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Wikipedia‐ノート:削除依頼/村岡睦稔

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コンクールでの評価を見た場合、エマヌエーレ・カサーレを見ると同じブルージュ国際電子音楽コンクールで優勝しています。教育者として考えた場合、非常勤講師、非常勤副手では実績不足です。作曲家としての実績が十分であるということは示すことができるかもしれません。当初の記事は非常に短いものとして即時削除されてもしかたのない内容しかなかったと思います。はてなのキーワードを見ても作曲した曲名などがあるだけでは存続意見を求めるのは難しいと思います。国際会議NIME04のエンディング演奏というものがありますが、NIME04がどんな国際会議であるかどうか、そこでエンディング演奏を行うということがどのような意味合いを持つのかが明らかにされないと削除票を存続票に変えるのは難しいのではないかと思います。幸い村岡氏はまだ27歳ですので急いでWikipediaに記事を作成する必要は全くないと思います。10年、20年経った上で十分な実績が積み上げられたらその時に記事作成でも間に合うと思います。--Tiyoringo 2007年12月16日 (日) 13:57 (UTC)[返信]

はてなとの類似性について[編集]

はてなダイアリーの内容とそっくりな版がありますが、はてなダイアリーが2005年10月に編集されたのに対して、2005年9月の版ではてなと同様の内容が記述されているので著作権侵害のおそれという削除理由は当たらないと思います。今後はてなの履歴を確認せずに誤解される方がいるといけないのでここに記します。--Tiyoringo 2007年12月16日 (日) 14:38 (UTC)[返信]

コメントを解説から移動しました。[編集]

    • (コメント)はてなキーワードの記載された経歴には、「~というラジオ番組に出演した」「~の大会に参加した」というものばかりのように見受けられるのですが。作曲家である以上、どのような曲を作曲し、それがどのような社会的評価・業績を上げたと言う記述が必要かと思われます。--ユキポン 2007年12月16日 (日) 13:38 (UTC)[返信]
    • (コメント)検証は検索エンジンに頼るしかないのでしょうが、グーグルとヤフーでは検索結果が違うケースも多いので、多角的な面での検証が必要でしょう。「悪魔の証明」という言葉を思い出しましたが、どちらにせよ村岡氏ご本人の名誉を傷つけないよう配慮して審議を進めるべきかと。--かんな文移 2007年12月16日 (日) 14:01 (UTC)[返信]
  • (コメント)「著作権違反」とか「誹謗中傷」などの場合と違って、単に「有名ではない」あるいは「私は知らない」程度の理由での削除申請には慎重であるべきかと思います。この記事を削除すると判断することによって(判断頁は永久に残ります)、村岡睦稔を侮辱し、傷つけてしまう可能性は無いでしょうか?逆にこの記事を残した場合のデメリットは何でしょう?拙速な判断をせず、じっくりと検討することが望まれるようです。(追加情報として、削除依頼者が自ら「削除主義者」と名乗っていることも判断材料となりそうです。Hakuba 2007年12月16日 (日) 14:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)まず著名性の判断基準は、概ね草案に準拠したものです。そして「有名ではない」ならば、これまでの削除依頼の通例から言って、削除が妥当です(Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを参照。なお、「私は知らない」と「有名ではない」は大きく異なるので、同一に並べるのは不適切)。また、記事の削除や著名性の有無の判断が侮辱罪や名誉毀損罪に抵触するかどうかを我々が心配する必要はありません。何故なら、「取り上げない」のはメディアに保証された表現の自由の範囲内だからです。次に、著名ではない人物の記事を残すデメリットですが、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを軽視した事例を許容したものと誤解される事です。それと、本来なら即時削除でも構わない案件にあえて削除依頼という手続きを選んだ時点で、依頼者の方は決して拙速ではありません。加えて、依頼者の方が削除主義者かどうかに言及するのは、何の判断材料にもならず、ただの「対人論証」です。と言うのも、「fromm氏は削除主義者である。故に村岡睦稔の記事を存続させるべき」は演繹にならないからです。最後に、はてなダイアリーは「信頼できる情報源」ではありません。青山コロハ 2007年12月16日 (日) 18:58 (UTC)[返信]
  • (コメント)論旨がよく読み取れません。そもそも当該人物の記事が削除に値する重大な理由はどこにもないのでは? Wikipedia日本語版は田舎の無人駅1つやバス停1つの記事まで許容するような懐の深いところですから。Hakuba 2007年12月17日 (月) 13:30 (UTC)[返信]
  • (コメント)賛否と直接関係しないコメントをノートへ移動しました。--Tiyoringo 2007年12月17日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
  • (コメント)Tiyoringoさん、お疲れ様です。さて、Hakuba氏にお答えしますが、論旨はひとつに絞っていません。Hakubaさんが述べられた幾つかのコメントにそれぞれ言及しているだけです。それで削除の理由ですが、依頼者の方が既に述べている通りです(改めて、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか #ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんの「6.家系図や人名録ではありません」をお読み下さい)。尚、駅やバス停は「人物」ではないので、記事の扱いは異なります。青山コロハ 2007年12月17日 (月) 13:48 (UTC)[返信]
  • (コメント)Hakubaさん、人物の場合は本人、知人、ファンなどが記事を立ち上げることができるのでハードルは高くなってしまうと思います。例えば最近多く削除される記事にインディーズバンドの記事があります。全てが本人周辺による立ち上げではないと思いますがそれほど著名ではない人物にファンが肩入れして記事作成を試みるケースもあると思います。参加した当初は私もHakubaさんのように問題がなさそうに思えるのに何故この記事が削除なのだろうと今よりも多くの割合で削除依頼で存続を主張しましたが、すでに述べたように村岡氏には今後のさらなる活躍で誰にも文句を言われず独立記事として存続させることができる可能性を持った人物と思います。スポーツ選手のように選手寿命があるわけではありませんし、20代のうちから記事がなくても良いと思いませんか。--Tiyoringo 2007年12月17日 (月) 14:11 (UTC)[返信]

「Lonicera 2007年12月21日 (金)」の発言[1]は修正しておいた方がよいのではないですか? この方が管理者であるとするならば、品性が疑われますよね。

私の意見は、削除存続のボーダーラインが曖昧な案件では、あえて削除することもないのでは、というものですが、このような個人攻撃の文章で管理者が締めくくられるとは予想を超えていました。。Hakuba 2007年12月22日 (土) 05:03 (UTC)[返信]