V・K・ムールティ
V・K・ムールティ V. K. Murthy | |||||||||||
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V・K・ムールティ(2011年) | |||||||||||
本名 | ヴェンカタラーマ・パンディット・クリシュナムールティ(Venkatarama Pandit Krishnamurthy) | ||||||||||
生年月日 | 1923年11月26日 | ||||||||||
没年月日 | 2014年4月7日(90歳没) | ||||||||||
出生地 |
イギリス領インド帝国 マイソール藩王国マイソール(現カルナータカ州) | ||||||||||
死没地 | インド カルナータカ州ベンガルール | ||||||||||
職業 | 撮影監督 | ||||||||||
ジャンル | ヒンディー語映画 | ||||||||||
活動期間 | 1951年-2001年 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『紙の花』 『旦那様と奥様と召使い』 | |||||||||||
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V・K・ムールティ(V. K. Murthy、1923年11月26日 - 2014年4月7日)は、インドの撮影監督[1]。グル・ダット・チームのメンバーとして活動し、インド初のシネマスコープ映画『紙の花』を手掛けたことで知られている[2]。2010年には撮影監督として初めてダーダーサーヘブ・パールケー賞を受賞した[2]。
生涯
[編集]生い立ち
[編集]1923年11月26日にマイスールのバラモン家庭に生まれ[3]、ラクシュミプラムの学校に進学して音楽を専攻し、ヴァイオリンを学んだ[4]。1946年にバンガロールのシュリー・ジャヤーチャマラージェーンドラ・ポリテクニック(現公立映画テレビ研究所)で撮影コースを修了し[1]、この間にはインド独立運動に参加して1943年に逮捕・投獄されている[5]。その後は映像分野で働くことを志望し、ボンベイに移住した。
キャリア
[編集]ムールティは『Maharana Prathap』に参加して映画業界での活動を始め、1951年には『賭け』で撮影監督V・ラトラの助手を務めた。監督のグル・ダットはムールティのスムーズで流動性のあるカメラワークに感銘を受け、次回作『網』では彼を撮影監督に起用している[6]。その後、ムールティはグル・ダット・チームの一員となり、1964年にグル・ダットが死去するまで彼の作品で撮影監督を務めた。1959年には「グル・ダットの最高作品」と評される『紙の花』に参加し、ムールティはフィルムフェア賞 撮影賞を受賞した。彼は1962年に参加した『旦那様と奥様と召使い』でもフィルムフェア賞撮影賞を受賞しており、このほかに『渇き』『表か裏か』でも高い評価を得ている。また、『ナバロンの要塞』に撮影スタッフとして参加し、カラー映画の撮影技術を学んでいる[7]。グル・ダットの死後は、カマール・アムローヒーの『パーキーザ 心美しき人』『Razia Sultan』に参加したほか、プラモード・チャクラヴァルティー、シャーム・ベネガル、ゴーヴィンド・ニハラニ、ラージェーンドラ・シン・バーブの作品にも参加している。
死去
[編集]2001年に撮影監督を引退してバンガロールで余生を過ごし、2014年4月7日に同地で死去した[5]。
フィルモグラフィー
[編集]- 賭け(1951年)
- 網(1952年)
- 鷹(1953年)
- 表か裏か(1954年)
- 55年夫妻(1955年)
- C.I.D.(1956年)
- 渇き(1957年)
- 12 O'Clock(1958年)
- 紙の花(1959年)
- 十四夜の月(1960年)
- 旦那様と奥様と召使い(1962年)
- Ziddi(1964年)
- ラブ・イン・トーキョー(1966年)
- Suraj(1966年)
- Naya Zamana(1971年)
- Jugnu(1973年)
- Nastik(1983年)
- Kalyug Aur Ramayan(1987年)
- Khule Aam(1992年)
- Deedar(1992年)
- Hoovu Hannu(1993年)
受賞歴
[編集]年 | 部門 | 作品 | 結果 | 出典 |
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栄誉賞 | ||||
2004年 | ラージョートサヴァ賞 | — | 受賞 | [8] |
国家映画賞 | ||||
2010年 | ダーダーサーヘブ・パールケー賞 | — | 受賞 | [9] |
フィルムフェア賞 | ||||
1960年 | 撮影賞 | 『紙の花』 | 受賞 | [10] |
1963年 | 『旦那様と奥様と召使い』 | |||
国際インド映画アカデミー賞 | ||||
2005年 | 生涯功労賞 | — | 受賞 | [2] |
出典
[編集]- ^ a b Khajane, Muralidhara (20 January 2010). “Murthy first cinematographer to win Phalke award”. The Hindu. オリジナルの21 January 2010時点におけるアーカイブ。 22 January 2010閲覧。
- ^ a b c “VK Murthy death anniversary: All you need to know about the Indian cinematographer”. Free Press Journal (2023年4月6日). 2024年6月28日閲覧。
- ^ “Guru Dutt and Me” (英語). Open The Magazine (2010年1月27日). 2022年1月9日閲覧。
- ^ “Poetry in picture”. The Hindu. (20 July 2007) 7 April 2014閲覧。
- ^ a b “'Kagaz Ke Phool' cinematographer VK Murthy passes away”. ibnlive.com. (7 April 2014). オリジナルの8 April 2014時点におけるアーカイブ。 7 April 2014閲覧。
- ^ “V. K. Murthy – Wizard of light”. livemint.com (7 April 2014). 7 April 2014閲覧。
- ^ “A Life in Light & Shadow: V K MURTHY (1923-2014)”. Indian Express (2014年4月8日). 2024年6月28日閲覧。
- ^ “ರಾಜ್ಯೋತ್ಸವ ಪ್ರಶಸ್ತಿ ಸಂಪೂರ್ಣ ಪಟ್ಟಿ 1966 ರಿಂದ - 2015 ರವರೆಗೆ”. Kannada Siri. 24 June 2017閲覧。
- ^ “56th National Film Awards”. Directorate of Film Festivals. p. 34. 30 January 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。30 July 2011閲覧。
- ^ “Filmfare Awards Winners from 1953 to 2020”. Filmfare. 2024年3月20日閲覧。