Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/導入部/定義文の体言止めや別名表記

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定義文の体言止めについて[編集]

定義文が大言止めになっている例がたいへん多いのですが、どうしてこのようなことがはやりだしたのでしょうか? 本文も全部体言止めにするなら整合性がとれますが(もちろんそんなことはご遠慮いただきたいですが)、定義だけ体言止めとするのは文章としてあまりに稚拙でしょう。○○は××である、というように述語をキチンと書いてほしいものです。--PeachLover- ももがすき。 2007年8月5日 (日) 03:11 (UTC)

Wikipedia:井戸端/subj/定義文の体言止め

「○○は××である」か「○○とは××である」か[編集]

最近、「○○××」という定義文を「○○とは××」という風に書き換える編集を時々目にします()。どちらが正しいのでしょうか。個人的感想を申し上げますと、「○○とは…」は何とも言葉にしづらい違和感を感じます。それは別として、わざわざ変更する必要はあるのでしょうか。--Avanzare 2008年4月8日 (火) 07:56 (UTC)

結論から申しますと、「は」でも「とは」でも、お好きなほうを用いればよろしいかと思います。現状ではいずれの形も用いられており、日本語としても違和感は感じません。どちらを用いるかは、前後の文脈や好みによって決定される程度のものでしょう。この項目でも、いずれの形もWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#例の内で挙げられているのが、何よりの証拠でしょう。
ただ、最近は Google などの「とは検索」への対策として、「とは」を用いる編集者さんも多いように感じます。とは言え、「わざわざ変更する必要があるか」と問われれば、「特にはない」が大方の答えでしょう。
また、ご存知とは思いますが、そのような瑣末な言い回しだけを書き換えるような編集はあまり歓迎されません。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすをご参照になればお分かり頂けるように、他の加筆・修正などの編集を行った際に同時に行うならば、大きな問題とはならないでしょう。ですので、「とは」への書き換えのみを行うような編集者さんがいらっしゃったら、利用者ページのノートなどで注意喚起の呼びかけを行ってみるのも有効かも知れません。
--Marianne 2008年4月8日 (火) 15:49 (UTC)

導入部の読点について[編集]

多くの記事の導入部をみると、「〜は、〜である。」と「は」の後に読点をいれています。ニュースサイト「Impress Watch」の記事の導入部もこんな感じですが。私からすると、いちいち読点をいれなくてもいいのにとおもってしまいます。読点は別にいれなくてもいいということを明示してもいいのではないでしょうか。--Rikumio 2009年10月6日 (火) 15:46 (UTC)

コメント 私は、入れたほうが読みやすいと思いますが、結局は主観の問題でもあったり、ケースバイケースであったりするものと考えます。現在のガイドラインでは、必ず読点を入れなければならないとルールで定めている訳ではなく、また本記事もあくまでガイドラインなのですから、入れないほうが読みやすいと考える人は、各自の判断で入れないようにすればよいと思います。--Kanohara 2009年10月19日 (月) 08:37 (UTC)
「導入部(第一段落)の例」にしめされている文章は、いずれも「は」の後に読点がいれられているので、利用者の多くは読点をいれなければならないとおもいこんでいるのではないでしょうか。--Rikumio 2009年12月11日 (金) 11:17 (UTC)
私は句読点は入れる派です。思い込みではありませんよ。--長島左近 2009年12月30日 (水) 02:04 (UTC)

定義文の体言止めについて2[編集]

以前から記事の定義文を体言止めから「である」体に変える(だけ)という編集を見かけることがあったのですが、どうもここの定義文の例がすべて「である」体になっていることが原因のようです。履歴を調べてみると2007年1月のこの編集で特に事前の提案もなく変更されており、その後上の「定義文の体言止め」で同じ編集者により問題提起されていますが、議論を見れば分かるとおり体現止めを排除するというようなことに見解の一致は見られません。現在の例のうち鉛筆、ガリレオ・ガリレイ、水酸化ナトリウムを体言止めにして、体言止めと「である」で終わるものとを半々にし、「どっちでも問題ない」ということを示すことができるようにしておくことを提案します。特に異論がなければ数日後に編集いたします。--頭痛 2010年12月19日 (日) 00:08 (UTC)

コメント である体に変える根拠としては「Wikipedia:表記ガイド#文体」辺りが根拠になっているのだと思います。また、他に類似する議論として、一年前の「Wikipedia:井戸端/subj/記事の導入部に「~とは~である。」に統一すべきか否か」という議論があります。
どうも長年引っ張っている問題であるらしいので、そうした意図での改正を加えるのであれば更に「文体を『……とは……である。』に統一すべきであるという意見と、体言止めに統一すべきであるという意見と、揺れは許容されるべきであるという意見があり、議論が行われました。今のところは一致した見解はありません」という趣旨の案内を付け加えることを提案します。--Kanohara 2010年12月19日 (日) 01:16 (UTC)
よいと思います。付け加える位置は7つの例文の後ろでよいでしょうか。--頭痛 2010年12月20日 (月) 12:08 (UTC)
コメント その辺りはお任せします。--Kanohara 2010年12月20日 (月) 14:22 (UTC)
ありがとうございます。上記のように修正・追記いたしました。--頭痛 2011年1月2日 (日) 13:37 (UTC)

複合的記事名(子記事)において暗黙的に多用されてきている「○○では」やトートロジー定義文[編集]

最近暗黙的に、「○○では」というスタイルマニュアルにない形式の導入部の使用が流行している様です。例:[1][2][3]。こういったものは主要な記事の内容から分枝した子記事や一覧記事で行われがちなようです。このようなやり方は方針に反するため明白に禁止すべきではないでしょうか。

例えば日本における死刑の最初の一文は「本稿では、日本における死刑(にほんにおけるしけい)の概要、歴史を述べる。」となっており一切の“内容”を含んでいませんが、英語版では"Capital punishment is legal in Japan."となっており、一文で“最も重要な事項”を説明しています。日本語版において書かれがちな導入部にはどうも奇妙な拘りがある様に見えます。

  1. 記事名と同一の文字列を太字にして最初の一文に(それも可能な限り最初の名詞句として)押し込まなければならない。
  2. 最初にある記事名の文字列は真っ黒でなければならず、リンクを貼って色が付く事は決して許されない。
  3. 記事名中にある単語へのリンクの必要を感じた場合トートロジー(同語反復)で補う。例:[4][5]
  4. 定義文は「それが何か」を説明する機能を損ってでも、可能な限り簡潔であるべきである。記事内容を要約する長い導入部は「概要」節にしなければならない。
  5. このようにして“簡潔”になった導入部の定義文が定義するものは「記事の主題の定義」ではなく「記事の定義」である。故に「は」「とは」に換えて「では」を繋辞に用いる
  6. なお、項目名以外の事物も言及する場合、導入部に「当記事では○○についても説明する」と書き加える。

おそらくこの様な考えで発生したやり方なのだと思います。このような“では定義文”はもはや「記事の主題」を何も定義していません。更に文章をよく見ると、日本語では無主語文で一見何も問題が無いようにも見えますが、しかしこれを仮に英語など人称が必須な言語に訳すと一人称になります。そのような文章は百科事典ではありません。エッセイや演説です。冒頭から筆者の一人称POVになっている異質な記事です。(英語版で引用や例示以外の地の文で"I"や"we"という単語を見たことなんてありませんよね?)

なので、「導入部に必ずしも項目名を入れる必要がない」という事をここで明言するべきでしょう。--荒巻モロゾフ会話2012年10月9日 (火) 16:13 (UTC)

コメント 基本的には賛成ですが、よくある「AのBABである」「本稿にではAのBについて述べる」のような形についても、結局のところその記事で扱う A や B の定義まで噛み砕いて「AのBは……の……である……において、……から……にかけて……の……である」といった風に丁寧に説明すれば、標準的な形に無理なく収まるという場合も結構あるような気がします。もちろんそれが難しい記事も多いですので、1から4については明確に否定しておいたほうが適切でしょう(5と6については特に問題があるとは思いません)。ただ、単に「導入部に必ずしも項目名を入れる必要がない」と示すだけでは指針として不十分ですので、よくあるパターン――「○○の歴史」「○○における××」「○○の一覧」「○○の登場人物」などについては代わりとなる定型文または文案を提示する必要があると思います。--氷鷺会話2012年10月21日 (日) 14:22 (UTC)
本題からはそれますが、「英語版で引用や例示以外の地の文で"I"や"we"という単語を見」ようと思えば、たとえばen:Category:Article proofs収録の記事にはいくらでもそういう文例があります。--211.1.206.202 2012年10月21日 (日) 15:01 (UTC)
どうもこの問題は英語版にある方針文章が未訳であることが原因であるようです。同様の問題を扱ったガイドラインとしてen:Wikipedia:Superfluous bolding explainedを見つけました。固有名ではない説明的な記事名の場合、無理やり冒頭にタイトルを太字にして詰め込んで奇妙な文章にするべきではないと名言されている様です。またen:MOS:BOLDTITLE#Format_of_the_first_sentenceにも冒頭を太字にするべきでない例について示されています。なので、これらを参考にして日本語版にも同様の方針を移入するのがよいと思います。--荒巻モロゾフ会話2012年11月10日 (土) 05:16 (UTC)

記事名が愛称や通称の場合の正式名称の扱い[編集]

導入部の書き方の第3項は「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。」となっていますが、これを「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。記事名が愛称や通称の場合、正式名称を導入部に太字で書く。」とすることを提案します。

よく知られている別名の扱いから言って当然だと思いますが、今後記事を書く人に判りやすくするためです。--アルビレオ会話2014年2月9日 (日) 08:28 (UTC)

タイトルの誤字を修正(通商→通称)しました。--アルビレオ会話2014年2月10日 (月) 07:03 (UTC)

反映しました。--アルビレオ会話2014年2月18日 (火) 04:49 (UTC)

別名に関する文章の修正案[編集]

導入部が別名だけになっているような記事がありますので、注意を促した修正案を提案します。

修正前
  • ただし、別名が多数あり、記事本文でまとめて記述する必要があるような場合はこの限りでありません。
修正案
  • よく知られた別名や、なじみのある国での言語表記について導入部にて言及します。導入部は別名を詰め込む場所ではないので、その他雑多な別名は記事本文で言及します。用語という節にて、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。

1週間待ち異論がなければ、変更します。--タバコはマーダー会話2015年10月7日 (水) 12:24 (UTC)

こんにちは。「別名」節の全文について、
「特によく知られている別名は強調(太字)にし、導入部に記載します。第1段落中に記すのがよいでしょう。ただし、別名が多数あり、記事本文でまとめて記述する必要があるような場合はこの限りでありません。」を、
「特によく知られている別名は強調(太字)にし、導入部に記載します。第1段落中に記すのがよいでしょう。よく知られた別名や、なじみのある国での言語表記について導入部にて言及します。導入部は別名を詰め込む場所ではないので、その他雑多な別名は記事本文で言及します。用語という節にて、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。」にするという提案ですか?--Yapparina会話2015年10月7日 (水) 13:30 (UTC)
その通りです。--タバコはマーダー会話2015年10月7日 (水) 13:51 (UTC)
修正には賛成します。細部が少し気になるので以下のような文ではどうでしょうか。
「よく知られた別名について導入部にて言及します。特によく知られている別名は強調(太字)にし、第1段落中に記すのがよいでしょう。日本語以外の言語に主題が関連深い場合などは、その言語表記についても導入部にて記します。ただし、導入部は別名を詰め込む場所ではないので、その他雑多な別名は記事本文で言及します。名称に関する節をつくり、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。」
(変更理由)1.特によく知られている~ の後に、よく知られた別名や~ と来るのが説明がやや重複しており少し混乱する。2.なじみのある「国」ではなく「言語」にした方が普遍性がありそう。事実上は同じことかもしれないが。3.「用語という節にて」と書くと、本当に「用語」という節名で統一しようとする人もいるので。--Yapparina会話2015年10月10日 (土) 02:03 (UTC)
ありがとうございます。反対ではないということですね。別名が強調されるわけですから、「よく知られた」と「特によく知られた」の、二重の指示をなくしましょう。注意書きとして機能するように、ケース、原因と対策になるようにしましょう。これでどうでしょう。
修正案(別名節の全文です)
別名は強調(太字に)します。できれば第1段落中に記すと読者が探しやすいでしょう。導入部に雑多な別名が詰め込まれて、記事の全体像が説明されなかったり、言語表記が多すぎて可読性がよくない場合には、別名については節にして記事本文で言及します。導入部では、いくつかの特によく知られた別名や、主題に関連深い言語での言語表記が挙げられるでしょう。名称に関する節をつくり、定義や観点の違いを説明することも読者の助けとなるでしょう。--以上の署名のないコメントは、タバコはマーダー会話投稿記録)さんが 2015年10月10日 (土) 20:32 (UTC) に投稿したものです(Yapparina会話)による付記)。
修正案のご提示ありがとうございます。1点だけ。「別名は強調(太字に)します。」の前に、「項目名の別名がある場合、導入部にて言及します。」を入れてはどうでしょうか。出だしがいきなり「別名は強調(太字に)します。」なのでが説明として唐突に感じます。他については異論ありません。--Yapparina会話2015年10月11日 (日) 03:53 (UTC)
別名を導入部で挙げることは、このガイドラインの他の部分とも合わせると、何度も登場します。以下でどうしょう。
「別名は強調(太字に)し、できれば導入部の第1段落中に記すと読者が探しやすいでしょう。」--タバコはマーダー会話2015年10月11日 (日) 12:17 (UTC)
了解しました。導入的な文章を意図的に排するならば、前の文で良いと思います。2015年10月10日 (土) 20:32の案に賛成いたします。--Yapparina会話2015年10月11日 (日) 22:20 (UTC)
修正には賛成という意見の上で、表現について議論になっていましたが、途中で合意が得られ、その後進展もないので反映しました。
前回の編集から1年ほど経過し、この文書の導入部も浸透し合意が得られているとし、ついでのnutshellの翻訳も追加しました。この文書の内容に反するものではなく、端的なので提案はしませんでしたが、異論があれば議論を行いますのでよろしくお願いします。--タバコはマーダー会話2015年10月18日 (日) 16:55 (UTC)