Wikipedia‐ノート:削除依頼/レッドディザイア

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2週間も経ってのコメントで恐縮ですが「一応」「異議」を述べておきます。とは言え、改めて削除依頼を行って削除させようというほどではありません。

まずWP:DP#Bは著作権侵害だけではありません。今回の削除依頼はもともと「著作権侵害(B-1)」として申し立てられましたし、存続を主張する方々も「著作権侵害ではない」(そもそも著作権の対象ではない)という主張をなさっています。しかし過去の判例からすると本案件は「著作権」だけの問題ではないです。新聞社に対する「財産権」の侵害が考えられます。

おそらく私よりも著作権に精通している方々のあいだでは常識なのかもしれませんが、「ヨミウリオンライン事件」というのがあります([1][2][3])。これは「新聞の見出し」を無断使用したことで損害賠償を命じられた判決です。情報発信をビジネスとしている新聞社の配信する情報は「商品」「財産」であり、それを勝手にコピペすることは「財産権の侵害」であるというものです。たとえそれに「著作権」は認められないとしても(新聞社は著作権も主張し、裁判所も「ニュースの見出しだといえども著作権が無いとは限らない」と言った)、「財産権」は認められ、勝手に使うことはダメです。

  • ニュース報道の記事見出しでさえも「創作性を肯定する余地がないのでもない」のであり、「個別具体的に判断」するとされています。そしてスポーツ新聞社側は「自分たちの発信する情報は全て著作権の対象だ」と明確に主張しています。

今回は見出しでどころか新聞記事本文からのコピペですから、創作性を肯定する余地は「なくはない」以上なのです。その「個別的具体的判断」の結果として、私は創作性があると考えたし、他の方は創作性がないと考えた、ということであれば、それはそれでいいのです。私は私の知見から、本件の「事実の配列や選択や表記」にはものすごい多様性があると考えたし、他の方は「誰が書いても同じになるに決まってる」と判断したわけですよね。

一方、創作性/著作権の問題とは別に「財産権」の問題があります。たとえ著作権は認めないとしても、記事(見出し)の財産権は「有料で取引対象とされるなど独立した価値を有するもの」として判例で認められています。今回は「権利を明示的に主張している新聞社の記事を」「出所を明かさずに」「再利用OKとしてウィキペディア上で執筆者の名のもとで公表した」というものです。(つまり、出所を明記し、引用の要件を満たすのならば大きくセーフ側になります。)

現実問題としては「そんなにリスクが大きくない」として、「削除」するほどでもない、「除去」で十分、という判断はありえます。「ヨミウリオンライン事件」は、訴えられた側が勝手にコピペして反復継続してビジネスに利用していたうえ、削除要請にも応えず開き直った果てに訴えられて賠償命令を受けたというものです。今回の記事は既に問題部分は除去されているし、ビジネスユースでもないし(商用利用可だけど)、反復継続もしていないし、不公正な競争に利用したというのでもない。もしスポーツ新聞社から直接クレームが来れば、その時対応するというのでもよい。また、その裁判ではもともと著作権侵害込みで7000万円ほどの損害賠償を申し立て、判決は財産権侵害部分だけで28万円ですから、金銭的に見れば大したリスクではないとみることもできるかもしれません。

学術界などでは「論文を引用されればされるほど名誉」という風潮があるでしょうけれど、ビジネスの世界では他者の成果を利用する場合には対価を払う必要があります。それをしないで勝手に使うと泥棒です。ただし営利企業は、泥棒が小規模だと、対処するほうが高コストだと考えれば放っておくかもしれません。個人HPみたいなものはそれに当たるでしょうし、影響が大きいとみれば手を打ってくるかもしれません。これでも、「フリーライド」に対する社会的批判が日本でもアメリカでもあることが示されており、少なくとも社会通念上アンフェアではないとは言えません。

私は今回の件で権利者でもないし、コピペした側でもないし、なんとなれば訴えられたり損害賠償を命じられた時にお金を払う側でもない(少なくとも直接的には)ので、この件で私がこれ以上何かをするというわけではありません。--柒月例祭会話2016年6月15日 (水) 10:22 (UTC)[返信]

コメント対処者です。審議では不法行為についての話はでていなかったので書かなかったのですが、いくらかフォローします。
「ヨミウリオンライン事件」は存じ上げています。著作物性と不法行為については通勤大学法律コース事件[4]、その影響下にある判決[5]などもあります。著作物性について割れた例としては、ラストメッセージ事件が有名ですが、説明書についての[6]ってのもありますね。基本的には思想・感情の創作的表現かどうかで判断され、短い文なら交通標語で認められた例はありますが、キャッチフレーズの類でも否定されることが多いです[7](不法行為も認められず)。見出しは、標語やキャッチフレーズ的な要素として創作性がある場合もありえますが、事実の表現としての短い文(章)では、なかなか認められないと思われます。
まず、記事を作成し発信している側が「権利を明示的に主張している」のは、審議の中で示されたものによれば著作権に留まり、それら以外の権利を主張するものではありません。ですから、普通に法律が適用されるということであって、特別に閲覧者らに規制をかけているというものでもなく、基本的には著作権、場合によっては不法行為などがあてはまる可能性がある、ということで判断していくことになります。
そこで、不法行為を考えるなら、類似性ではなくて、損害の大きさでの判断がメインになります。ウィキペディアは競業するものではありませんし、新聞記事の一部からウィキペディアの記事の一部であり、「記事のデッドコピー」でもないです。加筆された内容が、新聞社に対して些細でない損害を与えるとは考えにくい。ありふれた表現なので表現自体は保護されず、書かれている事実についても事実として保護されない。
新聞など大きなメディアの場合、あるいは新しい情報や知識を取り扱うような場合は、対価と公共性がせめぎあいます。著作権はアイデアや事実を守らず表現を守るものであり、時事の報道に関しての権利制限規定もあります。こうした情報の流通については、単に「ビジネスの世界」てことにはならないので、その境目について、あれこれ考えないといけない、てな感じです。--Ks aka 98会話2016年6月15日 (水) 11:26 (UTC)[返信]
返信 早速のお返事ありがとうございます。「損害の大きさで判断」というのはなるほどと思いますし、その観点では今回の対処そのものには私からは異議はありません。--柒月例祭会話2016年6月15日 (水) 11:48 (UTC)[返信]