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Wikipedia‐ノート:削除依頼/大阪市立三先小学校

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総理大臣と飲み屋のおやじは公に晒されるべき人であるべき

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Wikipedia:削除依頼/大阪市立三先小学校からの移転です。総理大臣の氏名を公表してもプライバシーの問題にならない。なのに飲み屋のおやじの氏名を公表しただけでプライバシーの問題になるのはいかがなものでしょう。これが住所や電話番号なら問題になるのがわかりますが氏名だけではならなくていいでしょう。総理大臣は小泉、JR西日本社長は山崎正夫、朝のニュースに出てるのは山本舞衣子、背番号50番は町田公二郎、やくざの親分は司忍、どこぞの駅長は某、トヨタの経理部長はだれそれ、近所の飲み屋のおやじは本田なんとか。このように百科事典は色々な人のことをのせるべきではないでしょうか大谷まこと 2006年9月25日 (月) 11:11 (UTC)[返信]

辞書を引くなり、判例を学ぶなりしてください。奇論を展開する場所ではありません。プライバシー権は、wikipediaで定めたものではないので、ここでいかがなものかと言ったところで、何も始まりませんし解決もしません。--PeachLover ももがすき。 2006年9月25日 (月) 11:22 (UTC)[返信]
辞書を引いても「法的な意味での公人」ではなく「言い回しとしての公人」、つまりは、公務員なども含めた意味で出てきてしまいます。ウィキペディアには法的な意味での「プライバシー」「公人」が出ているので、そちらを参考にするのが手っ取り早いかと。詳しく正確に知りたい場合は、中高で使う公民などの教科書もいいかもしれません。ああいう本は、第一級のスペシャリストが、中立的な観点を考慮して書いている場合が多いですからね。あと、持論を展開する前に知って欲しいことですが。たとえ、政治家のような公人といえども「プライバシー>知る権利」という関係があることということをお忘れなく。。S.Tanaka 2006年9月25日 (月) 12:56 (UTC)[返信]
なんか「名前を載せるくらいプライバシーの侵害にならない」と言われそうなんで、先手を打っておきますが。
  • まず、人間の気持ちの問題として・・・
あなたがウェブ上、特に、ウィキペディアも含む、不特定多数が閲覧可能な、利用者の多いサイトに名前を出されたら、どう思いますか?仮に、あなたが「別に何とも思わない」と思っていても、他人はどう思うか想像できますか?一般的には、不快に思う人が多いと思いますが。ウィキをそう思う人が増えて、ウィキペディアが「個人名を平気で出すサイト」ということで有名になれば、社会的信用は大きく失墜します。ネットの中でも最悪の無法地帯サイトと位置づけられるかもしれません。
  • 個人名については即時削除の対象となっています。
Wikipedia:削除の方針」を参照してください。ちなみに、民法に則って定められた方針だそうです。
もし、民法に難癖があるなら、他所か自分のサイトででもお願いします。ウィキはそういう場所ではないので。
S.Tanaka 2006年9月25日 (月) 17:34 (UTC)[返信]
プライバシー云々もまあ理由にはなるのだが、個人的にはそんなことよりも「誰かの名前が書かれていたとして、それがその項目の理解のためになんか役に立つの?」という視点を提供したい。
まあなんだね。プライバシー侵害の恐れがあるとしても、その項目の理解の助けになるようならば、比較考量をして「掲載しておく価値がある」と判断する場合はあるだろう(たとえば総理大臣の名前。その名前がポインタとして機能するため。「第88代総理大臣」よりは「小泉純一郎」の方が通りがいい、みたいなケース)。しかし、そういうビッグネームはきわめて限られるんです。大半の個人名は、それが記されたところで項目の理解の助けにはならない。項目の理解の助けにならないのならば、ごくわずかなリスクであっても甘受する必要はない、という結論になる。
現実問題、事件なんかでもやたら名前を載せたがるひとがいるんだけど、んな名前なんかすぐにみなさんお忘れになってしまうわけで、やっぱ載せとく必要はほとんどないんじゃないだろうか。だったら載せるなってことでいいように思うのでありました。プライバシーをめぐる検討をしなければならなくなるのは「長期にわたって広くその名前が記憶され続け著名人」になってからで充分だと思うのだなあ。--Nekosuki600 2006年9月25日 (月) 17:45 (UTC)[返信]
基本的に、個人名の掲載の必要性はない。これには同意です。そして、長期に名が知られるという条件も、何かの分野に名前が残っている人を記載すべきということで、同意できます。しかし、広く知れ渡っているかどうか、というのは基準としてはどうかナーと思います。一般的には知られていないが、専門的・マニアックな世界では有名という程度の人物や、トリビア的な人物(人によって異論はあると思いますが)というのもいますね。具体的には、専門的な学問の世界では有名な研究者、アニメの声優とか、マイナーな快挙を成し遂げた人などのことです。そういう人の記事も多いじゃないですか。なので「実名の記載が、実名が記載されている記事とその関連ジャンルの記事の充実に貢献するか否か」「実名を掲載することにより、ウィキペディアが被る風評被害・法的被害などと、そういうリスクが起こる可能性と、記事に実名を掲載する意義を秤にかける」という類の損得勘定に限定して判断すべきかと。:S.Tanaka 2006年9月25日 (月) 18:37 (UTC)[返信]
別にここで細かな条件の策定をやろうと思って書いてないので、そういう細かなところにつっこまないっ。
いちおう「広く」を入れといた理由を説明するとだ。へたに「狭く」でもいいことにしちゃうと、たとえば犯罪関連なんかだと、関係者はずっと名前を覚えているわけで、「そんなら名前を出しちゃっていいのか」という話になりかねないため。専門分野ではポインタとして機能する名前なんかだったらOKだとは思うけれど、「狭い世界であっても著名人ならOK」ということには絶対にならない。
いずれにせよ、今回のもともとも話に関して言うなら、「名前を載せても全然理解の助けにゃならんでしょ」ということでFAでいいと思う。
--Nekosuki600 2006年9月25日 (月) 18:47 (UTC)[返信]
なるほど、そういうことなら話は分かります。・・・ちょっと、僕も細かい所に突っ込みすぎました、すいません。ちなみに、どの程度の人を「書き込む意義がある著名人」とするかの基準は、既にガイドラインにあるんで、そっちが参考になると思います。:S.Tanaka 2006年9月25日 (月) 19:00 (UTC)[返信]

本名を平気で出すことに問題があるといわれましたが、本名を出す価値のある組織の一員だからです。組織の最高責任者は本名をのせるべきです。総理大臣は国を構成する重要な一員飲み屋のおやじは飲み屋を構成する重要な一員と考えてください。そしてどちらも公に出ます。公に出るということは結果的に本名も晒されるということです。晒されてるものをのせてはダメ、これはいかがなものかと。大谷まこと 2006年9月26日 (火) 08:23 (UTC)[返信]

そのお考えには賛成できません。例えばこのような場合はどうでしょう。子供たちの学校のことを考えると、学校には児童・生徒の自治組織として児童会や生徒会などがあります。この最高責任者は会長の役職に就いた児童・生徒になるわけですが、このような人々も公に出るのは変わりありません。もしそのお考えがまかり通るとすれば、一児童・生徒の名前まで、ウィキペディアのその学校の記事に本名を載せてもいいということになってしまいます。これはどう考えてもプライバシー的にも子供の人権的にも問題があると思われます。それにその本人の名前が記事に載っていて何に役立つのでしょう?
最高責任者なら誰でも実名を載せてもいいとなれば、きりがなくなると思います。--Broad-Sky トーク 2006年9月26日 (火) 09:09 (UTC)[返信]
禅問答は好みません。
ですから、「そこに本名を出すことでどのように読者の理解が深まるのか」をご説明ください。理解が深まるという点に納得すれば再考の余地はあります。
--Nekosuki600 2006年9月26日 (火) 09:01 (UTC)[返信]

書くのを忘れていましたが、未成年者では話が別です。法律にも少年法で加害者の名前を出さないなどという決まりがあるでしょう。あくまで未成年者は別物とお考えください。本名を出すと組織のことについての理解が深まります。ある飲み屋で愛想のいいオヤジさんがいて「この人はなんという名前なのかな」などと思ったときにWikipediaをみると理解が深まります。大谷まこと 2006年9月26日 (火) 09:43 (UTC)[返信]

それは広告活動にあたりますのでウィキペディアでは禁止されています。そのような話題はウィキペディアではなく別のクチコミサイトなどで行うべきと思います。

それに児童・生徒は大半は未成年ですが、成人で学生の方(大学は特に)もいらっしゃるわけです。このような学校内の組織の代表者名を挙げて何に役立つのでしょう?また代表者が毎年毎年必ず未成年者とは限らず、成年者がなるという可能性も十分にあります。このような場合はどうするつもりでしょう?理解が深まるというより、一般人に対して誹謗中傷が行われるリスクが高まると思われます。また、その名前の欄に事実と異なる人物の名前が書かれていた場合、どうするのでしょうか?もちろんその組織の人物、またその組織をよく知る人物なら訂正できるわけですが、それでも正確さと確実性という点では、総理大臣などの記事と比べればかなり劣ると思われます。

また、未成年者は話が別とありますが、スポーツや各種大会(文化などでも)などで高成績を挙げている未成年者でも記事が作成されている例もあります。また未成年でも一企業の代表になることはできます。結局は、成人・未成年という年齢によって名前を出す出さないと決まりが異なるのはおかしい話です。「情報が多ければ理解が深まるからよい」というのは違うと考えます。その人物名を載せる載せないは「読者にとってどのように理解が深まるか」にあると思います。--Sky-blue Talk 2006年9月26日 (火) 10:30 (UTC)[返信]

愛想のいいオヤジさんの名前が何であろうが別に味が変わって感じられるようになるわけではありませんしねえ。申しわけないんですが、その程度の説明では、おれは「もしもわずかなリスクしかないとしても、そのリスクと引き換えにする価値は認められない」と判断します。
ついでに、「未成年は別」とあっさり言ってしまうあたり、特に深い思想や哲学があっての主張ではないという印象も抱きました。
何かものすごく説得力のある「Wikipediaに氏名を記すことのメリット」についての説明がなされるまで、「いちいち氏名を記す必要はないし、氏名表記のリスクを上回るメリットはない」という見解を維持させていただきます。--Nekosuki600 2006年9月26日 (火) 10:15 (UTC)[返信]
しつこいようですが、個人名をインターネットに無断で公開することは、法律で禁止されています。もちろん、ウィキペディアのルールも法律に則っており、ウィキペディアに私人名を出した場合には削除対象になります。まずは「Wikipedia:削除の方針」をお読みください。出してもいい個人名と、ダメな個人名も書いてあるので。話はそれからです。S.Tanaka 2006年9月26日 (火) 10:20 (UTC)[返信]
ちょっと茶々入れます。「個人名をインターネットに無断で公開することは、法律で禁止されています」っていうのは、直接禁止している法律はないはずです。また、削除の方針にある「個人情報保護法」はこの際関係ないのでは?ということも挙げておきます。ただ、いずれにせよ、憲法や判例などで認められたプライバシーの観点から、この節のテーマは単なる1個人の意見にすぎないことは言わずもがなですけど。Fuji 3 2006年9月27日 (水) 02:57 (UTC)[返信]
S.Tanakaさま。私人の意味をご確認下さい。私人名を出したら削除、ならば、wikipediaの、人名の載っている項目のかなりのものが、消えてなくなることになりますよ。公人ではなく私人の名前、たくさんあります。と、しつこくも削除依頼で言い続けているのですが、wikipediaでは、まるで2ちゃん用語のように、「私人」という言葉が別の意味を持って一人歩きしているような印象があります。
また、「個人名を無断でネット公開禁止」というのは、どこに書かれているのでしょうか。寡聞にして知らないです。小泉純一郎も、個人の名前であるわけですが(小泉純一郎という名の法人があるかもしれないが)、これも禁止なのでしょうか。--PeachLover ももがすき。 2006年9月26日 (火) 11:22 (UTC)[返信]
総理大臣は私人ではなく公人です。公人の意味をご確認ください大谷まこと 2006年9月26日 (火) 11:26 (UTC)[返信]
あたりまえでしょ。やっと覚えましたか。tanaka氏へのレスだと明記しているんだから、無意味な発言で邪魔をしないように。ここは子供の遊び場ではありません。(千葉船橋のinfowebユーザーを思い出します)。--PeachLover ももがすき。 2006年9月26日 (火) 12:11 (UTC)[返信]

そこは臨機応変にしてください。会長が未成年の場合は書かないなど。臨機応変に対応すれば可能だと思います。正確性に対しては間違っていたら気付いた人が直せばいい。ただそれだけのことです。スポーツなどの大会になると話は別です。スポーツなどに出た未成年の名前はどんどん載せていくべきだと思います。生徒会とスポーツなどの大会がどう違うかというと、スポーツは元々から名前が晒されるわけです。大会に出た時点で結果的には名前が晒されますよね。スポーツ新聞なりなんなりで。大会と生徒会はまた別のものです。未成年の場合生徒会などはプライバシー上の問題からのせてはならないでしょう。大会ではもともと晒されていたものをまとめるだけなので大丈夫です。理解などにふれられましたが、それは一概に○○だから読者にはいいといえるものではありません。たとえば芸能人のプロフィールでも同じです。とある歌手の身長が156cm。だけどそれを知ったからといってその歌手の歌がうまく聞こえるわけではない。豆知識とよく似たものです。大谷まこと 2006年9月26日 (火) 11:12 (UTC)[返信]

「そこは臨機応変にして下さい」という時点でこの提案は受け入れられません。それではページ毎に対応が異なり、結果、ウィキペディア全体が乱れる原因となります。それに「スポーツは元々から名前が晒される」「大会に出た時点で結果的には名前が晒されます」というのは誰がそんなことを決めたのでしょうか?団体競技などでは選手の名前が出ず、チーム名のみのことがありますし、「スポーツなどに出た未成年の名前はどんどん載せていくべき」というのも不思議な話です。それに「正確性に対しては間違っていたら気付いた人が直せばいい。」とありますが、私が申し上げているのは、「気づく人がどれだけいるのか?また直される確立が著しく低い」ということを言っているのです。
「大会ではもともと晒されていたものをまとめるだけなので大丈夫です」とありますが、それなら、例えば「夏の甲子園」に出場した全登録選手名を挙げてもよいとおっしゃるのでしょうか?それはサーバーにかなりの負荷をかけることになり、賛成できません。--Sky-blue Talk 2006年9月26日 (火) 11:26 (UTC)[返信]
臨機応変にすべれいいだけの話です。成人なら載せて成人ならのせないというルールを全体で決めればいいはなしでは?こうすればWikipedia全体が乱れることはないと思います。スポーツは元々から名前が晒されるというのはれっきとした事実です。夏の甲子園でもネットやら新聞やらで普通に名前が晒されますよね?それに現地に足を運んだり成績表などからも名前が晒されます。つまりこれは事実です。そして気付く人がいないのなら消せばいいだけで、知ってる人が書けばいいだけなのです。そして夏の甲子園に出場した善選手名をあげる。これはまさしく僕がいいたかったことです。全ての選手名をどんどんあげていくべきです。サーバーに負担がかかるなら1ページにまとめるなり工夫をすればいいだけのことです。大谷まこと 2006年9月26日 (火) 11:40 (UTC)[返信]

私人という言葉、たしかに文の流れの中で特に意味を考えずに使っていました。辞書で調べた所、どんな有名人や公務員などでも、プライベートタイムには私人になるので、「私人⊃公人、公務員、有名人」となりますね。なるほど、TPOで変わる問題なんですね。それなら、この部分の話を正確な語意で進めるなら、「規約にある個人名」などという方がいいでしょうな。一般人の個人名をネットに無断で出す行為は、たしか、個人情報保護関係の条例か法律で禁止されていたように思いますが。申し訳ありません、ちょっとうろ覚えではあります。ですが、常識的な判断からいって、有名人でもない個人名を載せることは、どうかと思いますがねェ。

ルールは臨機応変とかそういう問題ではないのです。ウィキペディアのルールに違反している、その時点で問題なのです。積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人を除き、本名(個人の実名)を含んでいたり、個人が特定できる記事は、削除の対象になります。日本国法の個人情報保護法、民法709条などを参考にしていますが、法令とは関係なく日本語版Wikipediaは個人のプライバシーを尊重する方針を採っています。下記に、ウィキペディア日本語版で伝統的に削除されている例を挙げます。(省略)ウィキペディアのルールに文句があるなら、管理者に言うべきでは?法律に文句があるなら法務省に言うべきではないでしょうか?それか、貴方が官僚か政治家にでもなって法律を変えるとか・・・S.Tanaka 2006年9月26日 (火) 11:54 (UTC)[返信]

もうそろそろ「悪ふざけとナンセンス」に移動したらどうだろう。話題のタイトルからして「~あるべき」なんていう、大谷氏の奇異な主張に過ぎないのだし、井戸端は演説の場ではないでしょう。--PeachLover ももがすき。 2006年9月26日 (火) 12:16 (UTC)[返信]

「夏の甲子園」などは、新聞などで選手名一覧が載っていますが、あれは、掲載者が主催者各位の許可をもらった上で掲載しています。しかしウィキペディアの場合、「何か問題があった場合、誰が責任をとるのか?」という点がひっかかります。それにサーバーに負荷がかかるというのは、ページ数を少なくすれば解決するというものではなく、「夏の甲子園」の場合、毎年大会が行われ、その都度、大人数の選手名を掲載するわけですから、それが積み重なり将来的には膨大なサイズになると言っているのです。
「臨機応変」の恐ろしさは、その時その時で対応が変わるということです。同じ事象についても、結果が異なる可能性は十分に考えられます。
「未成年なら載せない。成年なら載せる」と決めた場合でも、大谷まことさんがおっしゃることから「大会の好成績者は別とする」等の特例がいくつもできることになります。
失礼ながら、大谷まことさんのお考えについていくことができません。「掲載されたらどう思うか?どういう影響があるのか?」という人間の気持ちをもう少し考えてみて下さい。それに「ウィキペディアの信頼性」というのもお考え頂きたく思います。「法律にひっかかってないから・・・」「ルールを守っているから・・・」果たしてそういうものなのでしょうか・・・
PeachLoverさんのご提案に賛成です。頭が痛くなってきました・・・--Sky-blue Talk 2006年9月26日 (火) 12:22 (UTC)[返信]

大谷氏には、一つか二つのレスで納得していただけると思ったのですが。そろそろラチが明かない感じもしますね。なのでPeachLover ももがすき。 氏の移動案に賛成です。大谷氏に対して、これだけは言わせてもらいますが。あなたの基準で実名を投稿したら、それを見つけた人に削除以来を出されることもあるでしょう。その際には、貴方の主張は通らないと思います。それは言っておきます。S.Tanaka 2006年9月26日 (火) 12:33 (UTC)[返信]

まず言わせて貰いますが上の削除以来のページで井戸端への移動を進められたのでここで書いているだけです。これからも井戸端で続けるべきでしょう。あと夏の甲子園以外でもどんどんwikipediaでは記事が増えていきます。サーバーを増強すればいい、それだけの話です。あと僕は大会の好成績者は別なんていってません。何らかの大会に出たものは別とします。だからどんな悪い成績の選手でものせるべきです。あと民間企業の社長などはどうなるのですかね?それも削除対象となるのですか?スクウェアエニックスの社長は和田なんとかである、なども削除対象?それと飲み屋のおやじにはあまり違いがないと思うんですけどね。どちらも個人を十分特定できますし。井戸端は意見交換や議論の場所です大谷まこと 2006年9月26日 (火) 12:38 (UTC)[返信]

もういい加減にして下さい。井戸端とか言っている前に、何よりも話し合い自体が成立していません。誰か他の人が意見を出すと、それの揚げ足をとるようなことばかりでぜんぜん建設的に話が進みません。話し合いというのはお互いの意見を言い合い、聞き合う場です。お互いの譲歩なくして話し合いはまとまるものではありませんし、その前にこの話題は誰も賛意を評している人がいない時点で、自分の意見を見直すということも大事なのではないでしょうか?それに「サーバーを増強すればいい」とおっしゃってますが一体何様のつもりですか?ウィキペディアはボランティアにより運営され、広告収入などは一切無く、寄付のみで運営されています。限られた資源の中でやらなければならないため、ユーザーは日々サーバーに負荷がかからないよう努力しています。そのような姿勢に反しているとしか感じれません。「どんな悪い成績の選手でものせるべき」というのも余計納得いきません。その選手本人はいつまでも不本意な成績を記録として残されたいでしょうか?だったら選手名など載せてみてはいかがですか?実際やってみてどうなるか?やってみればわかるでしょう。あといくらお話しても埒が明かないと思われますので失礼します。--Sky-blue Talk 2006年9月26日 (火) 12:55 (UTC)[返信]
話し合いは成立しているはずですよ。あくまで僕は議論をするためにここにきているのですから。まずWikipediaはどんどん記事の数が増えていきますよね。もう放っておいてもサーバーにどんどん負担がかかるということなんですよ。それにもし第80回大会の選手がいたら「第80回大会の選手」という1ページにまとめれば負担も軽減されると思います。このようにすればサーバの負担も軽減されますがそれにも限度があるんです仕方ないんです。あと悪い記録の選手も仕方ないんですよ。人間の感情だけで分別するわけにはいかないんですよ。あくまで結果は結果です。どんなに良い結果でも悪い結果でも。それは残ってしまうのですから。実際やってみろといわれても、僕はやりません。それはなぜかというと僕は情報が少ないからです。高校野球でも熱中して見ているわけでもなく情報数も少ないです。ここは情報を多く持っている方がやるべきでしょう。大谷まこと 2006年9月26日 (火) 13:01 (UTC)[返信]

対話になっているつもりになっている人は奇論を開陳している方お一人のようですから、移動か終了でよいでしょう。ぜひ、大谷氏には、自ら「公に晒される」ということを実感していただきたいものです。私はいやですがね。大谷氏が総理大臣と飲み屋のおやっさんを並べてみるのは自由ですが、百科事典の編纂について話し合う場では、まったく場違いですから、もう終わりにしましょう。リソースの無駄です。皆さんお疲れさまでした。--PeachLover ももがすき。 2006年9月26日 (火) 13:08 (UTC)[返信]

勝手に仕切られても困ります。あなた一人だけが終わらせようとされても困ります。公に晒されるのは仕方が無いことなんですけどね。何をしたかを並べられるだけで大谷まこと

大谷さんがこんなに大暴れしていなければ、とっくにWikipedia:削除依頼/大阪市立三先小学校は存続終了している案件です。引っ込みがつかなくなって様々な方面への意見を開陳するのは御自由ですが、あなたが存続意見を表明した記事を残そうとしている者は迷惑しています。Himetv 2006年9月26日 (火) 13:06 (UTC)[返信]
大暴れといわれましてもね。正しい方向に導くための意見を言ってるのみです。大谷まこと 2006年9月26日 (火) 13:09 (UTC)[返信]
あなたが導く必要はありませんし、結果として導けていないので、余計なことをしなくて結構です。人を導くというのは、そんなに簡単なものじゃないんでね。おとなはね、そんな言葉を軽々しくいえませんよ、人を導くことの難しさを仕事を通じて身にしみているからね。自分でウェブサイトでも立ち上げて、そこで御導き下さい。手始めにあなたが自分の個人情報を全部晒してみてください。お疲れ様でした。--PeachLover ももがすき。 2006年9月26日 (火) 13:16 (UTC)[返信]
はっきり言って全然わかりません。人を導くことと僕の個人情報が何の関係があるんですか?僕が個人情報をのせろといっているから?それは経営者など記事になるようなことをしている人を言っているのです。一般人何もやってない人の個人情報などそれこそ違法ですよ。あと導くためには説得するのが一番の方法でしょう。そりゃ導くのは難しいことですよ。説得などをしてうまくやらなければいけないんです。ノートページが一番のいいところなんですよのえ大谷まこと 2006年9月26日 (火) 13:18 (UTC)[返信]
いくらあなたが声高に主張しても、あなたは人を導く立場ではありません。今後の書き込みを自粛されるよう希望します。これ以上、他社との協調性の見られない態度を撮り続けられるようでしたら、共同で百科事典を編纂する場にはそぐわないと考え、banを依頼し、そこでコミュニティの審議を仰ぎたいと思います。--PeachLover ももがすき。 2006年9月26日 (火) 13:25 (UTC)[返信]

上記議論より

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まずは皆さん落ち着きませんか?どちらともかなり肩に力が入っておられるように思いますよ。こういうとお叱りを受けるかもしれませんが、まずはヒートダウンが必要だと思います。
さて、今回の議論についてですが、"公人"という言葉の定義について双方で隔たりがあり、この議論の最初の問題となっていると思います。Sky-blue氏、PeachLoverももがすき。氏、S.Tanaka氏らはWikipediaにある、公人の狭義もしくは広義の定義を考えておられ、大谷氏は「公の場に出る全ての人間」とされているのだと思います。一般的な辞書には前者の意味しか載っていませんが、後者も「社会に出ればみな公人、責任を持って・・・」等の処世訓のように極めて慣用的で限定的な使用はされると思います。ですが、今回の場合どちらが正しいのかが重要なのではなく、そもそもプライバシー権に「私人であるから」「公人であるから」という基準はありません。どのような場合でも"公共の利益"(表現者の表現の自由)にかかわるかどうかで臨機応変に対処されます。また、今回の「居酒屋のおやじ」、「公立校の校長」のいずれもプライバシー権の範囲ではありません。プライバシー権とは私生活に関する権利であり、一般的な社会的活動(店主や校長)は範囲外です。

  • 今回についてはプライバシー権によって記載が左右されることはない。
    • 名誉権についてもその職業が本人の名誉を傷つけるとは考えられないと思われる。

次にWikipediaに氏名を公表することについてですが。公表されることを"望む望まない"は個々人で違うので臨機応変に対応しなければなりません。Wikipediaの規則はプライバシー権に関する法に根拠があるのではなく、あくまでその法を参考にしそれを厳しくした独自の物です。一般的に「積極的に実名を用いて活動している政治家・スポーツ選手・研究者・作家・芸術家・アーティスト・芸能人などの著名人」はすでに名前が公共・報道機関等で晒されており独自調査に当たらず、「積極的に」から自身でも望んでいるのでWikipediaに記載してもおそらく問題ないと思われるから名前の公表をWikipediaが認めています。しかし、「実社会は良いがインターネットはいや」かどうかの確認の省略をしているだけでもあります。逆に唯の一個人でも自身の氏名を積極的に公開したがる人もいるかもしれません(もっとも唯の一個人はWikipediaに記載されるべきではありませんが)。それらは常に個々人の判断にゆだねられる(個々人の判断は「望むか望まないか」で記載の判断ではないがWikipediaはできるだけその意思を尊重する)のでWikipediaでは一般的に最も"無難"な方法、つまり前述の著名人はOKだが一般人はNOとしているわけです。あくまで"無難"であることが重要です。

  • Wikipediaに氏名を記載する場合には無難であるかどうかが重要である。

しかし、Wikipediaの現状として大企業の創業者や代表者名が比較的よく記載されています。実際には彼等は前述の著名人ではないのですが、慣例的に認められているようです。「居酒屋のおやじ」は企業の代表者名に当たりますが、普通、Wikipediaには載りません。なぜならば日本中には何万と世界中には何百万とあるであろう居酒屋のうちの一つに過ぎない一居酒屋はWikipediaにとって重要とはいえませんし特筆すべき事項がないからです。もちろん、その居酒屋が「日本初の居酒屋」や「来客数1億人を唯一突破した居酒屋」等の特筆すべき事項とその歴史に関して詳細な記述があったのならばWikipediaに記載されるべきですし、その居酒屋にとってその店主がきわめて重要な要素を占めていたならば(恐らく占めているでしょうが)その人物名も記載されるでしょう。希な例ですが回転寿司の開発者は彼の業績が特筆すべき物であったからこそ記載されています。ですが、「Wikipediaはデータベースではありません」から普通にその辺にある居酒屋を全て記載することはできません。前述の大企業も上場企業であったりその企業の事業に特筆すべき物があったから記載されているのであり特筆すべき内容がなければ記事は作成されません。先ほどの"公共の利益"とはこういった特筆すべき事項があるかどうかが重要になってきます。

  • Wikipediaに氏名を記載する場合その人物の業績が特筆すべき物であるかどうかが重要である。
    • その人物の氏名が公表されている事(ある程度無難であると言える)は記載する際の必要条件だが十分条件ではない。

校長の氏名についてですが、公立校の校長は公人であり公表された氏名ならば、最も無難な人物であるのは確かですが、実際には唯の公立校の校長であれば「その人物の業績が特筆すべき物」でないかぎりWikipediaに記載する必要はありません。その学校についてその校長が重要な業績を残している事が重要で、その業績に関しての詳細な記述がある事が必要です(「在校生が全員司法試験に合格した」等)。希な例に校長自身が特筆すべき場合(著名な教育学者であった等)もあるかもしれません。学校についての理解に校長名の記載が影響するかどうかはその校長についての説明があるかどうかによります。人物名だけからその校長の学校に対しての業績を読み取ることは一般の読者にとって不可能であり、人物名だけの記載は読者の理解を深めることに貢献しません。人物名とその人物の特筆すべき業績がセットになってこそWikipediaに記載すべき要件を満たします。人物名だけの記載は必要がないだけで記載に問題はありませんし積極的に削除しなければならない必要も無いでしょう。同時に積極的に記載する必要はありませんし削除にも問題はありません。その時その時の合意のとられ方に依存すると思われます。

  • 校長は問題ないが特筆すべき事がない場合は記載する必要は無い。

S.Tanaka氏の「ウィキペディアのルールに文句があるなら、管理者に言うべきでは?」は少々おかしいかと、Wikipediaのルールや編集に関しては管理者も一般参加者も常に平等です。ルールの改正を望む場合、当該ガイドラインのノートに提案することは誰にでもできます。それから大谷まこと氏も「導く」とされては語弊が大きくなると思います。編集者はみな平等です。議論の最後のあたりは双方ともかなり感情的になっておられるようです。本題とも外れているように思います。どうかご自制を、、、長文失礼いたしました。H.souichiro 2006年9月26日 (火) 22:10 (UTC)[返信]

なるほど、著名人の基準資料としての必要性ということを詳しく説明すると、色々な視点から深く掘り下げることが出来ますね。僕や、恐らく他の人もそうでしょうが、社会通念やら常識という曖昧なこと以外の理由は深く考えていなかったかもしれません。そういうわけで、参考になりました。それと、ヒートアップしていたとはいえ、ウィキペディアは皆で編集する百貨事典という基本方針に反した発言をしたことについては、反省して深くお詫びします。管理者も一般参加者も常に平等、ルールは皆で作る。各自が忘れちゃいかんことでしたね。S.Tanaka 2006年9月27日 (水) 09:26 (UTC)[返信]

完全に蛇足ですが、「ある記事に名前を載せること」と「その個人の単独記事を作る」のは自ずから扱いが違う気がします。後者はプライバシーを侵害する内容になる危険性が高いのでより厳しく。で、Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関しては特に区別していないんですね・・・Fuji 3 2006年9月27日 (水) 03:16 (UTC)[返信]

「その個人の単独記事を作る」の方はWikipedia:存命人物の伝記でしょうか。まだ翻訳中ですが。--Michey 2006年9月27日 (水) 04:15 (UTC)[返信]
昨日は失礼致しました。自分とは全く違った意見だったため、ついついヒートアップしてしまいました。H.souichiroさんのおっしゃる通りです。
ウィキペディアはたしかに「情報の宝庫」ということが最大の長所で、知名度も飛躍的に高くなってきているコミュニティと思っております。私もこの魅力によってウィキプロジェクトに参加しようと思った一人です。しかし私が懸念するのは、過度の個人情報が晒されることです。しかし現実として、名前を出す出さない・個人名の記事を作る作らないといったことは、一人一人の考え方により大きくそのラインにギャップが生じております。かといって、「この職業・こういう履歴がある人だったら掲載・・・」といった明確なラインを引くこともあまりに煩雑となるため不可能であります。以前も、吹奏楽界ではサプライズ的な快挙を成し遂げた佐藤俊介氏の記事の削除議論においても、記事にすべきかすべきでないかといったことに大変悩み考えました。
記事にすべきかすべきでないかや、名前を記述すべきかすべきでないかといったことが度々議論されていることを考えると、ガイドラインをもう一度見直してみる必要があるかもしれません。たしかに臨機応変の対処ももちろん必要で、そのつどそのつどの議論で改良していくのはとても大事だと考えております。ただ、一度ネットに情報が出てしまうと、たとえそれが後になって削除されたとしても、不特定多数の人物が特定期間に見てしまったということがありますので、できる限り事前に抑えられればとも考えております。--Sky-blue Talk 2006年9月27日 (水) 10:24 (UTC)[返信]

先の解釈ですが、あくまで私が現在のガイドラインや方針を最も無難であるように解釈した物で、数ある解釈の内の一つだと言うことを付記させてください。違う解釈ももちろんあると思います。私はこの解釈が今回にある程度最適であると考えていますが、元々のガイドラインや方針が厳格・厳密化されたものではなくあくまでガイドライン、つまりは個人へのアドバイス程度の物になっているので個人によって捉え方は違ってくるのは当然だと思います。最終的な判断は議論次第で議論が尊重されるべきだと思っています。
ガイドラインについては、私も現状が最適だとは思っていません。「記事内の記述」か「単独項」かの違いも本来は区別されるべきですが、現状では両方同時に解釈するよりほかありません(両立できていれば良いのですが、濁してわかりにくくしただけだと申し訳ない。)。今後、厳格化するかそれとも"遊び"を持たせるかについても非常に難しい問題となるでしょう。厳格化すれば普段は便利ですが例外への対処が非常に難しくなります、例外だらけになっては元も子もありません。逆に遊びを作っても毎回のごとく議論が行われ解釈も色々出てくるようではリソースの浪費も良いところですし、非効率的です。ガイドライン改正自体にも大規模な議論が必要となるでしょう。それも数年おきに時代を省みた議論が必要なのだと思われます。このあたりはもうすでにここでの議論からは離れていて申し訳ないのですが、いずれはこの問題に正面から向かっていかければならないと思います。以後は完全に個人的な考えなのですが、現状のガイドラインは「Aと言う人物の人生は特筆すべき物だ。しかしBという人物の人生は特筆すべき物でない。」という判断を迫る物でもあるのですが、それぞれ個々人が最大限生きている人生に"特筆すべき物"かどうかのレッテルを貼ることは私自身あまり好きではありません。しかし百科事典を書いているからにはしなければならないのですよね、、、あくまで極端な私見ですが、現状のガイドラインでは「特筆でないとされたことは名誉毀損」と訴えられるリスクには対応できていなかったり、負けることはほぼ無いでしょうが。H.souichiro 2006年9月27日 (水) 11:40 (UTC)[返信]

何か違和感があるな、と思ったら「晒されるべき」「晒す」というのはWikipediaでは「使ってはいけない」のではないかと。あくまでもWikipediaのユーザーがその名前で検索したときにはじめて表示されるものであり、WIkipediaの書き手は自分からユーザーの目の前に項目を「晒す」ことはできない。大谷まこと氏はそうではなく、自分が書けばすべてのWikipediaユーザーは自分が書いた項目を見てくれるだろうと、Wikipediaを狭い範囲でしか考えていない。だから「Wikipediaに掲載する」という行為を「晒す」という動詞で表現してしまっている。

というわけで「総理大臣」だろうが「飲み屋のおやじ」であろうが「晒す」目的で「Wikipediaに掲載する」のは拒絶されるべきであると考えます。そこらへんをまず理解していただけないとWikipediaでうまくやっていくことはできないのではないかなと考える次第。--SeyfertSluw 2006年9月28日 (木) 04:16 (UTC)[返信]

大谷氏の主張を拡大解釈すると、本名を公開していない歌手の本名も載せるべきということでしょうか?過去にこれで(例として倉木麻衣の記事などが)緊急特定版削除になったり保護されたりしていますが…。219.164.83.247 2006年9月28日 (木) 14:15 (UTC)[返信]

S.Tanakaさん、他の方々のコメントまで削除するのはかなり問題があります。お気をつけ下さい。また、ウィキペディアでは署名時刻はUTCが推奨されております。たしかに日本語版なのでJSTを使用するお気持ちも分かりますが、世界からアクセスすることができるので、UTCにされた方が無難かと思います。また、一節あたりの文の長さが長すぎるため、レベル3の節(項)を追加しました。
219.164.83.247さんのような解釈も、大谷氏のお考えからはできてしまうので懸念を抱いております。--Sky-blue Talk 2006年9月29日 (金) 04:41 (UTC)[返信]

まず最初に、編集ミスでご迷惑をお掛けした事をお詫びします。それと、時刻に関しては、単にUTCで署名するコマンドを知らない無知ゆえでして・・・すいません。コメント投稿にも慣れてきたので、今後は気をつけます。 さて、ここまでの話を要約してみますが

  • 今までの規則にも「積極的に名前を使って活動している~(省略)」などの「著名人の基準」が、一応は存在する。
  • しかし、実際には、人名の記載は「リスクが少ないであろう」という読みから行われることが多い。
  • 投稿するか否かの判断は心情的な問題、常識、資料としての価値などを各々の裁量で行われていた。
  • 規約にある「積極的に名前を使用して~」などの基準や、「スポーツ選手など」という例は曖昧さがあった。

具体的に、甲子園球児や組織代表者などの人物については賛否が分かれるケースが、しばしばあった。

  • 参加者の価値観によって、削除議論及び削除といったトラブルが発生したケースがいくつかある。

あくまで主なものだけですが・・・こういったところでしょうか?
今までに発生した議論、参加者の増加と価値観や主張の多様化が起こるであろうという予想。そういったものから、あまりにこういった議論が続出する懸念が生じるなら、ルール制定を話し合うという案に、賛成です。S.Tanaka 2006年9月29日 (金) 10:36 (UTC)[返信]

「その名前を掲載することでWikipediaはどのように充実するといえるのか」という視点も入れておいてほしい。
いちいち反論するのもナンだからしなかったのだが、「校長が変わると教育方針なども大きく変わる。校長はキーパースンである(大意)」という意見があった。それには賛成する。しかしだからといって、その校長の名前が記載されると教育方針がどう変わったかが読み取れるのかとか考えたら、やっぱし「名前を掲載してもあんまし意味はない」という結論になったりする。こういうのは利害得失の比較考量なんで、たとえリスクが少なくともメリットが全然ないんだったら「名前の掲載はやめとき」という結論になる可能性がある。
だから「どういうメリットがあんのか」という視点は重要だと思う。--Nekosuki600 2006年9月29日 (金) 11:10 (UTC)[返信]
公立学校の校長・教頭の場合、複数の学校を回るのが常であることを考えると、共通の教育方針や教育方法(100ます計算や、早朝ランニング、勤労奉仕など)を持つ複数の学校を調べてみると、同じ校長が別の時期に行ったものであることを判断する手がかりにはなりうると思われます。それはそうとしても、実際いくつかの学校記事を執筆するに当たって調べた際、校長の名前などは一番最初にわかる情報でした。そこから考えると、量的に不十分な記事の場合、校長の名前が欠落しているとまともな取材を行っていないことが窺い知れ、記事のほかの部分でも信頼性が揺らぐことが心配です。Himetv 2006年9月29日 (金) 11:32 (UTC)[返信]
そういう手がかりとしてWikipediaを使うのはやめてください、としか。逆にそれなりにnotableな実績のある(本を書いてたりするとか)校長ならそれこそその人の項目を作ってリンクを貼ればいいだけです。--SeyfertSluw 2006年10月2日 (月) 00:48 (UTC)[返信]