Wikipedia‐ノート:削除依頼/フェミニスト神学
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フェミニスト神学とは、キリスト教における解放の神学(Liberation Theology)を特に女性の経験・視点から提唱たものと言うことができる。この言葉を最初に使ったのは レティ・ラッセルで、自著『自由への旅』(1974年)[1]で、「力による主従関係ではなく、対話によるパートナーシップの人間関係」こそ神の意思であると呼びかけた。
女性の視点からの神学的批判は19世紀末のエリザベス・スタントンにまで遡ることができる。スタントンは、『女性の聖書』(1898年)を出版して聖書の中の女性差別に注目し、「これは神の言葉を聞きまちがえた男たちの言葉である」と言い切った。出版当初は不評であったが、「聖書は字句通り誤り無き神の言葉」としてきたキリスト教伝来の教えを問い直すきっかけとなった。この流れから、脱キリスト教や、女神崇拝などの新しい霊性の提唱など、様々な動きが出現したが、フェミニスト神学はそこにキリスト教神学としての方向性をもたらそうとしている。
エリザベス・シュスラー・フィオレンツァは、その記念碑的著作『彼女を記念して』(1983年) [2]において、キリスト教起源における神の女性イメージや、初期教会における女性指導者たちの重要性など、キリスト教のなかで二千年近くも失われていた歴史を回復・再構築し、その後のフェミニズム神学の一つの道筋を示した。これらを契機として、主に女性神学者[3]によって、伝統的神学に見られる父権制的な枠組みや視点を批判・相対化し、神学の諸方法・歴史・神観・キリスト論ほか、神学全般を問い直す動きが広がっている[4]。
脚注
[編集]- ^ 『自由への旅 - 女性からみた人間の解放』 (レティ・M・ラッセル/秋田聖子訳 新教出版社 1983年)
- ^ 『彼女を記念して - フェミニスト神学によるキリスト教起源の再構築』 (E.S.フィオレンツァ/山口里子訳 日本キリスト教団出版局 2003年)
- ^ 20世紀後半になってようやく神学校に受け入れられるようになった女性たちは、「伝統的な神学の主張する客観性は、実は西洋白人エリート男性の経験・視点を客観性と同一視して構築されたものである」とし、自らの足場が持つ特定性に自覚的であることの重要性を指摘して「フェミニスト神学は父権制社会における女性の痛みの経験から出発する」と表明した。(参考:『キリスト教教育事典』日本キリスト教団出版局 奥田和弘監修 2010年, 「フェミニズム」の解説)
- ^ 『イエス誕生の夜明け - ガリラヤの歴史と人々』 (山口雅弘 日本キリスト教団出版局 2002年)では、その序論において、イエス誕生の歴史的な場である1世紀のガリラヤを語るための方法論として、最近の社会学・比較文化人類学などの成果を総合的に用いると同時に、「フェミニスト神学の視点を積極的に導入し、ガリラヤの歴史において社会の周辺に追いやられ、(略) 父権制支配のもとに見えなくされていった人々を取り戻していく(p.26)」と述べている。