Wikipedia‐ノート:削除依頼/宇治野町
主に3つの資料、1)国立国会図書館デジタル化資料による一次資料 和名類聚抄、2)神戸大学附属図書館デジタルギャラリー公開古地図、3)神戸市教育委員会による公開学術公文書「下山手北遺跡第二次発掘調査報告」を典拠として加えて下記記載案に変更する。
なお著作権の観点からは、1)は著作権切れ、2)は公開古地図で地図そのものは使わず文字のみ引用とする、3)は公開学術公文書であるのでもともと引用されるべきことを前提とした文書であるから出典を明らかにした適正な引用である限り著作権法上問題とはならないなど、いずれも著作権法上問題はないと考える。
なお、角川日本地名大辞典、「JapanKnowledge」のリンクは著作権上問題ないと考えられるので、残すこととする。
(宇治野町変更案)(なお宇治野村以降の記載はそのまま残す)
宇治野町(うじのちょう)は、兵庫県神戸市中央区のかつてあった地名である。現在では、宇治川にその地名を残す。「宇治」の名の初出は天平十九年(747)の『法隆寺伽藍縁起井流記資財帳』とされる。[1] 和名類聚抄(承平年間(931年 - 938年)編纂)によれば、摂津国八田部郡宇治郷との記述がある。(なお、ここに「宇治」とならんで「八部」(也多倍(万葉仮名での読みでヤタベ))の郷名の記載があることに注意。)[2] 後に、八部郡宇治野村と呼ばれた。[3]
宇治野山
[編集]熊野神社 (神戸市中央区)、神戸市立山の手小学校や神戸海洋気象台跡地[4]のある一帯。[5]
大倉山の東を流れる川。宇治川(うじがわ) 宇治野川とも。[6][7]下流は暗渠とされ[8]、暗渠の上は、メルカロード宇治川と称される商店街になっている。
宇治郷(古代):奈良期~平安期に見える郷名。[1] 和名類聚抄摂津国八田部郡の郷の1つ。[2] [9]
宇治野村
[編集]うじのむら【宇治野村】は、神戸市が市区町制に移行するまえに存在した地名。[3] 和名類聚抄所載の八田部郡宇治郷[2]の遺称地。[10]
脚注
[編集]- ^ a b (震災で倒壊した下山手教会の跡地)下山手北遺跡第二次発掘調査報告 P6 編著者名 須藤 宏 神戸市教育委員会 20060331
- ^ a b c 元和古活字本 - 国立国会図書館デジタル化資料 目次・巻号 の[3 [64]の39コマ目]
- ^ a b 神戸大学附属図書館デジタルギャラリー 摂津国八部郡麁絵図 摂津国名所大絵図 1748(寛延1)年
- ^ ”海洋気象台が神戸の宇治野山と呼ばれる現在. 地に創設されたのは大正9 (1920) 年である。” 随想 神戸海洋気象台の歴史 神戸海洋気象台長 菊地正武 一般社団法人日本船主協会誌「せんきょう」199601号
- ^ 神戸大学附属図書館デジタルギャラリー 神戸市細見全図1891(明治24)年、実地踏測神戸市街全図(昭和9年)など。
- ^ 続・竹林の愚人 20110501
- ^ 神戸大学附属図書館デジタルギャラリー 実測神戸市地図1912(明治45)年。
- ^ 六甲山南麓の扇状地と土砂氾濫 独立行政法人 防災科学技術研究所 防災基礎講座
- ^ 角川日本地名大辞典(旧地名編) JLogos検索辞書 [最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7388338]
- ^ Yahoo!辞書検索結果 パートナーサイト「JapanKnowledge」の検索結果