UTエアー120便墜落事故
機首部分の残骸 | |
事故の概要 | |
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日付 | 2012年4月2日 |
概要 | 着氷による離陸時の失速 |
現場 |
ロシア・チュメニ 北緯57度09分26.4秒 東経65度16分00秒 / 北緯57.157333度 東経65.26667度座標: 北緯57度09分26.4秒 東経65度16分00秒 / 北緯57.157333度 東経65.26667度 |
乗客数 | 39 |
乗員数 | 4 |
負傷者数 | 10 |
死者数 | 33 |
生存者数 | 10 |
機種 | ATR 72–201 |
運用者 | UTエアー |
機体記号 | VP-BYZ |
出発地 | チュメニ、ロシチノ国際空港 |
目的地 | スルグト、スルグト空港 |
UTエアー120便墜落事故(UTエアー120びんついらくじこ)は2012年4月2日にロシア・チュメニ発スルグト行きの国内旅客便、UTエアー120便(機材:ATR72-201)がロシチノ国際空港を離陸直後に墜落し搭乗していた43人のうち33人が死亡した事故である[1]。
機体
[編集]事故機は仏伊合弁のATRが製造したATR72-201であり[2]、バミューダ諸島で VP-BYZ として登録されていた[3]。製造番号 (msn) は332であり、1992年に製造され同年10月20日に初飛行した。同機は1992年12月16日にトランスアジア航空に引き渡され、2008年7月にUTエアーで就航するまでにフィンエアーとアエロ・エアラインズで運用されていた[4]。
事故の概要
[編集]同機はチュメニのロシチノ空港を離陸直後に墜落した。事故は現地時間7時35分 (01:35 UTC) に[3]、主滑走路の末端から約1海里 (2 km)南西、ゴルコフカ (Gorkovka) 村付近で発生した。空港から約1マイルの地点に緊急着陸しようとしたとみられる[5]。搭乗者43人のうち31人が死亡し12人が生存した[6]。ある文献には運航乗務員は4人全員死亡したと記述されているが[3]、別の文献には副操縦士は生存したと記述されている。生存者12人は全員重傷を負っており[5]、チュメニの病院へ搬送された[3]。その後まもなく死者数は33人に増加した(生存者は10人)[1]。
UTエアーは同便の搭乗券を40枚販売していたが、ハンティ・マンシ自治管区・ユグラからの乗客(1人)は搭乗していなかった[7]。乗客の中にはスルグトネフテガスの取締役会の一員、ニコライ・メドヴェージェフも含まれていた[8]。
事故調査
[編集]当局は目撃者が墜落の際にエンジンから煙が出ていたと報告したため、調査団は技術的な故障の可能性に可能性に焦点を当てていると述べた。事故機のフライトデータレコーダーは良好な状態で回収された[7]。
国家間航空委員会 (MAK) は2013年7月16日に最終報告書[9]を発表した。事故原因は乗員が雪や氷が付着しているのに気づいていたにもかかわらず除氷せずに出発したことであり、その結果、離陸上昇中に失速したと断定された。乗員は失速に気づいていなかった。報告書ではいくつかの要因も挙げられ、それらは航空会社の安全性の欠如及び訓練不足と関係があった[5]。
脚注
[編集]- ^ a b “До 33 возросло число жертв авиакатастрофы под Тюменью”. ИТАР-ТАСС (2012年4月20日). 2012年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月26日閲覧。
- ^ “Тюмень: в спасательных работах задействовано более 230 человек [Tyumen in rescue operations involving over 230 people]” (Russian). NewsProm.ru. 2 April 2012閲覧。
- ^ a b c d “Russian plane crashes in Siberia”. BBC News. (2 April 2012) 2 April 2012閲覧。
- ^ “ATR 42/72 – MSN 332 – VP-BYZ”. Airfleets. 2 April 2012閲覧。
- ^ a b c Hradecky, Simon (17 July 2012). “Crash: UTAir AT72 near Gorkovka on Apr 2nd 2012, lost height in initial climb”. The Aviation Herald. 17 July 2012閲覧。
- ^ “Plane crash in Siberia kills 31”. USA Today. (1 April 2012). オリジナルの2012年4月2日時点におけるアーカイブ。 2 April 2012閲覧。
- ^ a b “UTair passenger plane crashes in Siberia, killing 31”. BNO News (2 April 2012). 2013年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2 April 2012閲覧。
- ^ “На разбившемся под Тюменью самолете находился член совета директоров Сургутнефтегаза Николай Медведев”. Interfax (2012年4月2日). 2012年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
- ^ INTERSTATE AVIATION COMMITTEEAIR ACCIDENT INVESTIGATION COMMISSION. “FINAL REPORTON RESULTS OF INVESTIGATION OF ACCIDENT” (pdf) (英語). Aviation Safety Network. 2019年2月閲覧。
外部リンク
[編集]- Ranter, Harro. “ASN Aircraft accident ATR 72-201 VP-BYZ Tyumen Airport (TJM)”. aviation-safety.net. 2019年2月3日閲覧。
- UTエアー
- ロシア非常事態省
- フランス航空事故調査局
- 国家間航空委員会: "2 апреля ATR-72 № VP-BYZ."
- ロシア保健・社会開発省: "На встрече с Президентом РФ Министр Татьяна Голикова рассказала об оказании медицинской помощи пострадавшим при крушении пассажирского самолета под Тюменью." (Archive)
- 残骸の写真 その1
- 残骸の写真 その2
- 残骸の写真 その3