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利用者:Mr. 辛口

ウィキプロジェクト アナウンサー参加について

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この利用者はウィキプロジェクト アナウンサーに参加しています。

全ては永井美奈子から始まった。

よく見るテレビ番組系列はフジテレビ系、日本テレビ系。現住地は東海地方

よろしくお願いします。

目下鋭意作業中

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メモ

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私の考えや方針についてまとめていきます。

Wikipedia執筆の参考書の紹介

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次の2冊は、初心者が執筆スタイルを確立するのにも、熟練者が執筆スタイルを整理するのにも役立つであろう。

  • 木下是雄 『理科系の作文技術』 中央公論新社、1981年、ISBN 978-4121006240
主に大学生や研究者向けに、科学論文やレポートの書き方をまとめたロングセラー。科学論文の執筆スタイルはWikipediaの執筆スタイルと同じではないが、おおいに参考にできる。
  • 共同通信社 『記者ハンドブック』 共同通信社、2005年、ISBN 978-4764105485
「できる」を「出来る」と漢字で書くか平仮名で書くかなど、表記のゆれを統一するための指針として一般によく使われている本である。

という情報をどこか目に触れやすいところに書いておきたいのだが、どこに書けばいいだろう。

擬似Bot行為はやめてください

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これは私の独自研究です。

擬似Bot行為とは?

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特定の主張を広めたり、いたずらをしたりするために、あるいは、Wikipediaに貢献したい気持ちが強いあまり、無理に多くの作業をしようとして、「擬似Bot行為」に走るユーザーがいます。

Wikipediaにおける「擬似Bot行為」を定義すると、短時間に多量の編集をこなしたり、漫然と編集を続けたり、意図的に注意を怠ったりすることで、記事の品質の向上・維持に必要な、情報の出し入れや注意力といった人間の知的活動能力が鈍り、実質、機械の行う単純作業と変わらないような状態で編集作業を続ける行為を指します。独力で推敲ができるように関連知識を準備しつつ、いくつも続けて編集していく行為は、1日にどのくらいまで可能でしょうか。10件は下回らないと思います。すでに基本的な事柄が記述された段階の記事に対しては、50件を上回ると、品質を落とす危険性が高くなりそうです。十分に時間のある人でも、1日に数十件が限度と言えるかと思います。一部の天才にはそれ以上の件数をこなす能力があることを否定しませんが、そうであったとしても、ネット上では初対面の相手に自分がそのような天才であることを証明する手段がないことを、その人は知っているべきです。そのような天才がWikipediaで取れる選択肢は、自分が凡庸な人間の一人として見られることを前提に集団作業に加わるか、集団作業、すなわちWikipediaの編集に加わらないかのどちらかしかありません。

Wikipediaが一般の百科事典の同等以上の情報を持つに至った今では、編集者に多産であることは求められません。また、もとよりWikipediaには速報性は求められません。一度に作業する量を減らすことは、注意力を維持すること、もし間違いがあった場合に、気付いて修正する別のユーザーの負担を軽減することの両方で効果があります。記事をカテゴリに入れるのような単純作業であっても、一定の注意力を保った状態で作業することが望まれます。ある記事がそのカテゴリに対して過去には確かに所属していたが、ずいぶん時間が経過している場合など、個別の判断が必要なケースがあります。本当にごく単純な編集が、人間には苦痛なほど多数の記事に必要な場合には、後述する本物のBotの方がより適任です。Botが行った編集であることがわかっていれば、Botの振る舞いは予想可能なものなので、Botの犯した誤りは人間のものよりも発見・修正が容易です。

「本物」のBot

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インターネット上で使われるBotと言えば、一定の条件・手順に従い、インターネット上にバラバラに存在する情報を収集して利用しやすい形にまとめたり、数多くのページに一律に決まりきった変更を加えたりするプログラムを指します。Wikipediaでも、Wikipedia:BotにあるようなBotが使われています。Botは正しく使えば有用ですが、使い方を誤ると、記事の内容を壊したり、システムにダメージを与えたりする可能性があります。Wikipediaはこのような危険を避けるために、Botを使用する際は承認手続きを経ることを求めるなどの努力をしています。

Botも人間も、Wikipediaのサーバーにとって、見かけ上は変わらない存在です。もしBotが人間のふりをしてWikipediaの記事に編集を加えたとすると、ネット上では情報の発信者について知ることのできる情報は限られていますから、人間が加えた編集と見分けがつかないことがしばしばあります。あらかじめプログラムされていない例外的なケースに出会うとおかしな挙動をする点や、人間にしてはあまりに正確に、多量の作業をする点などの特徴から、Botの可能性が疑われることはありますが、書き込みの頻度が人間の能力を明らかに上回っている場合などを除いて、現場がどうなっているかを見ない限り、書き込みの主がBotか人間かを最終的に判断することは不可能です。(Wikipediaでは、使用開始前にどのような働きをするBotかを報告し、Botによる編集にはそれとわかる目印を付けるルールがあります。)

現在の擬似Bot行為の位置づけ

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現在のWikipedia:Botを読みますと、ほぼ完全に自動化されたBotを想定しているように思われます。全自動でなく、部分的に人間の手を介して実行される「半自動Bot」も存在します。そのようなBotは、全自動のものほど大規模な変更はできないけれど、その分手の込んだ編集をさせることができます。半分以上の作業を人間の手で行う場合、それはおそらく一般的な意味でのBotとは呼べません。例えば特定の文字列を含む文章を検索で抽出し、人間がその文章を一律に削除して回る場合などです。そのような「擬似Botユーザー」による編集(=擬似Bot行為)でも、通常のBotと同様の「推敲の過程を経ていない記事が多数投稿される」という問題を抱えています。にもかかわらず、Wikipediaでは半自動Botの扱いはあいまいで、擬似Bot行為に関する規定はありません。

もっとも、擬似Bot行為を通常の人間の編集活動と線引きしてとらえることが難しく、そもそも規制が可能なのかという疑問もあります。ユーザーの一定時間あたりの編集数を制限する話が出ることもあるようですが、具体的な数字を決めて制限することには意見が割れるようです。まず、半自動Botを含むようにWikipedia:Botを改め、擬似Bot行為に対するWikipediaの何らかの方針を決めることは、必要と思われます。極端な話、擬似Botユーザーは放置する、という方針でも構いません。それさえもないことが問題です。

Wikipediaを読み書きしていて思うこと

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ある教授が、「最近の学生は、新書に書いてあることが難しいと言う者がいる」と嘆いていた

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時折見かける、読み手が意識されていないために、5W1Hが適宜補われておらず、事情を知らない人には状況が飲み込めない文章は、小中学生が試しに書き込んでみたというものであってほしい。

推敲5回はしろ

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5回という数字はあくまでも多さの例えです。

書き込む前によく見直しをすれば、不適切な表現や誤植はある程度防げるし、ノートの議論が過度に白熱することも防げる。Wikipediaでは書き込むのが1日遅れたぐらいで、何らかの不利益が発生することもまずない。自分の表現の拙さを補うのに、時間をかけて見直しをするという確実に効果のある手段をなぜ取らないのだろう。

自分がどのくらい難しいことを言ってるかわかってない

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Wikipedia:中立的な観点とはどういうことか、すごく難しいことです。金科玉条に中立的な観点を振りかざす人には、

あなたは自分のしていることに自信がないから、それっぽい言葉を並べてすごんでいるだけじゃないんですか?

と聞いてみたくなります。推測に基づいた個人攻撃になるので聞きませんが。

人はなぜWikipediaを書こうとするのか

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人はロボットではないから、Wikipediaを書こうと思った根源には、ある種の情動があるはずだ。それは何に類するものだろう。もちろん、中立的な観点や検証可能性のフィルタを通って初めて書き込まれるべきだが、誰の心の中も情動の段階ではそんなものはないだろう。ここでは難しいことはおいておく。

  • 感情
好きであるという感情。あるいは興味。元となる知識が育まれる要因として、これに勝るものはない。得てきた知識を書くことがさらに楽しい。逆に憎しみの感情から書こうと思うこともあるかもしれない。それと、Wikipedia自体が好きという人もいるだろう。
  • 主張
評価が高い or 低いとされ、自分もそう信じるものの情報を広く公開したい気持ち。自分の興味の分野はこういう範囲だよということをアピールしたい気持ち。自分のしてきた仕事の集大成として、培ってきた知識をまとめたい気持ち。
  • 義務感
Wikipediaの存在価値を認め、発展に貢献したい気持ち。知っている人が少なく、このままでは失われてしまう知識を何らかの形で残しておきたい気持ち。
  • 勉強
自分のそれまでに理解したことを文章にしてみるのは、理解の早道ではある。
  • 仕事
ありえないか。いや、全くないかは疑問だ。自社の宣伝となるようなことを書いたり、自社のスキャンダルの記事を消したりするのは、社員がこっそりやることはあると思うが、正当な業務として継続的にやってるところなんて、あるのかな。(Wikipediaでは違反行為。) 技術メーカーなんかで、社会貢献活動として専門知識を公開するためにWikipediaへの記述を推奨するなんていうのは考えられなくもない。まあ、ほとんどないだろう。
  • 他にすることがない
承認欲求と呼ばれる、対象がWikipediaである必然性がない情動。より良い記事を目指す向上心や、意見のぶつかるとき折衝をするつらさを支えるものは、上にあるような動機だと思う。中立性が重んじられるWikipediaでは矛盾するようだが、何らかの「立場」を持たないウィキペディアンは、逆に健全でない気がする。

Wikipediaの参加資格

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公式にはWikipedia:ガイドブックにある通りですが、個人的には、

  • あまりにぐちゃぐちゃな文章を書く人
  • 礼儀正しくない人

には来てほしくないという気持ちはあります。逆に言えば、これらに当てはまらない人は1人のウィキペディアンとして接しなければならないと思っていますし、その人がWikipediaの微妙なルールに引っかかることをしても、強くは非難されるべきでないと思っています。

1番目の条件がどういうことか、難しいですが、すごく大ざっぱに言うなら、理科や社会の教科書に書いてあるような文章が書けるかということだと思います。

Wikipedia:雑草とり

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あなたが雑草とりと呼んでいる行為に精を出すあまり、土を踏み固めて、健康な作物を育ちにくくしていませんか?