Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Miya 20070623

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

分離以前[編集]

この節は、このコメント依頼の最初に行われた提案を保存したものです。

このコメント依頼では、主に2件の案件について幅広い意見を求めたいと思います。

  1. Miyaさんの管理者権限乱用について:利用者‐会話:Miya#ブロックのお知らせにあるように、サラ・ブライトマンが保護解除依頼を経ずに保護解除が行われたということで、管理者権限の乱用ではないかという意見が出ています。

# xxxxさんの投稿ブロックについて:これに対し、利用者‐会話:Miya#ブロックのお知らせのとおり、Miyaさんはxxxxさんによってブロックされました。それの是非をめぐる議論が利用者‐会話:ちゃたま#miyaさんに対する即時ブロックについて。で行われています。この投稿ブロックですが、Kinoriさんによって解除されました。(利用者‐会話:Miya#ブロックのお知らせ)Kinoriさんについては権限乱用ではないかということで投稿ブロック依頼が出されていますが、もともとはxxxxさんのブロックの妥当性についての議論と一体になっているものと思われますので、ここではxxxxさんのブロックの妥当性についてを扱います。xxxxの部分は、取り違えたがあったので、変更させていただきました。-- 2007年6月23日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

以下の2点についてコメントをお願いいたします。とりあえず、私自身はしばらくたってからコメントを残すつもりです。-- 2007年6月23日 (土) 15:07 (UTC)[返信]

事実誤認があると思いまっす。
まず、Miya氏をブロックしたのはちゃたま氏。
  • 2007年6月22日 (金) 10:40 ちゃたま (会話 | 投稿記録) "Miya (投稿記録)" を 1週間 ブロックしました (サラ・ブライトマンでの、管理者権限の濫用。少し休んでください。)
その後Faso氏が掛けなおしをやっています。これについては説明がないのでわかりませんが、巻き添えユーザがいたとかいう話じゃないだろうかと思います。
  • 2007年6月23日 (土) 10:06 Faso (会話 | 投稿記録) "Miya (投稿記録)" をブロック解除しました (IP分の解除)
  • 2007年6月23日 (土) 10:08 Faso (会話 | 投稿記録) "Miya (投稿記録)" を 2007/06/29 ブロックしました
というわけで、ブロックしたのはFaso氏ではありません。
それから、Miya氏の問題と、ちゃたま氏の問題とは、別です。Miya氏の問題というのは「保護解除審議を経ずに解除を行い(これ単独ならば、判断に間違いがなければ、問題とはならない)、その直後に編集を行った」というもの。ちゃたま氏の問題は、「それを権限濫用行為として独断で一週間のブロックをかけたことの是非」というもの。
この2つの問題は一連のものではありますが、まとめて扱えるものではないでしょう。とりあえず「Faso氏がブロックした」というのは明確に濡れ衣なので、その節は消しておきます。必要だとお考えになるのなら、別途コメント依頼を出されることをご提案申し上げます。--Nekosuki600 2007年6月23日 (土) 15:26 (UTC)[返信]

すいません、明らかな取り違えです。Fasoさんにはすでにお詫びのメッセージをいれてあります。斜線にするのもFasoさんに失礼なので、xxxxに変更しました。

それで、分けるかどうかですが、ごちゃごちゃしてきてしまいましたので、分離しようと思います。ここでは、Miyaさんの保護解除に関しての議論に変えさせていただきます。なお、この部分はごちゃごちゃしているので、しばらくしたら、ノートに移動します。-- 2007年6月23日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

一部本ページから分離[編集]

この部分は、Wikipedia:コメント依頼/Miya 20070623#Miyaさんの保護解除の妥当性に関しての中で、関連のないものを分離したものです。

ここはMiyaさんの保護解除について扱うべき項目で、投稿ブロックに関してはWikipedia:コメント依頼/ちゃたま 20070624で扱います。議論が混乱するのを避けるため、後ほどノートページに移動させていただきます。-- 2007年6月24日 (日) 15:05 (UTC)[返信]
保護解除とブロック解除を混同してしまいました。すみません。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月25日 (月) 09:31 (UTC)[返信]

NiKeさんのコメントについて[編集]

  • (コメント再掲)Miyaさんがどういうつもりであったかと関係なく、これ自体は疑いを持たれるような行為ではなかったと思います。事前にMiyaさんに対してネガティブな印象を持っているかどうかで判断が変わっているんじゃないでしょうか。 -- NiKe 2007年6月28日 (木) 13:34 (UTC)

NiKeさんのコメント前半部分については、Nekosuki600さんにほぼ同意します(「古参管理者」という表現などに少々温度差があるとしても)。後半のコメントですが、その論法にしたがえば、なぜmiyaさんの行為が「ネガティブな印象」を与えたかまで考慮したうえで言及していただきたい。そうでなければ、コメント依頼の対象となっている方の行為に批判的なコメントをする者は「もともとネガティブな印象を持っている連中である」、とレッテルを貼っているに等しく、誘導(むしろ誤導)的であるとともに、コメント依頼の趣旨からして、議論の阻害要因でもあります。--みっち 2007年6月29日 (金) 01:51 (UTC)[返信]

「もともとネガティブな印象を持っている連中」であるかどうかは、本件とは無関係でしょう。「miyaさんの行為が『ネガティブな印象』を与えた」としても、行為自体に問題がないのであれば、「ネガティブな印象」に基づいて非難する方が的外れです。詳細な説明がない部分は「レッテルを貼っているに等しく、誘導(むしろ誤導)的」に見えますが、Wikipedia:コメント依頼/Miya_20070623#コメント依頼以前の議論で既に説明されており、それに対して反論がないのだから、NiKe氏の姿勢は「議論の阻害要因」とは考えられません。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月29日 (金) 11:53 (UTC)[返信]
正直に告白すると、私は、Miya氏に「もともとネガティブな印象を持っている連中」の一人です。「ネガティブな印象」を最初から持っていた私から見ても、本件は、即時ブロックどころか通常ブロックさえやり過ぎと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月29日 (金) 12:02 (UTC)[返信]
みっちさん、ご賛同どうも。
とうかなんというか。これ、すごく微妙な問題を扱ってるわけですよ。そこにNiKeさんのコメントでしょ。微妙さをすっとばして何か言いたいことがあったのかもしれないのだけど、おれはそういう誘導には同意できないです。
そういえば、「おれはMiyaさんにネガティヴな印象を持っていない(大意)」と書いたところ、にちゃんねるで「それはほんとか」とか確認されちゃいました。Miyaさん個人に対する印象なんか、おれ的にはどうでもいいんです。そうじゃなくて、どうすればよりモメず、より多くのひとの賛同を得られる管理のプロトコルを作れるかみたいなことを、おれは考えているのですけどねえ。どうもその主旨は、あまり広く理解されてはいないようなのだった(ためいき)。--Nekosuki600 2007年6月29日 (金) 17:11 (UTC)[返信]
私にとっても、あなたのmiyaさんへの評価などどうでもいいことなんですが・・・。でも、あなたの求める基準って管理者を疲弊させませんか?ここのお答えを、是非、本文の方で頂けたらありがたく思います。--Kazuto-kun 2007年6月29日 (金) 18:48 (UTC)[返信]
「フツーに手続きを取ればいいじゃん」ということが管理者を疲弊させるのなら、フツーに手続きを取るしかない一般ユーザはみんな疲弊しているということになりますな。本文に書くほどのこっちゃないと思うんでこちらに書いておきます。--Nekosuki600 2007年6月30日 (土) 03:25 (UTC)[返信]
「フツーに手続きを取ればいいじゃん」この理屈を突き詰めると、(これ常にですよね?)管理者の意味なんてもはやなくなってしまうんですが、「フツー」の基準をやはり明文化するべきなのではないですか?過失犯を己の基準で適用されてもやっぱ管理者は疲弊します。--Kazuto-kun 2007年6月30日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
この状況を見ると、やはりノートに書いて正解だったようですね。議論の見通しが悪いことおびただしいので、せめて本文にはどうでもいいことを書かないでもらえると有り難いです。--みっち 2007年6月30日 (土) 04:29 (UTC)[返信]
そんなことはないでしょう。「判断をするのはコミュニティ」「作業をするのは管理者」という住み分けを徹底すればいいだけの話です。判断のレベルについてはいろいろなご意見がありましょうが。
でだ。そうしたとして、やはり「権限がなければできないことはある」のであって、管理者の意味がなくなるなんてことはありません。というか、なんかWikipediaにおける管理者観において決定的な間違いがあるような気がするんですが。--Nekosuki600 2007年6月30日 (土) 05:54 (UTC)[返信]
「なんかWikipediaにおける管理者観において決定的な間違いがあるような気がするんですが。」六ヶ月ブロック申請の方にそこまで言われるとはいささか心外ですね。まあ、それはさておき「決定的な間違い」とは何か、ご教示いただけませんか?当然、論拠の引用と共におねがいいたします。--Kazuto-kun 2007年6月30日 (土) 06:43 (UTC)一部修正--Kazuto-kun 2007年6月30日 (土) 06:53 (UTC)[返信]
「管理者の仕事は、判断をすることではない。コミュニティの判断に従ってボタンを押すことである」ということです。
現実問題、全てのものごとについていちいち合議をするとなるとそれはかなりの負担であり、ある程度は管理者判断でやっちゃってもいいことはあるでしょう。しかし異論が出たならばそれは裁量で行っていいことではなかったということになります。その「どこからは異論が出ることなのか(どこまでならば裁量でやっていいことなのか)」は、時期(というか、まあコミュニティの規模でしょうね)によって異なってくるのでしょうねえ。
今回の問題は、「コミュニティが小さい間は、まあお互い顔見知りも多く、見過ごされたであろうこと」だったのかもしれません。しかし「コミュニティが大きくなったことから、そういうのはやめて、手順を遵守すべき」という要素が重要になりつつあることから、齟齬が生じたのではないかと、わたくしは考えております。--Nekosuki600 2007年6月30日 (土) 11:34 (UTC)[返信]
以前にAphaia氏が指摘された[2]とおり、ウィキペディアにおける合意とは、客観的な合意事項ではなく、管理者が合意とみなしたことです。管理者は、それだけの裁量権が与えられているのであって、「ボタンを押す」機械ではありません。もちろん、その裁量による判断に他の管理者が口を挟むこともあります。それを認めることでウィキペディアは自浄作用を機能させているのです。どうやら、Nekosuki600氏は、管理者が意志のない機械となることと、そうした管理者によって管理が強化されることを望んでいるようですが、それはウィキペディアの基本方針に反することです。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月30日 (土) 11:47 (UTC)[返信]
審議が行われた上でその審議結果をどう理解するかというのは、いわば解釈論です。今回指摘されている問題は、審議もなにもないままに行われた管理権限の発動についての評価であり、解釈論を持ち出す余地はありません。決定がどのように下されたのかをわかりやすくちゃんと記録に残して行くべきだ、とすることが管理強化とどう関係するのか、ぼくにはわかりませんね。--Nekosuki600 2007年6月30日 (土) 12:02 (UTC)[返信]
いずれにせよ、Nekosuki600氏は、裁量権の範囲を自己流に解釈したうえで、行為が適切かどうかを論じているに過ぎません。必要性のないことにまで手続の厳格化を求めて、編集の自由を制限するのは、ウィキペディアの基本方針に反する管理強化以外の何物でもありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月1日 (日) 08:34 (UTC)[返信]

Kazuto-kun氏の仰るとおり「フツー」の基準を明文化するべきとする意見は正論でしょう。それが不要なら、管理者どころかルール不要になります。何が「フツー」かは人によって見解が違うのであり、それを摺り合わせてこその「判断をするのはコミュニティ」です。自分にとっての「フツー」を絶対視するのは「判断をするのはコミュニティ」とは正反対の考え方です。

Nekosuki600氏の仰ることは、ルールのためのルールのように見えます。ウィキペディアでは編集は基本的に自由です。制約は何らかの事情によって止むなく加えるのであり、その制約は必要最小限度に止めるのが基本方針に合致する考え方であり、制約が目的化するのでは本末転倒です。

  • Wikipedia:五本の柱「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。」
  • Wikipedia:保護の方針「誰でも自由に編集できるというウィキペディアの基本精神」

Wikipedia:コメント依頼/Miya_20070623#コメント依頼以前の議論で既に説明されている」と「誘導」ではない根拠を出しているにもかかわらず、反論もせずに「誘導」とオウム返ししていますね。Nekosuki600氏は、持論の否定となる意見は全て無視するのですか。そうした言動こそ「誘導」ではないのですか。量子力学のド素人ことryon 2007年6月30日 (土) 10:19 (UTC)追記--量子力学のド素人ことryon 2007年6月30日 (土) 10:21 (UTC)--[返信]

ウィキペディアの基本方針[編集]

私も人に偉そうに言えるほど知ってるわけではないけれど。

個々の参加者が良心に基づいて自発的かつ協調的に編集するのがウィキペディア(に限らずオープンソース、コピーレフト全般)の大原則であって、それで何も問題が起きないなら、何もルールを作る必要がないのです。問題が起きるから、仕方なく制限を設けているのであって、制限は可能な限りない(=オープン)方が好ましいのです。合議は例外事項であって、管理者権限の行使は例外中の例外なのです。誤字脱字を修正するにも合議が必要、改行を追加するにも合議が必要、新規ページを作るにも合議が必要、と、そんなことを言い出したら編集が全く進まなくなります。スタブでも何でも良いからとりあえず編集しましょう(ただし、良心に基づくことを原則として)。そして、問題があったら合議しましょう。話し合いで決着がつかなければ、管理者権限に頼りましょう。管理者がおかしな行動を取ったら、管理者同士で合議しましょう。というのが、ウィキペディアのやり方です。

どうやら、Nekosuki600氏は、原則として「コミュニティの判断」によって管理されるべきと考えているようですね。だから、管理者に「ボタンを押す」以上の裁量を与えてはいけないと仰るのでしょう。そこが全然違うんですよね。ウィキペディアでは、原則として「コミュニティの判断」も不要です。個々の参加者の良心で解決できる問題なら「コミュニティの判断」を持ち出さなくてもいいのです。個々の参加者の良心で解決できないから、「コミュニティの判断」が必要になるのです。制限が先にあるのではなく、自由が先にあるのです。そして、その自由を守るために最小限度の制限が必要になるのであって、自由を最大限に尊重するために制限は最小限に止めるべきなんです。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月1日 (日) 09:46 (UTC)[返信]

表による簡潔な説明[編集]

各論点の説明状況
論点見解の相違ryonによる説明賛成派による説明備考
独断解除直後編集(A)は権限濫用(B)(「AならばB」)ありありなし争点だから説明が必要では?
管理者権限の濫用(B)が許されない(C)(「BならばC」)なしなしあり誰も反対しない常識でしょう

さて、どうして、主張に争いがない「BならばC」ばかりを延々と論じる一方で、争点である方「AならばB」については論じないのでしょうか。

  • 「AならばB」が正しい理由については既に述べてある
  • 「AならばB」が正しいことは説明しなくても通じる
  • 「AならばB」が間違っていていも「BならばC」さえ正しければ「AならばC」は正しい

一番目については、私がこれまで議論に参加した中で、一度も見つけることができませんでした。説明を求めると「どうでもいい話題」「場違い」「趣旨とは無関係な事情」等と帰って来ることから見ても、賛成派の主張は一番目とは違うのでしょう。

二番目についてはどうでしょうか。反対意見[3][4][5][6]が多数あることから見ても、説明なしに通じないことは明らかです。「いかなる意味でも『大方の見方が一致した』と言いうる合意点があるような気がしません」[7]と仰るように、説明しなくても通じるとは言えない自覚は持ってらっしゃるようです。「BならばC」については饒舌に説明されている[8][9][10]ので、一般論として、断定的結論だけではなく、何故そう考えたのかの説明が必要だとの認識は持っておられるわけです。とすると、どうして、争いのない方だけ饒舌に説明して、争点となっている方を説明しないのか分かりません。以上、どのように考えても、説明しなくても通じるという認識とは思えません。

三番目は論理的にあり得ません。Miya氏の行為が濫用でないなら、濫用が許されるかどうかに関わらず、Miya氏の行為には問題がないのですから。

以上、何処からどう見ても、賛成派の主張は論理的組み立てができていないように見えます。もしかして、私が見落とした第四の選択肢があるのでしょうか。あったら教えてください。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月2日 (月) 11:10 (UTC)[返信]