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Wikipedia‐ノート:削除依頼/岡崎天満宮

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「事実のありふれた表現」について[編集]

表で知的財産権関係にお詳しいZCUさんから注意を受けましたので、事実確認、私の解釈、及び依頼提出の意図を書いておきたいと思います。

まず、事実関係ですが、依頼にも書きましたが、初版「由緒」節1行目(2文より構成)が、公式サイト「当神社の創祀」節からの転載と見ました。この2文は、1文目が77字(句読点含む、以下同じ)、2文目が18字で記述されています。このうち1文目は70字が転載元と思われる文章と(省略した部分はあるものの)語順が変わらずに一致しています。2文目は全18字が語順まで同一です。この類似性は92.6%の一致であり、偶然とは考えられないものです。

次に原典に著作物性があるかどうかについての私の解釈ですが、2つに分けて考えます。1つ目は原執筆者(転載元と思われる文章の筆者)の意思ですが、当該サイトの末尾には著作権表示と無断転用・複製の禁止が記載されていることから、著作権を主張しているものと考えられます。次に客観的に著作権法の保護すべき著作性があるかどうかですが、「ホテルジャンキーズ事件、高裁判決」では、「単なる事実の記述のようにみえても,その表現方法などから,そこに筆者の個性が何らかの形で表われているとみることができるような場合には,思想又は感情の表現があるとみて差し支えない。」と判示されており、また、その創作性についても「厳格に解釈すべきではなく,むしろ,表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば足りる」としております。これらにより語順、括弧書きの使い方、神名の読み方(通常は「みちおみのみこと」と読みます)に個性が発揮されていると判断したものです。

最後に私の意図ですが、ZCUさんのご指摘のような受け止められ方をされることを一番恐れておりました。折角初心者の方が長文を投稿なさったのだから、とも考えました。しかしながら、最初にわずかでもコピー・アンド・ペーストに頼った編集をしてしまうと、以後エスカレートすることも懸念されます。ほぼ初投稿とも言える(初回編集がリンク先追加、文章の編集は初回)方だからこそ、最初に礼を尽くした文章により、安易なコピー・アンド・ペーストを諫め、以後の投稿に結びつけて頂きたかったのです。これまでも何人もの方に同じようなお願いをしてきましたが、そのお願いの後も複数の方が「難しいですね」とおっしゃいながらも良質な記事を執筆されておられます。利用者‐会話:Wish17の私の文章と表の依頼者票から、その辺りのニュアンスが伝わらなかったとすれば、それは私の文章の拙さの故であり猛省するところですが、この一事を以て注意文章撤回、投稿者への謝罪、B-1削除依頼の自粛には結びつかないのではないか、と考えるところです。--ろう(Law soma) D C 2009年2月27日 (金) 02:11 (UTC)[返信]

一致は偶然か[編集]

第2段落「偶然とは考えられない」については、反論はありません。--ZCU 2009年2月28日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

求められる個性とは、表現における個性であって、思想の個性ではない[編集]

第3段落を拝見すると、やはり「著作物」の概念について根本的な誤解があるように思えてなりません。著作物に求められる「個性」とは、表現の個性であって、表現されている思想の個性ではないのです。

  • 神名の読み方に個性があるとのことですが、確かに、通常は「みちのおみのみこと」と読むべきところ、「みちおみのみこと」と読むものと筆者が考えている点は、筆者の個性なのかもしれません。しかし、それは筆者の「思想」(考え方)の個性であって、表現の個性ではないのです。「道臣命」の読みが「みちおみのみこと」であるという筆者の思想(考え方)を表現するのに、「道臣命(みちおみのみこと)」と記述するのは、誰もが思いつくありふれた手法です。
  • 括弧書きの使い方に個性があるとのことですが、漢字の読みを、その直後の括弧書きで記述する手法は、上述のとおり、実にありふれています。また、「北野庄に天神社を建立した」という歴史的事実に加えて、「北野庄は現当神社鎮座地である」という事実を追加的に表現しようと思うなら、「北野庄」の後にかっこ書きで「(現当神社鎮座地)」と記述する手法も同様です。これ以上、個性を消した表現を、私は思いつきません。

第3段落については、以上です。--ZCU 2009年2月28日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

削除依頼の目的は、投稿者を諫めることではない[編集]

第4段落について、そのお気持ちはよく分かりますが、「安易なコピー・アンド・ペーストを諫め」ることを目的としては、削除依頼を利用しないでいただきたいのです。

削除依頼がされると、審議期間中は、記事が白紙化されたり、先頭に巨大なテンプレートが貼り付けられることによって記事の可読性が低下し、読者に迷惑がかかります。また、編集も控えられますから、記事の成長も妨げられます。たった一人の不届き者(貴方にとっての)を諫めるために、読者に迷惑がかかり、記事の成長を妨げるような手法はとらないでください。コピペを諫めるならば、本人の会話ページで注意すれば十分ではないですか。それでも止まらないならば、権限をお持ちなんですから、投稿ブロックすればよいのです。

削除(B-1)の目的は、違法な送信可能化を停止することによる法的リスクの解消と、安心して加筆編集できる環境の提供です。それ以外のものはありません。--ZCU 2009年2月28日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

取り下げについて[編集]

投稿者から自著作物表示がなされまして私も依頼を取り下げたところですが、ZCUさんとは著作物の概念と削除依頼の目的について見解の相違がありますので、ご意見を踏まえましての私の回答を記述しておきます。言い訳くさくなりますが上記の解釈について、もう暫くおつきあい下さい。

表でも胡亂堂さんが御指摘されてますが、「道臣命」の読みについては了解しました。この神社での正読であるとの思想について著作性は認められません。

それでも括弧書きの使い方についてはいまだ十分に納得が出来ないところです。急に「北野庄」という地名を出す必要性、また上では書きませんでしたが「総持尼寺」という単語を前置きなく出す必要性など、「表現の個性」としても使わずに表現しうるだけに気がかりです。しかしながら、この程度の短文で似た表現になる可能性を考えた場合、複数の異なる資料を元にコピペを使わずに編集したとしても、似たものになることはあり得るとは思います。ですので、今後の判断については、今少し慎重に構えることにします。

依頼の目的については会話ページへの注意を先にするのか、依頼した後で会話ページにその旨を通知するのかについては、発見者の感覚に基づく判断ですのでとても書きにくいのですが、私は通常「1.これまで著作権侵害がほとんどない、或いは改善されてから長い期間が経過している方→会話ページを先」、「2.初心者或いは善意と見られるIPユーザ→依頼のうえ会話ページへの告知」、「3.悪意が感じられるユーザ→依頼のみ」と使い分けております。今回は2ですが、長文投稿などから明らかに善意のユーザと思われましたので多少意を尽くした文章にしたつもりです。通常白紙化する記事も、当該疑いの部分だけの除去に止めたのも、このような意図からです。しかしながら、このような「決めつけ」的な告知に反発されるユーザもいるであろうことから、以後は「コミュニティにより著作権侵害でないと判断される可能性」などにも言及した告知にしていきたいと考えております。

以上、私としては「撤回」、「謝罪」、「削除依頼自粛」を約束するものではありませんが、より慎重に対処したいと考えておりますのでご了承願います。--ろう(Law soma) D C 2009年3月2日 (月) 00:39 (UTC)[返信]