に使用しているケースについては、テンプレートが示すリンク元記事の記述が記事全体とも取れますので不適切でしょう。別の記述方法を用いるべきと思います。
これらをまとめた上で現行のテンプレートの使用方法記述「これはその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。見出しを付けた節の最初か、最後に挿入することが推奨されます。」を見てみると、私としてはあえて改定までしなくても、と感じます。なおこの文章を逐語的に読んだ場合、私は問題ないのではと感じている「節の途中にテンプレートがあるケース(関係性は適切に保たれている前提)」は推奨されないケースとなりますので、そこをカバーするのなら、この上でHmanさんがご提案されたものぐらいでいいのではないでしょうか。
最後に、テンプレートの使用が加筆を妨げるかどうかについては、一般論としては「それはない」のではと考えます。記事主題について一定水準の知見を持ち文章能力もある編集者が判断して、記述が不足していると思われれば加筆されるでしょうし、テンプレート使用が適切でないと判断されれば項目リンクに置き換えられる、ということだと思います。仮にそのような編集者がいないのだとしても、それはテンプレートに責を帰すべき問題ではないでしょう。
以上、勝手なことを長々申し上げました。よろしくお願いいたします。--WDS487会話2013年10月16日 (水) 14:29 (UTC)[返信]
コメント 箇条書きと節分けの区切りは非常に曖昧な場合があります。通常の「参考文献」節や[[Wikipedia:箇条書きの一般的な例などは誰がどう見ても箇条書きですが、「細かく節分けしてしまっては目次が長大になりすぎるために、ある程度は箇条書きのかたちで妥協しておく」と言う編集者裁量は常にあり得ます。私の申し上げたい「箇条書きのかたち」とは、「 === 見出し === を用いず、敢えて : ; を用いてレイアウトする」事を指します。ですからかたちの上では箇条書きですが、実質的には小さな節と申し上げられます。この様なケースで、「セクション先頭でないから」と機械的に除去して回る様なことだけは避けねばなりませんね。Wikipedia:スタイルマニュアル「見出しを作りすぎないでください。」Wikipedia:スタイルマニュアル_(見出し)にもたった1つや2つの段落には用いないでください。とあります。この場合、状況によっては「ならかたちの上では箇条書きがベター」な場合もあるでしょうし、その他執筆者の好みの他にも慣れや技術的な未熟の問題から、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。仮に原則冒頭または末尾と決まったにしても(ま、私はそんな必要はないと思うんですが。先日挙げました文例はあくまで「(もし)やるにしても」、の場合です。)、実際の執筆者の裁量を認め「厳密には節の先頭または末尾じゃないから」と言う理由で機械的に判断され、各々の記事の実際の執筆者が編集を行い難くして回る様な事態にだけは至らない事を願います(昔の話ですが、和暦問題などを思い出します)。縛らんでいい所は縛らんでいいんですよ。--Hman会話2013年10月16日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
報告 利用者:頭痛氏が、利用者‐会話:Hman#引退後の活動についてにおいて、独断で「Hmanの意見は無効とする」と勝手に表明成されております旨、ご報告申し上げます。当たり前ですが彼にはそんなことを独断で決定する権限などはありませんので、こちらをご覧になっていらっしゃる方各位が、私の言に聞くべき所があるのか、無視すべきものなのかを、良心と常識に従って「普通に」ご判断頂ければと思います。以上、案件に直接関係の無いことでのお目汚し、失礼致しました。--Hman会話2013年10月16日 (水) 16:29 (UTC)[返信]
報告 上の問題についてはWikipedia:井戸端/subj/引退宣言を掲げながら参加することについてTemplate‐ノート:Retiredで議論がありましたのでそちらを参照してください。--頭痛会話2013年11月17日 (日) 10:40 (UTC)[返信]

コメント 前回私が意見を書き込んだ後で、この議論を発端とした場外乱闘(表現として妥当ではないかもしれませんが、他に思いつきませんでした)が始まってしまい、ここでの議論が停止して1週間程度経過しましたが、今後どう進めましょうか?私が見る限りでは、本節での議題について「定義づけの変更までは不要では」との趣旨の意見が優勢で、これらの意見に対する「変更が必要」との有意な意見表明はなされていないと理解しています。この後1週間程度で新たな意見表明がないようなら、本節の議論はまとめに入ってもいいのでは、と感じます。なお、私も意見表明している立場ですので、上記の認識にバイアスがかかっているなど問題があるようでしたら、その旨ご指摘下さい。--WDS487会話2013年10月23日 (水) 12:37 (UTC)[返信]

意見表明者5名中3名の意見表明のみ、その意見を交えた直接の対話もまだはじめていない時点で「優勢」はどうかと思うんですが。新規意見の追加についてはもちろんとどめませんが、ちょっと提案者のほうが別の議論で手一杯になってしまっているのでさしあたり一時進行中断という形にしておいていただけると助かります。--頭痛会話2013年10月23日 (水) 23:11 (UTC)[返信]
WDS487さんの御意見につきまして。
  • 「定義づけの変更までは不要では」との趣旨の意見が優勢
  • 「変更が必要」との有意な意見表明はなされていない
以上二点は同感です。しかし
この後1週間程度で新たな意見表明がないようなら、本節の議論はまとめに入ってもいいのでは
については、(頭痛さんが万が一それで納得されることでも無い限り)早過ぎると思いますね。まだ1月も経って居ません上に、全ページに影響の大きい話です。頭痛さんの御帰りも待ちつつ、気長にやりましょう。他の方の御意見も引き続き頂きたいところです。
頭痛さんが戻られましたら、今一度、議論募集の告知を然るべきところに出そうと考えております。--Kinno Angel会話2013年10月24日 (木) 12:47 (UTC)[返信]
お二方、コメントありがとうございます。私としては本節議論の進め方について、Kinno Angelさんの上記ご提案内容で特に異論はありません。何せ他の場所での議論が余りにも派手ですので、こちらは下手をすると私がコメントをする前の状態でそのままフェードアウトになりはしないかとの危惧がぬぐえませんでしたので、あえて水面に石を投げてみました。着地点が見つけられるよう、気長に行きたいと思います。--WDS487会話2013年10月24日 (木) 14:22 (UTC)[返信]

コメント WP:STYLEに「ウィキペディアの記事では、文章のスタイルよりも、記事の内容の方が大事で」とあるように、テンプレートの位置は読者の理解に資するよう個々の記事の内容からみて適切な位置に置くべきです。読者が理解する際の利便という観点を欠落させてはいけません。記事に合わせてテンプレートは存在すべきなのであって、その逆では本末転倒になってしまいます。そもそも、この問題の根っこの部分はテンプレートの位置の問題というよりは、節構造をどう考えるかということではないでしょうか。節構造について細かく細分化していく構成が理想的であくまでもそのような体裁を目指す(節構造の細分化についても加味して規定される)のであれば、私はテンプレート位置を具体的(冒頭)に指定しても構わないと思います。しかし、節構造の細分化は一般的にはあまり好まれていないようですし、節構造の構築がうまくいっているとは言えない場合も散見される中で、節構造への配慮を加味しないまま単にテンプレートの位置を冒頭に指定することは弊害が大きいと思います(例えば動物のイヌという項目のこの版では「イヌと歴史・文化」というまとまった節の冒頭に犬食文化という記事へ{{main}}としてリンクが設けられてしまっています。おそらく記事の構成への配慮もないままに単純に節の冒頭に置いておけばよいとの考えによるものなのでしょうが、このような構成をとることは甚だ疑問です)。したがって、現状を考えると2013年4月29日 (月) 13:10 (UTC)での合意を支持します。--W-run会話2013年10月31日 (木) 21:21 (UTC)[返信]

{{main}}ではなくて{{See also}}ですね。--頭痛会話2013年11月1日 (金) 02:07 (UTC)[返信]
コメント W-run氏のおっしゃる事、いちいちごもっともでございます。その様なかたちでよろしいでしょう。結局現状の合意たる、節の先頭・末尾を推奨しながらも、途中に置く事も必ずしも禁じてないところも、妥当な所でございますし、また当たり前ですが、書き手または記事がテンプレートを使うのであって、テンプレートに書き手または記事がテンプレート振り回される様では本末転倒でございますからね。この手のテンプレートなんざ、あくまで補助なんですから(手打ちでもぜんぜんイけますもの)。--Hman会話2013年11月1日 (金) 02:57 (UTC)[返信]

コメント 申し訳ありません。たしかに{{See also}}でした。お詫びいたします。私も{{main}}や{{See also}}といったテンプレートがある場合にも記事全体の構成を維持するという観点から原則的には記事全体の流れに見合った規模の一定の記述があったほうがよいと考えており、頭痛さんが仰っておられる「記事中の節の解説は、たとえそれをより詳しく解説した別の記事がある場合でも、一つの統一された(より小規模な)解説記事として完成されたものであるべき」という御意見もほぼ同じ趣旨かと思うのですが、その問題と節内でのテンプレートの配置の問題との論理的な関係性(論証の組み立て方)についてどうも把握しきれないところがあります。私見の要旨を3つにまとめます。

  1. 私の意見は{{main}}や{{See also}}などのテンプレートの機能についてWP:STYLEの規定など節構造とのアンバランスが生じないように配慮するべきというものです。{{main}}や{{See also}}といったテンプレートの機能について、節全体から独立した一つの記事への誘導標識のような単純化した役割に整理(節全体と独立した記事との関係を常にイコールに近い関係に整理)して原則として節の先頭に配置するということであれば、それとともに少なくとも節構造のほうもそれに見合う程度になるまで細分化するなど節構造の適切な構築も明記するなどの配慮が必要になると思います。先日のコメントでは、動物のイヌの項目のこの版を例に挙げましたが、この記事でも「イヌの起源」という節の冒頭にイヌの起源という記事への{{See also}}のリンクが設けられているのは両者の関係に均衡がとれていて構成としては理解できます。けれども、同じ版で「イヌと歴史・文化」という節の冒頭に犬食文化という記事への{{See also}}のリンクが設けられるといった状態が生じてしまっていることを見るとバランス関係からみて疑問に思うわけです。節構造への手当てを伴わずにテンプレートの位置だけを単に「節の冒頭へ」と規定すると、一節の内容や構成からみてアンバランスな誘導が一節の最も目立つ位置に次々と貼られていくような事態が発生するおそれがあります。この問題はWP:STYLEの規定にも関連するわけですが、現状では節構造の細分化は階層が深くなり目次も長くなるといった理由もあって一般的には好まれていないようですし、ガイドラインの規定以前に節構造の構築そのものがうまくいっているとは言えない場合もあります。このような節構造についての現状をみると、テンプレートの配置は(基本的には節の最初か最後を原則として)記事の構成や内容に従って適切に判断すべきと規定するにとどめておくのが最善ではないかと考えるわけです。
  2. テンプレートと執筆への影響についてですが、WDS487さんの御意見と同じく両者は直結するものではないと思います。いわゆる記述の放棄もしくは記述の丸投げという問題ですけれども、一般論として、このような事象は{{main}}や{{See also}}といったテンプレートが存在する記事に特有の事象ではありません。仮にこれらのテンプレートに特にそのような傾向があるとして「不完全な文章だけを置いてテンプレートを貼って終わることは放任行為あるいは丸投げであり問題である」と仮定するならば、同様にその逆の「テンプレートを貼って不完全な文章だけを置いて終わることも放任行為あるいは丸投げであり問題である」とするのが自然であり、さらに「一文も置かずにテンプレートだけを貼って終わることも放任行為あるいは丸投げであり問題である」という論理構成をとるのが自然ではないでしょうか。「不完全な文章だけを置いてテンプレートを貼って終わること」は放任行為あるいは丸投げであるが「テンプレートを貼って不完全な文章だけを置いて終わること」や「一文も置かずにテンプレートだけを貼って終わること」は放任行為や丸投げではないという論理構成では説得的ではないからです。しかし、そうなってくると仮にこれらの問題への対処が必要ということであれば記事全体の流れに沿った一定の記述を促すための規定の追加が提案されるのが合理的であると思量されるわけで、なぜ「節の最初にテンプレートを貼ること」と規定することでこれらの放任行為や丸投げという問題が生じなくなるのかその関係性は必ずしも明瞭ではないように思います。一節での記述が不十分である場合に本文とテンプレートの配置を入れ替えて待つことが有効な解決方法であるというのは不可解ですし、そもそも「一文も置かずにテンプレートだけを貼って終わっている」というパターンでは同一節内に配置の比較対象となる文章さえ存在しないわけですのでテンプレートの配置という捉え方で解決できる問題ではないわけです。
  3. (住所表示などのようにミクロからマクロへと整理するか、マクロからミクロへと整理するかは文化圏などによっても異なるわけなので、あまりに画一的に単純化した議論は避けるべきということも考慮するわけですけれども)少なくとも現状において{{main}}や{{See also}}といったテンプレートが「より詳しい情報を知りたい方はこちらへ」という案内板のような役割をもっているとみるのであれば、先の議論でOcdpさんが仰っておられる「本文中で解説をひとしきり行った上で、後ろに付くのが自然ではないかと思います」との御主張はかなり説得的であり、記事中の節の解説についての存在意義という点を特段に強調するのであればこちらの見解のほうが親和的であるような気もします。つまり、「節の冒頭において既に他記事へ誘導しているものにどうして一定の解説を置く必要があるのでしょうか」という問に対して、「記事中の節に一定の解説を置く必要性」については記事全体の構成を維持する(所々が欠落した虫食いのような文書にしない)という観点から必要と考えられていますと説明することが可能かと思うのですが、「なぜ節の冒頭のほうで他記事へ誘導しているのでしょうか」という問に対しても記事上の機能的な観点からの根拠づけがあってしかるべきかとも思います。

私見の要旨は以上です。--W-run会話2013年11月4日 (月) 21:49 (UTC)[返信]

コメント 上記W-runさんのご意見(2013年11月4日 (月) 21:49 (UTC))を始めとして、現行の使用方法記述の「変更の要なし」と判断されている方々のご意見につきましては、アプローチの仕方・力点の置き所に違いはあれども大元のところでは私の考えと同じように感じておりますので、私としては皆様のご意見を受け入れる旨表明いたします。もし皆様の中に「それは違う」とお考えの方がいらっしゃいましたら、その旨をご表明下さい。--WDS487会話2013年11月9日 (土) 14:54 (UTC)[返信]

W-runさんの御意見、WDS487さんの御意見に大体同感です。テンプレートの改訂によって、現在の状況が劇的に改善(と、改訂が必要とお考えの方々が期待する内容)が起きるかというと、まずそれは無い、と私も思います。元々は「見出しの作り過ぎ」「節ごとの内容の不足」が根幹にあるわけですから。
加えて、一般の事典では「〇〇参照」というのはむしろ末尾に書かれているものが多く、(もちろんウィキペディアは紙製の百科事典ではないわけではあるものの)テンプレの使用を「冒頭」に限定する志向性は、英語版ウィキペディアに引き摺られているようにも思えます。
他方、(ここからは半ば私事で恐縮ですが)今回の議論で、頭痛さんのように、「記事中にサマリーを十分に用意されたい」と思われる方がいらっしゃることが分かりました事は収穫でした(もちろん頭痛さんはWP:STYLEWikipedia:サマリースタイルに基いて御発言されており「独断による感想」ではないわけですが、サマリーを頭痛さんがお考えのようにより詳細に残すべきとは、私にはそこまで強く思えなかったということです)。
また、W-runさんも、WDS487さんも、「サマリーが十分に用意されるべきである」という趣旨においては、(力点の違いはあろうかと思いますが)頭痛さんと見解の根本的な相違は無いようでいらっしゃいますね。
むしろ私は「サマリーは出来るだけコンパクトな方が美しい」と考えて居た者でしたので(もちろんWikipedia:サマリースタイルは読んでおりましたが、「残す」「書く」範囲につき極小を志向しておりました)、正直な所戸惑ったのですが、今後そのようにお考えの方もいらっしゃる事に留意して記事の改善に取り組んでいく積りです。(つまり、頭痛さん御提案のテンプレについての改訂は必要無いとは思いますが、頭痛さんほかの御指摘に聞くべき所を感じましたというお断わりです)--Kinno Angel会話2013年11月14日 (木) 13:22 (UTC)[返信]
コメント 記事の体裁に関して。WP:STYLEが「記事の内容」を優先事項と明記しているように、記事の体裁は最終的には記事の内容と性質によって決まると考えます。形式的な基準だけで判断するとおかしな結果になります。例えば節構造についてですが地震関連記事などを見ると発生年(地震)ごとに整理されているものが多く、「一文しか説明がないこの節は他の節と統合すべき」といった形式的な観点だけの判断が不合理なのがよく理解できるかと思います。サマリーについて先に「原則的には記事全体の流れに見合った規模の一定の記述があったほうがよい」と述べましたが、その規模も形式的な基準だけで判断することは適切ではなく、記事の内容と性質に見合ったものになるよう調整されるべきではないでしょうか。
テンプレートの問題は役割の捉え方の差異に因るものでしょう。「節の全部と関連性を有している場合」に限定するか「節の一部に強い関連性を有している場合」に拡張するかです。現行の日本語版はおそらく後者に近い傾向にあるのではないかと思います。「関連項目」節からだと記事内の関連する文脈との関係が把握しにくいといった理由から節内からのリンクを設けておくという利便性が考慮されてきたのではないでしょうか。私は前者のような構成(一節と独立した記事を「一対一」に近い関係に維持する構成)をとること自体が不可能だという立場ではありませんが、仮に前者のように整理するならば、「節の全体と関連性を有している場合」に該当しないものは本文の内部リンクにとどめるか、関連項目へまとめて移すか、バランスをとるために下位に節を新設して整理し直した上でテンプレートをそれぞれ貼り直すか移行のための対応が必要となります。ただ、これまでのテンプレートの解説文も調べましたが特に限定する文言はなく、現時点の解説でも単に「その節に関連するリンクを生成」となっていてテンプレートの役割には必ずしもそのような限定はないので、ここで「節の全体の内容と関連性のある記事を示すために用いる」と役割を限定することに理解が浸透するのか懸念します。これらのテンプレートは既にかなり広範囲に用いられており、それぞれの記事で編集者は記事本文との関連づけを強調したいという意図でテンプレートを用いていると考えられ、これまでのような役割・構成のほうが利便性が高かったという意見があれば、各記事でテンプレートを廃止して内部リンクや関連項目へ移行することは容易ではないと思います。
次にテンプレートの配置について。テンプレートの役割を「節の全部と関連性を有している場合」に限定するか「節の一部でも強い関連性を有している場合」に拡張するかについては述べたところですが、実際の運用では英語版では記事間の体系性に比重があり、日本語版では記事間の利便性に比重がある傾向があるようにも思うのですがどうでしょう(感覚の域は出ませんが)。テンプレートを節の冒頭に配置する方法は、「節の全体の内容と関連性のある記事を示すために用いる」という役割で整理あるいは認識されていて、一節と独立記事とが「一対一」の関係になっている前提のもとでは、節全体のインデックスのようなシンプルな位置づけになっているのでしょう。しかし、テンプレートの役割が相対的に拡張されて認識・運用されているいる状況ではバランス関係を維持することが難しく組み合わせがよくないように思います。かといって、現時点でテンプレートの役割を限定することに理解を得られるのかどうかは既に述べたとおりですし、移行はかなり広範囲で大規模なものになります。一番避けていただきたいのは節構造やセクションの内容との調整を伴わずにテンプレートの配置だけが形式的・機械的に処置されてしまうことで、一節の内容や構成からみてアンバランスな誘導が一節の最も目立つ位置に次々と貼られていくような事態が発生するおそれがあることは指摘しました(イヌの記事のこの版の「イヌと歴史・文化」という節の冒頭に犬食文化という記事へ{{See also}}でリンクされていた問題を考えてみてください)。それは形式的にはテンプレートが節の最上部にあったとしても「節全体のインデックスのようなシンプルな位置づけ」とは大きくかけ離れたものです。
さらに、テンプレートの配置については私が前回のコメント(2013年11月4日 (月) 21:49 (UTC))の3番目に述べた疑問(これは前提部分の問題でかなり難しい)もあり、以上を総合的に勘案するとテンプレートの配置は(基本的には節の最初か最後を原則として)記事の構成や内容に従って適切に判断すべきとしておくのが最善ではないかと考えるわけです。--W-run会話2013年11月15日 (金) 19:24 (UTC)[返信]

終了提案[編集]

議論が長くなっているため、便宜的に節分けを追加します。位置・タイトルについては不適当であれば変更していただいて差し支えありません。--ikedat76会話2013年11月17日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

改めてご意見を拝聴し検討致しました結果、私もやはり「変更の要なし」の結論を、継続して支持します。もし構成に著しい問題が有るとするのであれば、それは一連のテンプレートの責ではないと言うことは既に存分に語られており、結論は出ておりますでしょう。また運用の変更には各項目の執筆者、何万と言う方にこんな細かいスタイルを押しつけると言うコストに見合うだけのメリットがありません。「一部の人間の価値観を押しつけることで生産性が下がり」「柔軟性を著しく制限し」「初心者が把握すべきルールが増える」のは、いずれもよろしくないことです(もちろんやむを得ない場合はルールが増える場合もありますが、今回はそうではありません)。大体順番が逆なのであり、もし不適切な記事があるのであれば、その各記事について、正々堂々適切なスタイル修正を行えば良いのです。一連のテンプレートの使用法の改変は事態の改善に直接係わるものではありません。「テンプレートにこう書いてあるから節分けしろ」ではなく、「Wikipediaの慣例に則り、適切なかたちに節分けしろ」が正解です。ケース・バイ・ケースに対応しきれない意味もあり、またそもそも先日も申し上げましたが、一連のテンプレートの運用に制限が設けられたなら、テンプレートを使わず手書きで「詳しくは○○参照」と書けば済む話であることもあり、変更は無益と申し上げてもよろしいのではないかと思料致します次第です。テンプレートはただの道具です。機械的にどうこうするのではなく、記事に応じてベストな構成・節分けを行っていけばそれで済む話でしょう。
と言った次第で、私には本案件について「変更の要なし」を結論として良さそうな感じに見えるのですが、皆様、如何ですか。もちろん細かい文言の変更は別問題として(もしアイディアが有れば、大意を損なわずより洗練された表現へ、と言う意味で、検討していきましょう。例えば「最初か、最後に挿入することが推奨されます。」「最初か、最後に挿入することが推奨されますが、必要であれば適切と思われる箇所へ挿入しても構いません」とする、など)。--Hman会話2013年11月16日 (土) 10:47 (UTC)[返信]

Hmanさんのご意見に賛成です。「構成に著しい問題が有るとするのであれば、それは一連のテンプレートの責ではない」「もし不適切な記事があるのであれば、その各記事について、正々堂々適切なスタイル修正を行えば良い」という点について全面的に賛成しますし、「一部の人間の価値観を押しつけることで生産性が下がり」「柔軟性を著しく制限し」「初心者が把握すべきルールが増える」のはまったく願い下げ、プロジェクトの成長の阻害にしたなりません。細かな修正レベルのものが要るのであれば、それはそれ、別に考えれば十分です。「変更の要なし」でこの無益な議論を閉めることにしましょう。--ikedat76会話2013年11月16日 (土) 12:25 (UTC)[返信]

>この無益な議論を閉めることにしましょう
またこの人のこの手のコメントか。自分のその大上段の決め付けが一番無益だろう。--頭痛会話2013年11月17日 (日) 10:40 (UTC)[返信]
コメント 私としても本件に付き「変更の要なし」を結論とすることに賛成いたします。「各テンプレートに対応する記事中の記述はどのようにあるべきか」など、もう少し議論を深めても良さそうなテーマはありますが、現状のままでも直ちに問題になるとも思えませんし、必要ならば本議論とは切り分けて改めて議論すれば良いのでは、と考えます。--WDS487会話2013年11月16日 (土) 14:35 (UTC)[返信]
何だか知りませんが、人の話を聞きたくないのであれば御自由に解散してください。私は残った人と議論しますので。
それでなるべく多くの人の意見を聞きたい、というのがKinno Angelさんの希望だったと思うのですが、現状である程度の意見が集まったという判断なのでしょうか。私には2,3人の同じ人ばかりが意見を述べていて(別に苦情を言うのではないですが)あまり多くの意見は集まっていないように見えるのですが。このまま新規の意見を募集しつつ議論を再開するという形でよいですか、それともコメント依頼を再度掲示してしばらくの間より多くの参加者が現われるのを待ちますか。すでに多くの論点が提示されているので私としてはそろそろ各論点についてコメントを行いたいのですけれども。--頭痛会話2013年11月17日 (日) 10:40 (UTC)[返信]
表情がお互い見えませんので念の為申し上げますが、皮肉と取られませんよう…)もちろん私に頭痛さんの反論コメントを止める権利はありませんし、あったとしても止めるつもりはありませんので、どうぞ御随意に適宜なさいますよう、宜しくお願い申し上げます。
議論を閉じるべき、という提案に私個人は賛成です。しかし10人にも満たない人数の中でお1人であっても議論継続を主張されれば、今のところは継続で宜しいのではないでしょうか。ただ一定期間が経てばWP:POINT#いつまでも「納得」しないに該当するかもしれませんが、【現段階では】未だ該当しないと私は考えます(そこは個々人の衡量的判断が入って来るかと存じます)。
ただ、頭痛さんが仰った「2,3人の同じ人ばかり」は、ちょっと事実誤認と言いますか、単純に数え間違いかと思われます。「4、5人」と「2、3人」が「同じようなものだ」とお考えかもしれませんが、印象操作?の疑いが残ってしまいますので、御訂正をお願い申し上げます。
なお、「頭痛さんの姿勢はWP:POINT#いつまでも「納得」しないに該当する」という御意見の方もいらっしゃるかもしれません。他の皆様、いかがですか。私は頭痛さんから異議が出された以上、【現段階では】議論継続で妥当と考えますが、異論の御有りの方はいらっしゃいますでしょうか。--Kinno Angel会話2013年11月17日 (日) 14:05 (UTC)[返信]
なんか自分のコメントを読んだら「結局どうしたいのか」が物凄く判り難かったですね。箇条書きにします。
  • 【現時点で】議論終結で合意は成立しては居ない以上、頭痛さんが反論を適宜書かれる事を誰も止められませんし、私も止めません。議論終結すべきか、というお話が【未だ進行中の間】は、反論は御随意になさって全く結構と存じます。
  • 議論終結提案に私個人は賛成票を一票入れます。
  • しかしながらそれほど多くは無い審議参加への人数の中で頭痛さんから異議が出された以上、たとえ異議が一票であっても、【現時点では】議論終結すべきではない、と考えます(一定程度時間が経てばまた変わって参りますが)。
  • 他の皆様は如何お考えですか。頭痛さんから反論表明の意向が出された現在でも、議論終結を志向されますか?(【現段階では】全会一致で議論終結すべきと思うのですが、反対票一票ではそれは無視して構わない、とお考えでしょうか?)
  • なお、これは頭痛さんからの反論進行と並行して議論して良い問題かと存じます。
  • それとは別に、取り敢えず、頭痛さんには「2、3人の発言者」という御発言は訂正頂きたく存じます。
  • (これは追加)議論継続という合意が成立すれば、私からお知らせ欄に告知を再度します意向があります。--Kinno Angel会話2013年11月17日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
「他の皆様は如何お考えですか」との事ですので、端的にお答えします。世の中の議論の類については満場一致が理想なのは間違い有りませんが、「いつまでも納得しない」方に無制限にお付き合いする必要は全くありません。当たり前のことですがそれでは何事も、決まらなくなってしまいます(それのわかりやすい例がRfAで、反対者が一名いるからとして不信任、とはなりません。75%の人が賛成するなら総意であると見なしていいであろう、との運用がなされています。削除依頼などもそうですよね)。また本件は単純な多数決ではなく、お知らせで告知された上で既に十分な議論が行われた結果であり、また同時に今のところソックパペットの心配もありません。以上により、ただ一名が反対しているからと言う理由によって議論を継続する要はありません。また、お知らせと言うwikipediaで事実最大級と言える告知を行い広く参加者を募った上で十分な議論が行われた結果の合意事項である以上、その合意には相応に強い拘束力があると考えるべきです。当たり前ですよね。ただしもちろん、新たに合意の形成に反対する方が現れるなどし、意向が相当に拮抗するなどすれば話は別です。その方のご意見を存分に伺い、より良い文案を練っていきましょう。その場合は急ぐ必要はありません。しかしそうでない場合・・・えー私が終了提案を出すかたちになりましたが、それは2013年11月16日 (土) 10:47 (UTC) 時点です。その7日後、2013年11月23日 (土) の日本時間で夜頃まで待ってみて、情勢に変化がないなら、「変更の要なし」として強い合意に至ったと見なすことにしましょう。--Hman会話2013年11月17日 (日) 14:38 (UTC)[返信]
(競合したがそのまま)はじめから議論参加している私とKinno Angel氏を除き、意見を募りはじめてから複数回コメントされているのはWDS487氏、W-run氏、Hman氏の3人です。Hman氏は引退していますので2,3人と書きました。他の意見表明者(rshiba氏、ikedat76氏)は本題に関しては1回ずつしかコメントされていません。
「2,3人の同じ人ばかりが意見を述べていて」は「複数の参加者のなかでもっぱら2,3人だけが繰り返し意見を述べている」というふうに日本語として自然に解せると思います。あなたは議論開始直後にも同じような「事実誤認」に関する訂正を私に求められましたが、もう少し言葉や文の弾力性ということを考えてください。最近出されたブロック依頼でも特定の言葉の意味範囲をあなたが狭く取りすぎているという指摘があったと思います。
それで、あなたは特定の議題参加者の間で「いつまでも「納得」しない利用者」なるものの中立的な判定が成立するとでも考えておられるのでしょうか。考えておられないのであれば無駄に紙幅を費やすだけですのでここで本題以外の余分な議題を振るのはやめてください。--頭痛会話2013年11月17日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
Hman氏が何か書いていますが、同意見のものが4,5人集まれば対立意見1,2人を無視して「合意」が成立するとでも思っているらしいですね。管理者まで務めていた者の意見とは到底思えないな。--頭痛会話2013年11月17日 (日) 14:54 (UTC)[返信]
コメント
特定の議題参加者の間で「いつまでも「納得」しない利用者」なるものの中立的な判定が成立するとでも考えておられるのでしょうか
Hmanさんの姿勢は兎も角、仰って居る内容自体は妥当と思いますね。「お知らせ」で二度告知した上での議論展開ですよ。
しかしなぜ「議論継続で良い」と言った私(ここまでで「議論継続」という結果を受け入れる事を表明したのは私一人ですよ)にまで、「2、3人」という話の訂正すらも拒み(あるいは精々「誤解を呼ぶ表現でしたねすみません」の一言すらも何故言えないのか…)、「本題以外の余分な議題を振るのはやめて」まで言われなきゃならんのか…。
意見変えます。議論終結で結構と思います。「議論継続で良い」と唯一言っている私にこの態度なのですから、まともに議論が出来るとは思えません。議論継続で良いと考える人は、今のところは頭痛さんお一人です。--Kinno Angel会話2013年11月17日 (日) 15:08 (UTC)[返信]

(インデント戻す)合意形成は全員一致でなければならないということはありません。都合の悪い意見、意に染まない意見を恣意的に無視しようとする行為を継続しながら合意不成立を唱えるのは端的に矛盾と言うものでしょう。さらに言うなら、発言しているのが「誰であるか」を基準に意見の無効を主張するのは対人論証そのものであって、論証として誤りであるだけでなく、方針に即さないものと理解します。合意形成を目指して議論をする真剣な意思があるのであれば、いずれも改められるべきでしょう。--ikedat76会話2013年11月17日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

(上二人に)ええ、ですから募ったコメントを踏まえた私の新規意見を聞くまでもなく結論が出たことにしたいのであればそういうことにしていればいいじゃないですか。私は残っている人と議論しますので。--頭痛会話2013年11月17日 (日) 15:16 (UTC)[返信]
コメント (頭痛さんへ)本件に関するご意見がまだおありなのでしたら、まず第一にそのご意見を表明されてはいかがでしょうか。今回の議論終結の提案は、議論参加者の間でしばらくの期間同一の方向性の意見のみが表明され、違う方向性の意見の表明がなかったが故のものです。それなくして上記のような一連のコメントをなされても「いつまでも納得しない」だけ、との解釈が妥当と判断せざるを得ませんが。
(他の皆様へ)頭痛さんの本件議題に関する(恐らくは違う方向性の)ご意見の内容によっては、私としては現時点では本件議論を継続としてもよいと考えます。ただ、表明されるご意見の内容によっては即時終結で全く問題ないと考える旨申し添えます。--WDS487会話2013年11月17日 (日) 15:40 (UTC)[返信]
「頭痛さんの御帰りも待ちつつ、気長にやりましょう。」という話はなんだったんですかね。論点が溜まってしまっているのですぐには全部書けませんが、おかげさまで問題点がかなり整理できてきたので議論当初とはそれなりに方向性の違った意見になるはずだと思います。変わっていない部分もあります。
なんで「即時終結」をジャッジする権能が自分にあるとあなた方が思っているのかはわかりかねますね。我々は削除依頼の審議をやっているのではないのですが。--頭痛会話2013年11月17日 (日) 16:01 (UTC)[返信]
ずっと待ってましたし、「意見無いのかな」と思って居ましたが「もう論点は出尽くしていると思うが、あるならどうぞ」とも申しました(自分としては終了と思うが継続で良い」と言ったのです)。なのにその私にまで噛み付かれたので「これは話にならない」と思いました次第です。--Kinno Angel会話2013年11月18日 (月) 00:12 (UTC)[返信]
私はあなたと対等の立場で議論に臨んでいるつもりだったのですが、あなたはどうやら自分が私に温情をかける立場にいるとでも思っているらしいですね。議論の流れから何かを決議したり結論を決めようというならその提案に対する異論の有無を一定期間確認するのは当たり前です。あなた方の裁量で決めることじゃない。
上に書いた「ここまでの論点に対するコメント」ですが、1,2ヶ月以上間を空けてから書くことになるかもしれません。他の参加者の方には悪いですが、このいきりたった人たちのいる中にいま新規意見を入れても冷静な判断が行われるとは思えません。--頭痛会話2013年11月18日 (月) 02:22 (UTC)[返信]
>あなたはどうやら自分が私に温情をかける立場にいるとでも思っているらしい
考え過ぎです。クールダウンされてはいかがですか。--Kinno Angel会話2013年11月18日 (月) 04:31 (UTC)[返信]
返信 当事者ブロック中ではありますがコメントいたします。
私WDS487が「一定期間後終了しても良いのでは」との提案を行った時点では、頭痛さんは本議論から派生した別の議論にかかっていらっしゃいましたので「時間が十分に取れないので少し待ってほしい」とのご趣旨のお申し出につき、もっともだと考えましたので受け入れております(Kinno Angelさんからも「まだ早い」との見解の表明もありましたし)。しかしながら、Hmanさんによる2回目の終了提案の時点ではそれらの派生議論の多くは終結していますので、一定程度のリソースを頭痛さんが本議論に振り向けることは可能であったものと考えます。事実、頭痛さんの編集履歴を拝見します限りは、本議論とは直接結びつかない件に関しても新たにコメントなどされておられるようですし。かかる状況下で、本議論につき意見の表明を複数の方から促されているにもかかわらず一向になされないのであれば、もはや表明すべき意見がないものとの判断がなされても仕方がないのではないかと考えます。
私としては自分自身による終了提案の時点で「もはや議論終了でよいのでは」と考えているわけですから、その後「変更の要なし」との方向性の意見のみが追加され、私以外の方から議論終了提案がなされたのであれば、賛成しない方がむしろ不自然です。確かに「気長にやりましょう」とのご意見を受け入れる旨の表明はいたしましたが、「もう意見は出ない」と判断するに足る状況であれば、いたずらに議論を延ばす必要も感じません。「終結していない議論」は、特に意見表明など行わなくてもそれだけでゼロではないリソースを費消するのですから。とはいえ、頭痛さん(無論のことその他の方でも)が本件につき新たな角度からの意見表明をされるのであれば、改めて当該意見につき議論するつもりでありました。
以上、頭痛さんからのご指摘に対する私の返答です。--WDS487会話2013年11月19日 (火) 13:04 (UTC)[返信]
コメントを付けた位置が悪かったみたいですが、「「頭痛さんの御帰りも待ちつつ、気長にやりましょう。」という話はなんだったんですかね。」も「何だか知りませんが、人の話を聞きたくないのであれば御自由に解散してください」もWDS487さん個人にというより議論の流れ全体に向けて発したコメントです。WDS487さんがとりあえず聞くだけは聞こうという立場を表明されていたことはしっかり理解しております。
派生議論のうち、Template‐ノート:Retiredについてはすでに行われた変更に対する異論を述べている人物が納得しているのかどうか依然不明であり、したがって議論終結したのかどうかはっきりとはわかっていない状態でした。場合によってはまだ長いやりとりが続く可能性もあり、要するにまだ様子を見ていた段階でした。他の議論や編集に加わっていたとのことですが、下にも書いたように1か月分の論点が溜まっておりどうしても長文になるため後回しにしていたというだけのことです。結論を決めてもいいのではないかといったことが言われ始めたのが11月16日 (土) ですが、その前日までにはW-run氏がまだかなり長いコメントをつけていました。これをさらに踏まえたコメントを容易に行えるはずはないのは自明のことであると思います。
どちらにしろ「結論を決めよう」という話であるなら「1週間待ってさらなる異論がなければこれこれを結論とします」というふうにするのがノートでの当たり前の流れであって、確認期間も取らずに無理やり結論が決まったことにするというような方途を取ることになんら正当性はないのです。上のように通常の流れで結論の確認が行われていれば私も「話を聞く気がないなら勝手に解散しろ」ではなく「言ってない意見があるからまだ締めるな」と普通に書くことができたでしょう。--頭痛会話2013年11月22日 (金) 09:34 (UTC)[返信]
WDS487さんがとりあえず聞くだけは聞こうという立場を表明されていたことはしっかり理解しております。
私も同様に言っていたことは理解していますか?--Kinno Angel会話) 2013年11月22日 (金) 11:55 (UTC)投稿位置変更--Kinno Angel会話2013年11月22日 (金) 11:56 (UTC)[返信]
コメント 管理者伝言板での混乱を見てこちらに来ました。何点かコメントいたします(インデントを戻しました)。
  • 上でWDS487さんもコメントしていますように、頭痛さん自身の意見を表明してもらえなければ何も始まりません。少なくとも、ただ議論継続を唱えるだけでは、現状維持でいいという人から見てみれば何を議論すべきなのかも判然としません。
  • 「1,2ヶ月以上間を空けてから書くこと」も構わないでしょう。ただし、頭痛さん以外に議論継続の声がない状況では、誰かが終了を宣言しなくとも、議論が停止して事実上この案件がクローズとなってしまうことも十分に考えられます(むろん、再提案することはできますが)。--Jkr2255 2013年11月18日 (月) 09:49 (UTC)[返信]
上にも書きましたが、1ヶ月分の論点が溜まっているのでぱっと意見を書くことはできません。なのでまだ言っていないことがあるから勝手に締めるなということだけを先に表明しています。別におかしなことではないはずです。
2段目に書かれている通り、私が何も書かなければ自然に「現状維持」になって提案が流れるのですからそもそも「議論のクローズ」を宣言する必要性がはじめからありません。依頼系のページじゃあるまいし、ノートの議論では普通はそういうふうに進行するはずです。提案者が提案を引っ込めるというのならともかく、提案に対する反対者が結託して「議論をクローズしよう」などと言い始めるのがどだいおかしいのです。--頭痛会話2013年11月18日 (月) 10:33 (UTC)[返信]

報告 上記「頭痛」アカウントを利用する人物は、その言行を省みるに各種方針の熟読が必要として、管理者により通算2回目となる3日間の投稿ブロックが設定されました[1]。まあ、約3日はレスが行なわれる事は物理的にありませんと言うことで、ブロックの実行に関しましてはお気づきでない方も多いでしょうから、僭越ながらご報告させて頂きます。--Hman会話2013年11月19日 (火) 08:38 (UTC)[返信]

コメント「通算2回目」などと書かれていますが、一回目のは3年も前に3rrで一日ブロックされたにすぎません。
少々リップサービスが過剰であったために3日ほどのブロックが実施されましたが、上のように私を「納得しない利用者」扱いして強引に議論を締める、というような議論運びが正当化されたわけではまったくありませんので他の方も誤解のないようにお願いします。Hman氏のほうにも挑発的な言動があったことは第三者からも指摘がありました。
上に書いたとおり私の意見は1~2ヶ月くらい後に書くことにする予定です。--頭痛会話2013年11月22日 (金) 09:34 (UTC)[返信]

コメント 上記の頭痛さんの私宛のコメントに対する返信を書きましたので、この位置にもその旨を記します。--WDS487会話2013年11月19日 (火) 13:04 (UTC)[返信]

コメントこの議論には初めて参加させていただきます。頭痛さんもクールダウンしていただけたと思います。さて、クールダウンもしたこの段階になってもまだ「私の意見は1~2ヶ月くらい後に書くことにする予定です。」では他の議論参加者は困ります。それならば他の多くの方が言われているように変更無しで一旦この議論は終らせて、1~2ヶ月くらい後に改めて新規に提案されるのがいいでしょう。1~2ヶ月くらい後に示される頭痛さんの意見がもっともなもので皆が納得できるものであるならば意見もまとまりましょう。意見を表明されないのならば現状維持とせざるを得ないでしょう。議論は多数決でもないけれど、全会一致が必要でもないです。今のところは変更無しで大勢であり、頭痛さんが大勢を引っ繰り返せる意見を出せないのですからで変更なしで終らせるべきです。頭痛さんは意見は言わない納得もしないでは「いつまでも納得しない」と言われても仕方ないです。(なにも今日の明日で意見を出せとは言いませんが、1~2ヶ月くらい先では議論になりません)--ぱたごん会話2013年11月23日 (土) 04:41 (UTC)[返信]

私の「新規意見」というのはこれまで各氏から出されている意見・論点を一つずつ論じながら別の観点を出していくという形になるので終わられると困ります。「新規提案」という形だけではなぜそう考えるに至ったのかが伝わりません。
この議論が「続いている」という体裁になっていようと「いったん終了している」という体裁になっていようと私が何か言わない限り現状が維持されているという状況は変わりありません。「1~2ヶ月くらい先では議論になりません」というのはなぜでしょうか。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 05:20 (UTC)[返信]
自分の意に染む結論が出るまで「議論は終わっていない」と主張するのがWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの典型でなければ何なのでしょうか。なぜ、「1~2ヶ月」、それも誰も耳を傾ける気を失っている利用者たちが頭痛さん一人を待たなければならないのでしょうか。この議論が「現状から変更なし」で閉じられたとしても、再提案する機会はあるし、それまで「残務整理」で利用者:頭痛アカウントをお使いになればよろしいでしょう。これでは、ただ単にこの議論のクローズをただ阻みたいだけのことでしかありません。--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 06:07 (UTC)[返信]
「結論」もなにも、私はこの議論の前半でしか意見を述べていません。述べなかった(述べられなかった)理由、1、2ヶ月あける理由ともに前述しました。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
堂々巡りですね。これは頭痛さんの提案は合意に至らず、「現状から変更なし」で終了としましょう。頭痛さんは自分の意見をまとめて、その後に再提案して下さい。--ぱたごん会話2013年11月23日 (土) 06:29 (UTC)[返信]
繰り返しではありますが、同意見です。そもそも、前半でしか意見を「述べられなかった」のではなく「述べなかった」のでしょう。相手の利用者ページに張ってあるテンプレートを口実に、異論を唱えた相手の意見を無視しようと、各所に議論を拡散し始めたのはご自身であり、そのような行動を私も含めて誰一人強要したわけでも何でもありません。議論から逸脱したのも余計な議論でいなくなったのも、すべてご自身の勝手でしょう。現に発言をして議論をしている利用者がいるという事実から逸脱し、相手が要求してもいない「特権扱い」を問題にするのではなく、事実を相手にするべきでした ---- ほんとうにまじめにこのテンプレートに問題を感じているのであれば。説得できるロジックを提出することがまずやるべきことだったのに、その機会を自ら捨てたことを都合よく忘れないでください。--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 06:33 (UTC)[返信]
手短に。ご自身の意思と責任で生じさせた機会逸失の責めを他者に負わせないでください。--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 07:00 (UTC)[返信]
意見を集めていた段階だったのですから、少なくとも途中までは意図的に自分の意見を言うのを控えていたのですが。
スピンアウトした議論の性質と、特定の利用者の意見を聞かないで議論を閉じることとは何の関係もありません。前述したようにそもそも「議論を閉じる」という手続きを行う必然性がありません。「結論が決まったことにして議論を閉じる」ことに合意する気はありません。
「機会」は議論では「まだ言っていない意見がある。長いから少々待て」ということを表明する機会があれば十分です。「少々」でなくなった理由は前述しました。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 07:03 (UTC)[返信]
「異論を唱えた相手の意見を無視しようと、各所に議論を拡散し始めた」などと堂々と中傷を書くのはやめてください。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 07:13 (UTC)[返信]

井戸端にトピックを作成するにあたってのご発言(自分を「現役の利用者ではない」という、いわばWPとなんら利益関係のない第三者のような特別な立場に置きながら、他の現役利用者と同等に議論に参加するというのは公正な議論態度とは思えません。また野次馬的な参加のようにも感じられ少々不快でもありました。2013年10月16日 (水) 17:14 (UTC))を指して相手の意見ではないものにもっぱら向き合っていると申し上げています。

これに先立つ前段では、{{retired}}を云々した挙句に「ではさしあたり無関係な人物からの意見として考慮からはずすという形をとらせてもらいます。」(2013年10月16日 (水) 16:15 (UTC))「私の中でではなくて、議論における意見としてです。」(2013年10月16日 (水) 16:22 (UTC))と発言なさったことを指して、「意見を無視」と申し上げています。[返信]

「私の中で」特定の相手の意見を無視することは個人の自由として許されなければなりませんが、合意形成を求めているはずの場で(方針にもガイドラインにももとづくことなく)「議論における意見として」無視することはウィキペディアンの行動規範からの逸脱というものです。これらのご発言がそうした不適当な趣旨のものではないというのであれば、どう解すればよろしいのでしょうか。

こうしたことを踏まえるなら、他者の意見を尊重しない方が自分の意見を尊重せよ、と唱えるのは端的に矛盾であるかWikipedia:腕ずくで解決しようとしない以外の何であるのか分かりません。--ikedat76会話) 2013年11月23日 (土) 07:30 (UTC)typoおよび下線部追記。--ikedat76会話) 2013年11月23日 (土) 07:41 (UTC)typo.--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 12:13 (UTC)[返信]

1つ目のリンク。相手の意見に関する議論ではないからここの議題とは無関係に井戸端で提起しているんですよね。
2つ目と3つ目のリンク。「じゃあ考慮からはずしますよ」と書いたあとHman氏は「一時復帰中」というふうに活動中であることがわかるように利用者ページに書き加えられました。それでもテンプレートはやはり不適切だろうと思い上のように井戸端で提起はしましたが、「考慮からはずす」というようなことは利用者ページに書き加えが行われてから一切繰り返していないし井戸端でも「こうした利用者は無視すべきだ」というようなことはまったく言っていません。私に一方的に悪意を想定したあなたの完全な思い込みです。
上のような想定から、私の現在の意見を聞くまでもなく強制的に議論を閉じるべきだ、ということを述べられているあなたの議論運びのほうこそ不適当です。人の議論態度をもとに意見を無視する、ということをいままさにやろうとしているわけですから。-頭痛会話2013年11月23日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
そもそも不適切な利用者だからその不適切な利用者がとったのと同じ不適切な方法でその不適切な利用者を遇しよう、という発想が根本的におかしいでしょう。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 07:52 (UTC)[返信]
2013年11月23日 (土) 07:52 (UTC)のご発言に対して。違います。他者の意見に相互に耳を傾け、対話により合意形成するという、ウィキペディアでの決定の前提から頭痛さんの発言が外れていると申し上げています。無視発言について相手への取り消しも謝罪もなしでは、そもそも意思決定に参加する前提に乗っているとは思えません。--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 07:59 (UTC)[返信]
言い回しを変えているだけでやっていることは「人の議論態度をもとに意見を無視する」ですよ。違いません。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 08:05 (UTC)[返信]
私個人が決定の前提からはずれている、だから無視していい、というようなことはあなたの一存や特定の議論参加者の内々の決定で決めていいようなことではありません。私が本当にそのような利用者であるのなら投稿ブロック依頼を出すべきです。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 08:15 (UTC)[返信]
頭痛さんの提案は合意に至る可能性は現段階ではありません。ですから終了です。--ぱたごん会話2013年11月23日 (土) 07:35 (UTC)[返信]
私の最初の提案は無論合意に至る段階ではないでしょう。ですからその提案は表にはまったく反映されていません。それは議論が続いているかどうかということとは無関係です。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
(追記)「議論はいったん閉じる」が、過去の議論で述べられた意見・論点に対して新たな意見をつけるかたちで誰でも自由に旧議論ないしその議題についての議論を再開することができる、ということが確認できるなら別に「議論はいったん閉じる」でも構いはしないのですが。要は「もう結論が決まったことだから頭痛の意見は今後聞く必要はない」とか「頭痛は納得しない利用者だから議論の再提起は許さない」というようなことが正当化されなければそれでいいのです。しかしどちらにしろ私は1,2ヶ月後に意見をつけて議論を再開すると言っているのですから同じことだと思いますが。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 08:02 (UTC)[返信]
コメント 充分に説得力のある提案なら別に改めて提案しても採用されうる、そして説得力がなければこの場で出しても却下される、ウィキペディアの議論は基本的にそういうものでしょう。むろん、再提案の場合は以前の議論にあった点を踏まえて、それに対応する「べき」なのも間違いないところです。--Jkr2255 2013年11月23日 (土) 08:26 (UTC)[返信]
無論そういうことだと思います。「頭痛が言ってることだから何言おうと即時却下」ということにされかかっていることを危惧しているんですよ。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 08:32 (UTC)[返信]
少なくとも、ある程度は頭痛さん自身が招いてしまったことでしょう。議論すべき意見が何もない状況下で「クローズせずに1~2ヶ月待ってくれ」と議論参加者に待ちぼうけを食らわせるようでは、心証を悪くするのはほぼ当然です。--Jkr2255 2013年11月23日 (土) 09:00 (UTC)[返信]
ある程度ならまあそうですね。それは意見の即時却下みたいなことを正当化するものではありません。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 09:03 (UTC)[返信]
「1,2ヶ月」ということを言い出したのはブロック依頼などが行われ始めた後ですよ。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 09:05 (UTC)[返信]
1日か1年かすら分からないまま、単に「待ってくれ」では、相手に与える戸惑いは余計に大きかったでしょう。--Jkr2255 2013年11月23日 (土) 09:13 (UTC)[返信]
私その時点では「そろそろこれまで出た論点にコメント付けはじめたいんですけどいいですか」と言うことを言っていたんですけれども。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 09:15 (UTC)[返信]

事実に反することを言うなと二言目には口にするのに、ご自分はするのですか?HmanさんやKinno Angelさん、WDS487さん、そして私がいずれも頭痛さんのご意見に賛同することなく改定なしを結論としようとしているのは、ご自分の意見が説得力を持たなかった結果でしょう。当初の提案時も提案についての説明や事例の提示を求められると渋り、途中からは説得力を持たせるための機会を自ら逃したのもご自身でしょう。会話ページでは自分のコミュニケーションのやり様は引き受けると断言しながら、まったくその通りになっていないではありませんか。それでいて、上記のような発言をするのはいいかげん誹謗というものです。--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 08:42 (UTC)[返信]

ここは私の議論態度を論じる場ですか? あなた方がまだ言ってもいない私の意見をあらかじめ却下する権利はありません。それだけの話です。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 08:47 (UTC)[返信]

コメント(頭痛さんへ)何はともあれ、部分的でもよいので本件議題に関してのご意見をなるべく早くこちらで表明していただくわけには行かないものでしょうか?不完全な形での意見投下は不本意だとは思いますが、この状況下ではやむなきことではないかと私は考えます。私がこの場で行いたいのは本件議題についての議論であって、その他の派生議論には限られたWikipediaリソースを費消したくありません。--WDS487会話2013年11月23日 (土) 10:43 (UTC)[返信]

部分なり完全なり、今この状況から意見を続けても正常な議論が行われるとは思えないです。--頭痛会話2013年11月23日 (土) 10:47 (UTC)[返信]

報告 完了利用者:頭痛さんは「リタイア」「活動をやめました」[2][3]とのことです。なお、どのようなテンプレートもお使いではない様です。終了しましょう。--ikedat76会話2013年11月23日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

確認 通常はあえてこのようなことをしないかとは思いますが、何せ議論開始から今回の終了までが長大であり(今回の議論提起前までは12,000バイト程度だった本ノートが100,000バイト以上増加しています!)、さらに議論本題の進行とは直接結びつかない部分も多々ありますので、後に本議論を参照される方々のためにごく簡単にまとめをこの位置に記しておこうと思います。お手数ですがまとめとして問題があるようでしたらその旨をご指摘下さい(あえて指摘するほどの問題点がないようでしたら「沈黙をもって同意」で結構です)。
  • 提案者よりなされた「これらのテンプレート類({{see also}}、{{see}}、{{main}}、{{main2}}の計4テンプレート)は『節全体と密接に関わる別項記事を示すために節の冒頭に用いる』ものと明確に定義」との提案(2013年10月13日 (日) 13:20 (UTC)付)について、提案時におけるテンプレート説明文である「これはその節に関連するリンクを生成するテンプレートです。見出しを付けた節の最初か、最後に挿入することが推奨されます。」の「改定は要しない」ことを結論とする(2013年4月29日 (月) 13:10 (UTC)において成立した合意を維持する)。
  • 今回の結論につき新たな視点を提示して議論を求める利用者(今回の議論の参加の有無を問わず)が現れた場合は、本議論とは切り分けて改めて議論を行う(Wikipediaにおける慣習のとおり)。
以上です。--WDS487会話2013年11月24日 (日) 09:36 (UTC)[返信]
  • 紆余曲折ございましたが、多くの方がおおよそ妥当と思われるところに、即ちいわゆるところの最大多数の最大幸福で着地できたことを、大変嬉しく思います。議論にご参加頂いた皆様方、大変お疲れ様でございました。確かに本件は多くのテンプレート、いやそれどころか記事のスタイルにまで関わる案件でございましたから、Kinno Angel氏が「お知らせ」を用いられたことはいわゆる「ファインプレイ」「グッジョブ」であったと思います(仮に最初に居合わせたのが私であったとして、私にそういった「必要なこと」ができたかのか、そんな度胸が有ったのかと問われると、全く自信が有りません!ご尊敬申し上げるよりございません)。コメント依頼程度ですと、議論参加者も数分の一になっていた可能性があり、議論が不十分なままに終わっていた可能性もございます。さすがにもう私が関わることはないとは存じますが、今後とも必要でしたら、十分な周知の上で、十分な人数を集め、活発な議論が行われる様、調整して頂けるものと期待します。今後の皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。--Hman会話2013年11月24日 (日) 15:05 (UTC)[返信]
  • コメント WDS487さんの2013年11月24日 (日) 09:36 (UTC)のまとめに同意。議論に参加された皆様、お疲れ様でした。私は提案者でも司会でも何でもありませんが、一参加者として他の参加者の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。--Kinno Angel会話2013年11月24日 (日) 15:48 (UTC)[返信]

報告 まとめに対し特に異論は出ず、同意の旨明示いただけた方もおられました。提起から1週間以上が経過しておりますので、特にご意見を表明されなかった皆様からも黙示的な同意をいただけたものと考えます。ありがとうございました。--WDS487会話2013年12月2日 (月) 16:03 (UTC)[返信]

概念上の留意点について[編集]

コメント テンプレートの使用方法の問題とは別の観点から英語版の文書との比較によって概念上留意されるべきかと思われることがありますので記します。

先の議論で英語版のハットノートの話が出ていましたが、日本語版のWikipedia:ハットノートについては理由はよくわからないのですが話に上っていませんでした。現在これらの文書とは関連づけも特になく矛盾等の問題は生じていないと考えますが、英語版のen:Wikipedia:Hatnoteと日本語版のWikipedia:ハットノートでは大きな隔たりが存在しているように見受けられることから「ハットノート」の概念について留意すべき点があるように思います。先の議論の英語版でのハットノートとしての運用という観点は、あくまでもテンプレートの役割の問題として扱われたと記憶していますが、概念の問題と観点が錯綜しているようにも見受けられるからです。

まず、2013年4月29日の合意の前後を問わず現在まで{{see also}}等のテンプレートは日本語版で「ハットノート」に含まれているという前提はとられていないものと理解します。

先の議論で英語版との比較により議論されている箇所がありますが、「英語版でのハットノートとしての運用」というときに実質的にその根拠とされているのはen:Wikipedia:Hatnoteではないかと推量され、英語版のen:Wikipedia:Hatnoteを見ると確かに{{see also}}等のテンプレートがリストに登載されているようです。しかし、日本語版のWikipedia:ハットノートを見ますと、「ハットノート」の定義について「記事の冒頭に置かれる短い注」となっており、配置という節では「ハットノートは記事の最上部、画像やナビゲーションテンプレートの前に置いてください。」と指定されていて、{{see also}}等のテンプレートも今のところリストに登載されていません。

先の議論で{{see also}}のテンプレートが記事全体の冒頭に使われている場合があるという問題事例の紹介がありました。たしかに{{see also}}というテンプレートを「記事全体の冒頭」に使うべきでないことは共通の認識かと思います。ところが、これを今の日本語版でのWikipedia:ハットノートの内容に照らしてみますと、この文書の「配置」節で「ハットノートは記事の最上部、画像やナビゲーションテンプレートの前に置いてください。」となっているため、仮にこのまま{{see also}}等のテンプレートが日本語版でも「ハットノート」であるという前提となると、先に問題と指摘された事例は日本語版のWikipedia:ハットノートとの関係ではいったいどうなるのか説明が必要となるわけです。

英語版でのハットノートとしての運用という場合に、機能面のみの話ではなくて、概念も機能もそっくりそのまま導入しましょうという主張だとしてもそれが一つの主張として成り立たないわけではありませんし、そういう主張であればここで指摘しているような役割の問題と概念の問題との注意点もあまり考慮する必要はありません。しかし、間接的な論拠が英語版のen:Wikipedia:Hatnoteから出てきたものだとすると、より直接的な論拠とされるべきはずの日本語版にあるWikipedia:ハットノートのほうが2008年以降未だ正式化されていない文書であるという事実をどうみるべきか戸惑いがないわけでもありません。また、現に日本語版のWikipedia:ハットノートには「ウィキペディア日本語版の現状とは異なります」と脚注によって注意書きが示されていて英語版と差異があることを事実として認める格好になっており、Wikipedia‐ノート:ハットノートではWikipedia‐ノート:ハットノート#失効の提案という議論が行われ参照の少なさや英語版に固有の内容の多さといった趣旨での指摘も行われています。先の議論はあくまでもテンプレートの配置という機能に的を絞って議論が行われたものと認識しております。しかし、概念上の命題、つまり英語版ではハットノートであるという命題から直結させるように議論が展開されているようなところも見受けられるのですが、この命題を日本語版でもそのまま受け入れるとするならば主張の違いという以前に日本語版のWikipedia:ハットノートの注意事項にあるような既に存在している英語版との差異(例えばハットノートのリスト形式化等)のほうはどう処置されることになるのかなとも思うのです。

いずれにしましても、英語版との関係とは別次元の問題として、仮に将来的に「ハットノート」という概念を前提とした何らかの整理が行われることとなるときは日本語版にある文書で相互に意味合いが統一されるよう配慮が必要かと思います。日本語版での「ハットノート」の概念の扱いと機能面での英語版との関係とは必ずしも直結するものではないと考えていますが、日本語版にある文書の間で同一の概念であるにもかかわらずばらつきが生じますと混乱を引き起こす原因ですので、議論上で検討のために参考として提示されるのは別として、規定上などで一定の意味を持つ概念として用いる場合には統一的な運用が行われるよう留意する必要があると思います。--W-run会話2014年10月4日 (土) 07:42 (UTC)[返信]

#が番号として扱われる[編集]

{{see also|#在日韓国・朝鮮人の参政権}}[4]などが

「#在日韓国・朝鮮人の参政権」も参照

ではなく

「[[:

   1. 在日韓国・朝鮮人の参政権|#在日韓国・朝鮮人の参政権]]」も参照

と表示されてしまうようになりました。修正していただけないでしょうか。よろしくお願いします。--Jjok会話2017年11月9日 (木) 15:25 (UTC)[返信]

コメント 先日追加された箇所(差分)が影響しているようです。理由は不明ですが、# から始まる文字列を{{#invoke:String|match|~でマッチさせると戻り値が改行されています。--Frozen-mikan会話2017年11月9日 (木) 16:27 (UTC)[返信]
最近なんですね。一旦該当の編集を取り消し、利用者:fryed-peachさんにその旨をお知らせしておきます。英語版をちょっと見てきたんですが、|のすぐ後に#で節を加える例示がなかったので、それに関連するエラーなんでしょうかね。--Jjok会話2017年11月10日 (金) 01:33 (UTC)[返信]
情報 fryed-peachさんの変更の目的は、Template:See alsoTemplate:Mainの引数にカテゴリーページや他言語版記事を指定するとエラーが発生するのを修正するためと思われます。Template‐ノート:Main#他言語版記事に対して使用された場合の動作不良についてWikipedia:バグの報告#Template:Mainを他言語版記事に使用すると正常動作しないもご覧ください。--侵入者ウィリアム会話2017年11月10日 (金) 02:03 (UTC)[返信]