Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/どとうとしや 2回目

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関係IPまとめ[編集]

イーモバイル
MobileFree.jp(VPNサービス?)
ソフトバンク
  • IP:219.169.162.77会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois - 219.169.162.77 = softbank219169162077.bbtec.net。「softbank219169162077.bbtec.net」でgoogle検索[2]。219.169.162.77="どとうとしや"とメーリングリストで表明[3]あり。

以上、適宜追加修正ください。--fromm 2008年11月11日 (火) 03:05 (UTC)[返信]

(追記)イーモバイル可変IP群と219.117.219.213、および利用者:西成あんこ会話 / 投稿記録 / 記録は同一人物と思われます。2008年4月に西成区を荒らした(暴力団やカルト宗教が暗躍する無法地帯かのようなデタラメと悪意に基づいた記述を執拗に追加。記事は無期限半保護)上に差し戻しや保護依頼をおこなった私に粘着してきたIP群とも同一人物でしょう(参考:[4])。219.117.219.213には別人とみられる編集もありますが、少なくとも2008年4月2日 (水) 21:12-2008年6月30日 (月) 14:29、および2008年11月5日 (水) 12:08以降についてはイーモバイル可変IP群と同一人物と判断できます。

  1. 利用者:西成あんこ会話 / 投稿記録 / 記録は利用者ページで「西成区の編集で荒らし呼ばわりされましたのでアカウントを作成しました。」(2008年4月12日 (土) 11:38 初版)と主張しています。西成区の記事が荒らし被害に遭っていた時期の2008年4月12日 (土) 11:35にアカウントが作成されていることや、西成区の記事は他の時期には荒らし被害にあった形跡がないことから、西成あんことIP群は同一人物と判断できます。
  2. 西成あんこの会話ページで西成あんこを自称するイーモバイル可変IPが太子 (大阪市)を新規作成したと主張していますが、初版投稿者は219.117.219.213です。
  3. 西成区の編集では、2008年4月4日 (金) 09:13 119.72.7.226(イーモバイル可変)2008年4月11日 (金) 10:22 219.117.219.213が同じ記述を追加しています。--Sixtyplant 2008年11月11日 (火) 04:57 (UTC)[返信]

IPひろばのデータを信じるなら、どとうとしやさんを自称するソフトバンクIPは北海道のもので、一方利用者‐会話:どとうとしやなどに現れた(イーモバイルや公開VPNを使っていた方と同一と思われる)IPユーザは osaka.ocn.ne.jp (IP:61.119.174.100会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois) だったり大阪のネットカフェ (IP:124.33.75.154会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois) だったりします。どとうとしやさんは 219.169.162.77 以外でのブロック逃れはおそらくしておらず、ブロックにかこつけた大阪在住の便乗荒らしがひとりいるだけではないでしょうか。ノート:簡易旅館への出現タイミングが良すぎるのは、どとうさんが[5]など2chの数か所で宣伝してましたので、それが目に止まったんじゃないかと。--cpro 2008年11月17日 (月) 02:05 (UTC)[返信]

本件における検証可能性の解釈について[編集]

本依頼において私は被依頼者のWikipediaの役に立ちたいという純粋な思いは十分理解しています。ですから、投稿ブロックを解除した後に今回のように最悪な形で再び投稿ブロック依頼を提出しなければならないということには極めて失望してるものの、同時に被依頼者に対する投稿ブロックに賛成票を投じなければならないことに一種の引け目を感じています。被依頼者の何とかしてWikipediaに貢献したいという思いは質、量とも世界最大の百科事典を作り上げるという本プロジェクトにおいて非常に大切なことだとは思います。

しかし、他の編集者の方々と共同で作業していくに当たってその基本方針を熟読するだけではなく十分に理解し遵守しなければプロジェクト全体の不利益となってしまうでしょう。それに関連して、Hatukanezumiさんは「ただし、「独自研究を載せ」たという評価を下すためには、一般論として、誠実に出典の提示を求めたのに示されなかったといった根拠が必要だと考えています」と仰っていますが、私にはやや疑問に感じられます。

現在、日本語版Wikipediaでは英語版Wikipedia等と比べて、余り絶対視される傾向にないように思われますが、本来Wikipediaに寄稿される記述は全て検証可能性を満足しているものでなければならない筈です。当然、WP:V乃至はWP:NORを適応するに当たって現実的にはある程度の幅を持たせなければ多くの記事は成立しないこととなってしまいますが、そうであったとしてもWikipediaの「質」を考えると今以上に遵守しなければならないものであるはずです。取り敢えず検証可能性を全く考慮せず記事を作成した後、他の編集者が出典の要求をし、検証可能性を満足していないものに関しては順次削除していく、その様な編集方針はWikipedia本来の姿であるように思えません。理想論かもしれませんがWikipediaの基本方針を理解する段階から既に妥協するという姿勢には、私はどうしても賛同できないのです。

私は被依頼者が初心者であるという理由で投稿ブロックに対する判断を変更するというダブルスタンダードは選択したくありません。メーリングリストでの被依頼者のコメントを拝見しましたが、WP:RSを一度も読んだことがないように見受けれられ非常に残念です。本件でもそうでしたが、今回投稿ブロックが比較的短期で済んだとしても恐らく別のところで他の問題を引き起こすでしょう。誠に失礼ながら少々の投稿ブロック期間を設けたところで被依頼者がこれらの方針を理解し実際に遵守するとは考えられませんし、今後逐一被依頼者の問題編集を是正せねばならない手間を考えると、私は短期の投稿ブロックにどうしても反対せざるを得ないのです。--MMMRCOW 2008年11月13日 (木) 15:37 (UTC)[返信]

取り敢えず検証可能性を全く考慮せず記事を作成した後、他の編集者が出典の要求をし、検証可能性を満足していないものに関しては順次削除していく」というご発言について
前半部については、被依頼者の行動に対する評価としては賛同できる面もあります (すでに表でも述べたとおりです)。しかし、自身の経験にもとづいて記述することを「検証可能性を全く考慮せず」と断ずるのは失当だとおもいます。少なくとも、執筆者の脳内だけから生まれた記述ではないという意味で、検証可能性が皆無とはいえないのですから。もちろん決して褒められたことではありませんが、わたしも最近、そのような編集を行ってしまいました[6]
後半部には賛同できません。記事の検証可能性を確保する方法は、出典のない記述を削除していくことだけではありません。しばしば、「出典を示す責任は掲載を希望する側に」あると言われますが、これは記載者が「これは真実だから出典などいらない」と言い張るような事態を想定した解釈であって、執筆者が出典を示していないことをもって記述を削除すべきだとか、まして執筆者以外の者が出典を探したりしてはいけないとかいったことを意味しません (記述の削除にも、明示のか暗黙にかはともかく、合意は必要なのです)。出典となる情報源がないというだけでは、その記述は単に「出典のない記述」であって、検証可能性がないとはいえません。
結局、このようなことを投稿ブロック依頼の理由とすることは、編集によって記事の改善をはかるのではなく、執筆者を否定することによって記事の記述を否定しようとする方法であり、検証可能性の方針の適用のしかたを間違えていると考えます。このような先例ができるおそれに対して懸念を持っています。
被依頼者に対する「失望」なるものを表現するのなら、ストレートにそれを表現すればいいはずです。語弊のある言いかたになりますが、見せしめのために方針を援用しているように見えます。 --Hatukanezumi 2008年11月13日 (木) 23:24 (UTC)[返信]
Hatukanezumiさんのコメントを拝読させて戴きましたが我々の検証可能性に対するスタンスには非常に大きな隔たりがあるようですね。ここで私たち二人が検証可能性についての議論を繰り広げるのも適切とは言えませんし、今回はWikipedia内に異なる意見が存在するということを認識する為の意見交換だったということでここでの議論を終了させようと思いますが如何でしょうか。--MMMRCOW 2008年11月14日 (金) 14:32 (UTC)[返信]
表での投稿を拝見してちょっと自信がなかったのですが、MMMRCOWさんが「検証可能性」を問題にしておられることがはっきりして、よかったです。
さて、リダイレクト化される前の記事の記述のすべてに出典を付すことは、この分野の知識をほとんどもたないわたしには無理なことです。が、たまたま手もとにあった資料の例を挙げましょう。
  • 日本寄せ場学会「全国寄せ場案内」『寄せ場』第2号、現代書館、1989年5月、pp. 48f, 148ff。 
ここでは「寿町」と「笹島」が紹介されています。これによると、笹島では戦災により100軒近くあったドヤのほとんどが消失し、戦後もあまり復旧しなかったのに対し、寿町では「現在、簡易旅館 (いわゆるドヤ) が約九十軒」(p. 148) あるとのことです。
これにより、
  • 研究者の間ではドヤと寄せ場に関係があると考えられていることがわかります。ですので、問題の記事のリダイレクト化前の「ドヤ街」節は少なくとも、執筆者の脳内からだけでてきた独自研究ではないと言えるでしょう。
  • 「ドヤ」の正式な呼称として「簡易旅館」が用いられている例ともなっています。どの分野でも旅館業法の用語が正式なわけではありません。
わたしの示した資料が最適なものかどうかはわかりません (この雑誌にしても、上掲の号しか所蔵していませんし)。しかし、MMMRCOWさんがおっしゃるような「全く編集可能性を満足していない」記事などではないことは、明らかでしょう。一部分とはいえ、検証可能であることが示せましたから。
ご自分の知らない分野のことを、謙虚に学んでみようともせずに「でたらめな記事だ」(大意) と非難するのは、検証可能性の方針に反する態度です。というかそれ以前に、はずかしいことです。 --Hatukanezumi 2008年11月15日 (土) 22:31 (UTC)[返信]
検証可能性は本来Wikipediaにおける全ての記述が満足していなければならないものです。仮に編集者の方が自身では主に第二次、第三次情報源にあたった経験に基づいて寄稿したとしても、その記述に対する出典をWikipedia上で提示していない場合、それは検証可能性を満足しているとは言えません。Wikipediaにおいて、全ての記述は本来第三者が検証できる適切な情報源を示すべきであり、その様な出典の提示がない場合Wikipediaでは独自研究と同様に見なさざるを得ないのです。WP:Vをご覧下さい。『直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです』、『出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません』と明記してあります。私自身も過去あいりん地区、所謂釜ヶ崎の旅路の里においてそれぞれ2週間ほど2度に渡り滞在し炊き出し、夜回りを通して釜ヶ崎の現状を目の当たりにしました。私はどとうとしやさんの簡易旅館における編集内容が正しいということを自身の経験として知っています。加えてドヤにすら泊まることが出来ずに道端で段ボールと青いビニールシートで寝ている日雇い労働者の方が沢山いらっしゃるということを、結核羅患率も依然として日本でずば抜けて高いということも知っています。しかし、それらが事実であるからWikipediaに記述しても良いかというと言うとそうではありません。いくら事実であったとしてもあくまでWikipediaにおいて検証可能性を満足していない記述は「独自研究」であるからです。第三者がWP:RSに基づく適切な情報源をもって検証を行うことが出来なければWP:V乃至はWP:NORに基づき寄稿は許容されません。Hatukanezumiさんの「自分の知らない分野のことを、謙虚に学んでみようともせずに「でたらめな記事だ」(大意) と非難するのは、検証可能性の方針に反する態度です。というかそれ以前に、はずかしいことです」というコメントは釜ヶ崎の実情を目の当たりにした私にとって非常に悲しいことであり、加えてHatukanezumiさんのWP:Vに対する理解が十分ではない印象を覚えてしまいます。検証可能性を満足していない記述は極端に言ってしまえばWikipediaにおいて虚偽の内容となんら変わりがありません。Wikipediaは内容の精査を検証可能性に依存しており、それらが満たされていないのならばウェブ上に散らばる根拠のない情報と大差なく、質、量ともに世界最大の百科事典を作り上げるというWikipediaの理念からすると不適切であるからです。どとうとしやさんの記述において私が問題視しているのは、Hatukanezumiさんの仰るように彼の編集内容が「でたらめ」であるからではなく、あくまでWikipediaの基本方針であるWP:V乃至はWP:NORに反しており、MLでの記述、ブログ等の記事を読んでいる限りその様な編集傾向は今後とも続くものであると極めて強く疑われる為です。重ねて申し上げますが、私はどとうとしやさんの簡易旅館での編集内容が正しいことを知っています。しかし、Wikipediaにおいてその方針に従わないのであればプロジェクトへの参加は誠に残念ながら許容することは出来ません。今回特例を認めてしまうと、不適切な前例の存在によって今後長期的にWikipedia全体の不利益につながりかねません。--MMMRCOW 2008年11月16日 (日) 05:58 (UTC)[返信]
自分の知らない分野のことを、謙虚に学んでみようともせずに「でたらめな記事だ」(大意) と非難するのは、検証可能性の方針に反する態度です。というかそれ以前に、はずかしいことです」というきめつけが、失当な批判であったことをお詫びします。MMMRCOWさん、大変申し訳ありませんでした。
しかし、「でたらめ」でない記事であれば、出典を示せるはずだし、示す努力を他人がやってはいけないということもありません。MMMRCOWさんが外部からの参加者として (むしろ外部からであるからこそ) 支援活動などに関わられた経験があるのなら、「釜ヶ崎」をはじめとした寄せ場の状況について、実体験とは別になんらかの資料でも知っているはずです。ですから、体験だけにもとづく記述を改善するチャンスを、MMMRCOWさんはより多く持っていることになります。
自分のよく知る事象について --- 重ねて、非礼な発言をお詫びします ---、自分の基準からみて質の不十分な記事が書かれたのを目にしたときに、腹立たしくおもうお気持ちには、共感できます。しかし、そのときに執筆者を追い立てることが、最善のことでしょうか。記事を改善してみせて範を示すことのほうが、自分の知る分野の執筆者を育て、増やしていくという意味で、はるかに有益だとおもわれます。そしてそれは、より適切な先例となるのではないでしょうか。
そもそも、検証可能性の方針に限らず、すべての方針は利用者間のコミュニケーションを前提に書かれています。ですので、まず「出典を示せ」と相手に要請して結果を待たない限り、検証可能性の有無は不明です (そればかりか今回は、MMMRCOWさんは記事を検証可能にできることを知っていながら、そうしなかったことになります)。やはりわたしは、このような形で方針の文言を、他者をコミュニティから遠ざける理由に使うのには反対です。 --Hatukanezumi 2008年11月16日 (日) 06:26 (UTC)[返信]