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Wikipedia‐ノート:削除依頼/Evala

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引用の要件「分量」について[編集]

依頼審議からずれるのかもしれませんが、引用かどうかの判例というのは分量で決まるんでしょうか。論文書きだとワンセンテンスの根拠として一段落引用するなんてのはあたりまえだと思うんですが。法律に詳しい方に質問です。--Cerberean 2008年9月22日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

  • ご指摘ありがとうございます。本件著作権審議において、Cerbereanさんの質問は非常に重要なポイントですので、ご意見をノートページに転記させていただきました。引用の適法性について争われた有名な判決に、「藤田嗣治絵画無断複製事件」(東京高等裁判所 昭和60年10月17日判決 昭和59年(ネ)第2293号 著作権侵害損害賠償等請求事件)というものがあります。「藤田嗣治絵画無断複製事件」の高裁判決では、地の文と引用文の主従関係について、下記のように判示されています。
    • そして、右主従関係は、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘つて確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべきものであり、(以下略)【※下線はtan90degが附加したものである。--tan90deg 2008年9月26日 (金) 11:14 (UTC)[返信]
  • この判示が、いわゆる「引用の要件」として現在の著作権議論で定着しているところですが、この文章を読む限り、「両著作物の……分量」は、「目的」「性質」「内容」「被引用著作物の採録の方法」「態様」などの諸点とともに、判断して決すべき」材料の一つと考えるのが妥当と考えます。
    翻って「Port」2007年3月16日 (金) 10:51 (UTC)の版(以下「当該版」)を読むと、引用文に比べて地の文のほうが短いことが確認できます。このような場合は、自分の言葉でまとめ直すか、外部リンクのみの貼付にとどめておくべきであったと思われます。主従関係を決する分量の線引きについて、上記判決で「主従関係の判断は、単に引用著作物と被引用著作物とを量的に捉えてなすべきものでない」と判示していることもあり、また「Wikipedia‐ノート:著作権/引用についての抜本対策#数値基準」で議論されているように、その他の判断材料との兼ね合いもあるため、具体的な線引き基準を明示するのは難しいです。しかし、文章総量の50%を超える部分が「引用」を占めている本案件に限って言えば、上記著作権議論でも主従関係を満たしていないと考えている方が多いと思われますし、少なくとも私はそのように考えています。
    Cerbereanさんがご指摘されている、「論文書きだとワンセンテンスの根拠として一段落引用する」ことはしばしば見かけます。しかし、そのような場合であっても、論文の中である程度のまとまりを持つ文章(ここでは日本語文法上の「文章」を指します)に含まれる「ワンセンテンスの根拠として」(これは上記判例における判断基準の「目的」にあたります)引用されているはずです。これであれば引用文(一段落)と地の文(ある程度のまとまりを持つ文章)の分量関係が問題になるような事例は正直なところ想定しにくいです。今回(記事「Port」)の場合、前提となるべきはずの「ある程度のまとまりを持つ文章」たる地の文が短い4文(この「文」も日本語文法上の「文」です)にとどまり、残念ながら「引用」文の2文のほうが長い状況です。
    なお、「引用」対象が著作物でなければ著作権法上の議論にはならないので、その点も検討しました。しかし、当該「引用」部分は短いですが、「音を主体として様々な拡張を展開」といった表現に著作物性があり、不適法な「引用」である危険性をはらんでいると考えます。繰り返しますが、今回の場合、自分の言葉でまとめ直すか、外部リンクのみの貼付にとどめておくべきであったと思われ、引用の必然性が薄い「引用」であったと私は考えています。--tan90deg 2008年9月26日 (金) 11:14 (UTC)[返信]
    • 回答ありがとうございます。判例では、争点が引用の範囲を超える鑑賞性の有無だったためか、ページ内での分量やページ内記述との関連の議論になっており、著作物性のある記述の分量が関与する判例とするために適切かどうか、まだ釈然としないところがあります。念頭にあったのは、出典の要求に応えるために、本文中あるいは脚注あるいはノートに著作物を引用するようなケースで、記事の長さによって「引用」と認められるかどうかが変わる、というようなことがあるのは変だな、と思ったからです。当該依頼の件に関し、百科事典記事として不適切であるという点については同意します。ただし、著作権案件としてのご判断が、引用の加筆に関してか、初稿記事が要約であるためかがご回答の内容では判然としません。当初の特筆性案件の場合と特定版(引用)削除の場合は、(この件では)統合リダイレクトという選択肢もあるわけですが、初稿を問題にするならば2年分の履歴がすべて消えます。--Cerberean 2008年9月27日 (土) 09:47 (UTC)[返信]
      • 上記判決では両著作物の……分量」「目的」「性質」「内容」「被引用著作物の採録の方法」「態様」を総合的に判断せよといっており、わざわざ「著作物」(「両」とは、引用文(地の文)と被引用文を指します)と断っていますから、引用の適否を判断する要素の一つとして「地の文の分量」がある(=引用の適否が記事の長さに左右される)ことは決しておかしいことではないと思います。なお、削除審議本文でも触れたとおり、著作権侵害疑い案件として指摘しているのは、2007年3月16日 (金) 10:51 (UTC)の版およびそれ以降です。従って、少なくとも1年半の履歴が飛ぶのは避けられないと思います。また、削除依頼直前の記事で1,558バイト、著作権侵害疑い直前の版に至ってはわずか747バイトですから、仮に全履歴を削除で飛ばしてしまっても、(特筆性が認められた場合の)書き直しは比較的容易なのではないかと思います。--tan90deg 2008年9月30日 (火) 04:01 (UTC)[返信]