コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:外来語表記法/オランダ語

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
ウィキプロジェクト オランダ (記事品質: NAクラス)
このページ「外来語表記法/オランダ語」は、オランダを対象としたウィキプロジェクトであるウィキプロジェクト オランダの関連記事です。
Non-article page NA  このページはNAに分類されています。

記事の案

[編集]

1週間ノートページに掲載した記事の案を、記事のページ(Wikipedia:外来語表記法/オランダ語)に移動させました。--Inoue-hiro 2009年5月22日 (金) 13:42 (UTC)[返信]

このセクション以下を、この草案に関する意見・議論等の場所とします

[編集]

オランダ語に関する転写規則が書かれていなかったので、他の言語のもののスタイルを参考にしつつ作成してみました。カタカナ転写法は、全て出版されている本に記載されていたものを採用し、私の考える発音転写規則(独自の研究)が一切入らないように細心の注意を払うとともに、現在まで行われている議論を一覧化することをとりあえず目指して作成しています。 ベルギーの地理項目では原音に近い表記法が、オランダでは慣用例が議論などでは優先されている模様であるとは思いますが、分野ごとの合意事項となっているかどうか不明であったため、合意事項のセクションは空欄のままとしています。--Inoue-hiro 2009年5月12日 (火) 15:09 (UTC)[返信]

過去に表記について活発な議論のあったヘントデン・ハーグスヘルトーヘンボスブルゴーニュ公爵領ネーデルラント ‎ (オランダ地理、ベルギー地理、歴史の3分野)に意見募集の案内書き込みを行いました。--Inoue-hiro 2009年5月13日 (水) 12:29 (UTC)[返信]

ノート:オランダ語Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 国およびWikipedia:コメント依頼でコメントを呼びかけました。--Inoue-hiro 2009年5月14日 (木) 13:55 (UTC)[返信]


地名に関して言えば極端な原音主義は害悪の元で、日本で出版されている複数の現代地図帳を参考にするほうが良いと思う。そうでないといろんなところで「メッカ/マッカ論争」、「ミュンヘン/ミュンヒェン論争」が繰り返されることになる。多くの百科事典が慣用を重視しているのはそのためだ。しかし、オランダ語関係を編集するのはオランダに関心をもつ人たちだし、その人たちにとっては原音のほうが慣れ親しんでいることもあり、どうしても議論は原音重視になることが多い。PJオランダの地名のカタカナ表記法で、慣用表記を考慮するとしているのはいい方針だと思う。--Afaz 2009年5月25日 (月) 14:42 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。地図帳は気づきませんでした。外来語表記法/オランダ語の一般的慣用の参考にすべき文献に、現在出版されている現代地図帳を追加させていただきました。--Inoue-hiro 2009年5月25日 (月) 15:02 (UTC)[返信]


利用者:Aratoda氏の荒らし行為に対する中止要請)Wikipedia名前空間の記事をいきなり書き換えることは通常は行わないことです。ノートページで提案を行うことが通常のルールです。他のページでの中止要請と同列で、本件も中止要請にて対処します。--Inoue-hiro 2009年6月3日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
Wikipedia:外来語表記法/英語Wikipedia:外来語表記法/フランス語を見て来ては?--二十時三十分 2009年6月11日 (木) 15:09 (UTC)[返信]


地名に限らず原音主義というのは本当はあまりよくないんじゃないでしょうか。(私は日本とオランダの大学で言語学関係の講義にいくらか出席しましたが言語学専攻ではありませんので、できればこの点に関して専門家の意見を伺いたいと思います。以下は個人的な意見です。) 1. まずそもそも「原音主義」ということ自体何のことだかわからないということがあります。数年前にたまたま地名の Apeldoorn を検索したら見出し語が「アポドゥァン」になっていて驚いたことがあります。(今見てみたところ「アペルドールン」に訂正されているようです。)言われてみれば確かに「アポドゥァン」という表記もできそうな気がするのですが、少し考えてみればわかるように現地人に「アポドゥァン」といってもまったく通じません。「アペルドールン」なら通じる可能性があります。「アポドゥァン」という表記は原音主義に基づいたものなのだと思いますが、結局のところこのような表記は慣例的表記に比べて原音にまったく近づいていないように見えます。いわゆる「原音主義」は要するに「原音に忠実に音写する」ということではなく、「原音を日本人の耳に聞こえるようにカタカナで再構成する」ということにすぎないのではないでしょうか。これを徹底してしまうのは不合理だと思います。 2. また上の例では el を「オ」と音写しています。確かに我々の耳には el は「オ」に聞こえるのですが、現地人の感覚では el と o は異なったもので、el を「オ」として音写するのはやや乱暴な感じがするようです。(たぶん、非常に似た音だが異なった音素であるということなのだろうと想像しています。) 3. オランダ語で非常に顕著な問題点は、「原音主義」で音写した場合 g も v も h も ch も f も全部ハ行で音写せざるを得ないという点です。たとえば Van Gogh を「原音主義」で転写した場合「ファン ホッホ」になると思いますが、こういう音写方法では名前の大半がハ行になってしまい、オランダ人の名前はみな「ハラヒロハレホレ」みたいになってしまいます。ちなみに v は正式には有声音らしく、またオランダ人が英語で話している時には「ホッホ」ではなく「ゴッホ」とか「ゴーグ」と言っていますから、たぶん Van Gogh の音写は「ヴァン ゴッホ」にしておくのがもっとも合理的ではないかと思います。つまり少なくともこの場合には、慣例的表記のほうが「原音主義」による表記よりも合理的であるということです。 以上のように原音主義にはいくつかの看過し難い問題があります。これに対して慣例というのはただの慣例ですから、はじめて音写される人名などについては慣例に従いようがありません。それで私は素人考えながら、「転写主義」というのがあり得るのではないかと思います。つまり、発話されるオランダ語の音声(A)があり、それを表記するアルファベット表記(B)があり、それに対応する日本語のカタカナ表記(C)があり、それを発語する日本語の音声(D)があるわけですが、ここでオランダ語の音声(A)を直接日本語のカタカナ(C)で音写しようとするのが「原音主義」です。これに対して、アルファベット表記(B)を機械的にカタカナ(C)で転写するのを「転写主義」と呼びたいと思います。この方法の利点は、実際の発音とカタカナ表記との関係が間接的であるという点にあります。つまり本来の音声をカタカナ表記自体で再現することを最初から目標にしていないということです。また個々のカタカナ表記は基本的に規則によって決定されるので、簡便でもあります。原音主義の致命的な欠陥は、そもそも不可能なことを達成しようとしているという点にあります。転写主義を徹底した場合にも原音主義を徹底した場合と同様の問題が発生するかもしれませんが、私は転写主義を基調として個別の事例では適宜に原音主義を取り入れてバランスをとってゆくのがよいのではないかと思います。--Vuurput会話2014年7月13日 (日) 13:59 (UTC)[返信]

補足ですが、地名の Gent などについても「ヘント」という表記はあまりよくないと思います。標準オランダ語の話者に「私はヘントへ行きます」と言ってもまず通じないと思いますが、「ゲント」といえばだいたい通じるようです。これは(また素人考えですが)標準オランダ語の話者にとって G と H はまったくことなった音素であるのに対し、「オランダ語の発音に従った G」と「英語の発音に従った G」は基本的に同じ音素のヴァリアントにすぎないと捉えられているからだと思います。(もっとも、ゲント近辺の方言では Gent の発音はほぼ「ヘント」らしいのですが、これはまた別の問題でしょう。「愛知県」の現地での伝統的な発音は「ぇあーちけん」だと思いますが(私の祖父はだいたいそういう風に発音していたと記憶しています)、地図や百科事典の見出しとしては「あいちけん」の方がやはり適切だと思います。--Vuurput会話2014年7月14日 (月) 12:35 (UTC)[返信]


もうひとつ補足したいと思います。「慣例的な表記」というのは実際のところわれわれの先人たちが主に私のいうところの転写主義に基づいてつくりあげてきたものです。おそらく昔の人々には「原音」に接する機会も限られていたものと思われますが、私にはそれがかえってよかったのではないかと思われてなりません。英語の人名の例ですが、先年亡くなられた Dizzy Gillespie という人がいますが、もし明治時代であればこれを「ギレスピー」と音写したでしょうが、現在一般には原音主義で「ガレスピー」としているようです。確かにアメリカ英語では「ガレスピー」なのですが、こんなことをやっていたらキリがないと、私は思います。もう何十年も昔のことなのでうろ覚えですが、言語学の講義で「文字というものは音を表すものというよりは音素を表すものといったほうがいい」という話を聞いた覚えがあります。原音主義は音に拘泥してしまう傾向があり、特にオランダ語の音写においては本来の「音素を区別する」という機能を無効化してしまうことが非常によくあるように思います。--Vuurput会話2014年7月14日 (月) 17:19 (UTC)[返信]