Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Leo masaaki
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- 当方のwikipediaへの、編集の参加が、理不尽に「身勝手な論理・詭弁」と断定され、一部の方々の身勝手な論理・詭弁によりノート議論すらも拒否されるという事体について、非常に無念に思いますが、法華経に説かれるところの、「怨嫉多し」を、一分でも身で読まさせていただくことが出来て、ありがたくも思います。--Leo masaaki 2008年2月16日 (土) 23:54 (UTC)
- Mee-san氏の大きな誤解を解くために、回答しておきますと、「日示」は当方のニックネームでして、これはオプションで誰もが設定できるはずです。--Leo masaaki 2008年2月17日 (日) 01:05 (UTC)
- 一つだけ申し上げておきます。法華経は尊重されるべきです。しかし法華経に説かれる「怨嫉」と、その正当性だけを一方的に主張し、自説以外は間違いであるという排他的独善的な貴殿の信仰上の立場とは全く無関係です。それは曲会私情、単なる貴方の曲解です。法華経を尊重するあまりに執着し、周囲への配慮もなく優位性絶対性を一方的に主張した言動を繰り返せば、反って多くの方々の反発を招くのも当然です。貴方は法華経の優位性を理解されても、社会即道場、中道無くして仏道を得ずという仏法の道理を実践されてません。したがって貴方自身が法華経を貶めたのです。自省思惟のない者は仏徒といえません。頭を冷やしてご自身の内証と向き合い真剣に思惟することをお祈りいたします。なおこれ以上貴殿がコメント・質問をされても、私はもう応じることはありません。なにとぞご自愛ください。--Boca samba 2008年2月17日 (日) 05:40 (UTC)
- 当方は、編集に際して、常にノートで議論を呼びかけていました。一方的な主張というものは、全く的を得ていないと存じます。また、礼儀をつくしてきました。Boca氏の主張のように、当百科事典の編纂を、何かの仲良しコミュニティー空間と勘違いしたような、愛憎の念に駆られた個人攻撃と、何よりも空気を読むことが優先され、資料の根拠を読むことがないがしろにされ、真面目な議論が封印されるのがwikipediaの土壌であれば、厳正かつ中立公正な百科事典としては全く使い物にはならないものと存じます。むしろ法華経の迫害を身で読むことができて嬉しく思います。--Leo masaaki 2008年2月17日 (日) 13:22 (UTC)
- 法華経が最上の一仏乗である、というのは、法華経の主張ですから、これを記述する当方の自賛でも我見でもありません。これを行じるものを見て、排他的独善性と誹謗すれば、Boca氏は法華経の大怨敵となり、「その人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれています。--日示 2008年2月18日 (月) 07:28 (UTC)
問題行動とされるものへの反論
[編集]以下にこちらの意見を記載しておきます。
- 修正すべき記事が多く、やむを得ず連続で投稿する形となりました。
- 自身の会話ページに記載された警告の消去(2月1日、海獺さんにより3日ブロック)
- 自身のノートページの編集は個人スペースなので自由に出来るものだと思っていましたが、一部の方達の反発を招いてしまいました。
- ブロック解除後、再び法華経及び日蓮において自身の教義に基づいた記述の記載、他利用者が差し戻しを行っても再び記載を行う
- wikipediaの基本精神には「あなたの文章が他人によって自由に編集・配布されることを望まないならば、投稿を控えてください。」とありますが、当方に編集されることを望まない方は参加は控えるべきで、全く非難されることではないと存じます。また、自分の考えを排除し、資料を提示して、厳密に編集させて頂きました。
- ノート議論は、編集に必要不可欠ですが、これを衝突と解釈されるのも、ナンセンスです。
- 改名移動の提案、報告もなく日蓮を日蓮大聖人に移動(2月12日、管理者であるKs aka 98さんにより差し戻され3日ブロック、法華経は一時編集保護状態に、また日蓮は現在も半保護の状態となっている)
- ページの移動の案件は、boca氏との議論で生まれたもので、報告しようとした時点では、ブロックされていました。ページ移動そのものは非難の対象にならないと存じます。
- おはぐろ氏には、厳正な保護依頼を再びしました。解除は要請していません。
- 記事が保護解除された途端、方針文書の要熟読を守らず、再び自身の教義に基づいた記述の再開
- 熟読させていただきました。方針文書を守っておられないのは、そちらのほうだと認識しています。
もし、この件で当方が無期限に投稿ブロックされるようでしたら、wikipediaは厳正かつ公正中立な百科事典としては全く当てにならないと存じます。二度と開くことはないと思います。法華経の真文に全てを任せたいと存じます。--Leo masaaki 2008年2月17日 (日) 01:24 (UTC)