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ノート:日蓮

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疑問点

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1279年弘安2年)10月12日 本門戒壇の大御本尊を造立。

  提案 上記編集をrev。

 理由

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出典が明記されていないので如何ともし難いところですが、いずれにせよ、上述されているように、これは日蓮正宗のみが認めるところです。中立的観点からもrevが妥当というのが愚見です。 --1000dai会話2015年7月9日 (木) 09:21 (UTC)[返信]

報告提案から一週間経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai会話2015年7月16日 (木) 08:06 (UTC)[返信]

疑問点2

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日興を身延山久遠寺の別当と定め身延山付嘱書(池上相承書)を賜う。

  提案 上記編集をrev。

理由

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出典が明記されていないので如何ともし難く、かつ、日蓮正宗のみが認めるところであることは、上記の疑問点同様です。中立的観点からもrevが妥当というのが愚見です。

Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんにおかれましては、会話ページにもありますように、Wikipediaの三大方針(検証可能性や中立的観点など)を踏まえた上でご編集下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。なお、同様にお願いしました(お願いばかりで恐縮ですが)連続投稿へのご配慮につきまして、お礼申し上げます。お陰で見通しが良くなっております。ありがとうございました。 --1000dai会話2015年9月16日 (水) 09:12 (UTC)[返信]

返信

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 まず、中立的観点によってrevが妥当であるというのは誤っています。

 中立とは、「相(あい)対して争う者のどちらにも味方せず、敵対もしないこと。」でありますが、Vice-priestさんにとって、何と何が相対して争っているとして、私の行為が中立的観点ではないと判断したのでしょうか。

 身延山久遠寺を本山とする日蓮宗は、天台宗の系統として日蓮の教義に修正及び変更を加えて成立した、宗祖日蓮とは全く無関係な宗教団体であります。そのような宗教団体の口伝や相伝に、社会的信頼性の欠けていることは明白です。百六箇抄が偽書であるとか、本門戒壇の大御本尊の造立に対する反駁など、全く社会的に認められていない主張を平然と掲載することは、Wikipediaの編集方針である

「信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということ」

に反する行為です。

 Vice-priestさんの投稿内容を見ると、日蓮宗現代宗教研究所での研究内容と類似した点がありますが、そのような信頼できない研究所が発信する情報源に惑わされずに編集されることをお願いいたします。そして、七百年来脈々と相伝口伝が伝えられ信頼できる情報源である大日蓮華山大石寺の著作を眼光紙背に徹して熟読されることをお勧めします。 --以上の署名のないコメントは、Mujodo会話投稿記録)さんが 2015年9月17日 (木) 03:40 (UTC) に投稿したものです(1000dai会話)による付記)。[返信]

コメントMujodo会話 / 投稿記録 / 記録さん、はじめまして。ウィキペディアへようこそ!早速のお返事ありがとうございます。最近は、ノートで提案してもご意見をお寄せ頂けることがなく、独り相撲の様相を呈し 寂しい限りだっただけに、こうして新しい方がいらっしゃること、喜びもひとしおです。長くなってしまいましたので、小タイトルを設け、特にお伝えしたい部分を太字にしました。そこだけでもお読み頂ければ幸いです。
  • 末尾に署名を
本題に入る前に一つお願いがあります。それは、ノートページに投稿するときには、その末尾に署名してください、ということです。具体的には、文末に半角ハイフンと半角チルダ4つ--~~~~を入れてください、ということです(今回は、ご覧の通り補完させて頂きました)。
実際の入力には、テキストボックス上辺に用意されている「署名アイコン」(署名アイコン (改良型)または署名アイコン (従来型))を使うのが便利です。カーソル位置を文末にした状態で同アイコンをクリックすると、そのカーソル位置にハイフン付きの「--~~~~」が自動入力されます(Wikipedia:署名#署名の方法より)。
私もかつては忘れてしまうことがしばしばあり、またこれからもうっかりそうしてしまう可能性もあるので、偉そうに言えませんが。
  • ウィキペディアは、自宗の正しさを主張したり、他宗の誤謬を指摘したりする場ではありません
さて、この書き込みによって、Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんが日蓮正宗のご信者さんであることがわかりました。あちらこちらで同じ(ような)ことを書かせて頂いておりますが、信仰心をもって教えを弘めようとする志は、個人的には敬意を表するところです。ことに現代社会においては特筆すべき事項と認識しております。
しかし、あいにく、ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんし、個人的な経験に基づいた記述を記事に加えてはいけません。古い書き込みで恐縮ですが、Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんと同じ信仰を持つたかぼん8160会話 / 投稿記録 / 記録さんは、これを理解し、法華講員の方へ法を下げないよう慎重な編集をお願いしてらっしゃいます。
ウィキペディアで大事なのは、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にあります。すなわち、ここで確認したいことは「日蓮宗と日蓮正宗、どちらが正しいか」もしくは「日蓮宗と日蓮正宗、どちらが祖意に適っているか」ではありません。Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集がウィキペディアの編集方針に沿っているか否か、ということ但一点です[* 1]。極端な話し、ウィキペディアとは敵のために書くとさえされているのですから[* 2]
  • 私の編集に関する疑義は、私のノートページへ
もちろん、これらは私にもあてはまることです。団体とその関係者は狭義には別人ですが広義にはそうとも言えない部分もある、と現時点では慎重を期して、そう判断しております[* 3]。編集に際しては十分注意する旨、かねてより私のページで言明してきました。この度初めてご指摘頂け、ありがたい限りです。日蓮宗・日蓮正宗どちらにもくみすることなく出典に従って編集してきたつもりですが、高次資料が少ない状況もあります。このページとは論点がずれますので私の会話ページにて、具体的なご指摘をお願い申し上げます。
  • 日蓮正宗という特定の観点に依拠してませんか?、が本提案の発端
次に、ここでいう「中立的観点」とは、上記の理由でウィキリンクしてありますとおり、特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、ということです。答をご存知の上で敢えて質問調でお書きになったのでしょうから、それに答える愚は犯しません[* 4]が、この度の提案は、Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集は、日蓮正宗という特定の観点に偏っているのではありませんか?、という疑問に端を発しています。
むしっかえすようで恐縮ですが、Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集「山梨県南巨摩郡身延町に存在する久遠寺を総本山とする現在の日蓮宗は、日蓮の教えと異なる教義を持つ。」に関連して、「静岡県富士宮市に存在する大石寺を総本山とする現在の日蓮正宗は、日蓮の教えと異なる教義を持つ。」と書かれたら如何か、と会話ページで配慮をお願いしました。以後再差し戻しが行われなかったので、ご理解頂けたものと安堵しておりましたが、どうやら言葉足らずだったようです。
  • 信頼とは高次の資料のこと
また、「信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということ」とは、編集には典拠が要求され、それは公表された信頼できる第三者の資料に基づかなければなりません、ということです[* 5]。自身と反りの合わない主張をする人や組織は信頼できない、と仰るのもごもっとな話しですが、それは少なくともここでいう「信頼」とは自ずから意味が異なります。
もっとも、私も「第三者の資料」というものの発掘には苦労しており、低次の資料を注意深く使っているつもりなのが現実であります。それ故に、上述のように誓いを立て、お願いしている次第です。
  • <蛇足>社会性と正法は無関係
「社会的信頼性」「社会的に認められていない」と「社会的」という単語を二度お使いになりましたが、より社会的なのは日蓮宗と日蓮正宗どちらでしょうか。換言して問えば、主流の新聞、著名な出版社・仏教系出版社[* 6]によって出版されている宗祖や日蓮宗[* 7]に関連する書籍の著者は誰でしょうか[* 8]。その対象は日蓮正宗でしょうか[* 9]
とは言え、宗祖在世時を踏まえれば「社会的であること」と「正しい教えを伝えていること」は全く以てして別問題であることは論を俟ちません[* 10]

脚注

  1. ^ 誤解無きよう重ねて申し上げますが、ここでは、Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集について論じてるのであって、Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんご自身やその信仰の是非を論ずるものでは全くありません。実際、ウィキペディアはそういう場ではありません。
  2. ^ 日蓮宗と日蓮正宗が敵対していると言うことではありません。ただ、ウィキペディアの方針をそのまま引用しただけです。
  3. ^ これは個人的見解です。
  4. ^ ただ、そう仰いたい気持ちはわかります。というか、私もそう思っております。
  5. ^ このページの本文は出典のある記述が少ないのでご納得し難いのも むべなるかなですが。
  6. ^ 日蓮宗新聞社・大日蓮出版・聖教新聞社第三文明社など日蓮系宗教団体に関連する出版社を除きます。
  7. ^ 十三宗の一つとしての日蓮宗、の意。
  8. ^ 例えば、毎日新聞社刊の『日蓮とその弟子』宮崎英修(日蓮宗僧侶)著、講談社現代新書『日蓮 その生涯と思想』久保田正文(日蓮宗僧侶)著、山喜房仏書林刊の『日蓮聖人の宗教世界』庵谷行亨(日蓮宗僧侶)著。
  9. ^ 例えば、国書刊行会刊の『仏事Q&A 日蓮宗』(日蓮宗現代宗教研究所著)は日蓮宗(宗派)の仏事に関して、学研マーケティング刊の『日蓮の本―末法の世を撃つ法華経の予言』は、日蓮宗(宗派)の寺院や教学を中心にして、それぞれ記述されています。また、書籍ではありませんが、テイチク『日蓮宗在家勤行』は池上本門寺僧侶による読経が収録されています。
  10. ^ この蛇足で一番申し上げたいことです
--1000dai会話2015年9月19日 (土) 05:12 (UTC)[返信]

返信

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・記事を書く際の観点に関して  私は、特定の観点に依存して編集したわけでもありませんし、自宗の広告宣伝をした訳ではありません。「信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容」である記事によってWikipediaの日蓮の項目が構成されるべきと考え記事を投稿した次第です。

・社会性と正法について  仏教系出版社によって出版されることや日蓮宗系ではない新聞に掲載されること、これらを社会性を関連付けて論じられていますが、それは誤りではないでしょうか。かつて中外日報が偽造写真を掲載したように、その信頼性の判定は厳格に行わなければならないと思います。

 短い返信ではありますが、よりよい記事構成が進むことを願ってやみません。

Mujodo会話2015年9月23日 (水) 02:38 (UTC)[返信]

コメントお返事ありがとうございます。一日千秋の思いで待ちわびておりました。
ことに観点につきましてご理解頂けなかったこと、不徳の致すところです。我ながら説得力のなさにがっくりきております。その他の触れてらっしゃらない部分につきましては、ご納得頂けたものと解釈しました(もしそうでない場合はご指摘頂ければ幸いです)。
また、社会性と正法について。これはページの編集と乖離する話題でした。蛇足とは言え、書き込んでしまいましたこと、お詫び申し上げます。この場で記述すべきことではありませんでした。自分で話題を振っておきながら一方的に打ち切ることも、お詫び致します。Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんの「社会的」とはどのような位置付けなのか、中外日報が当時隠れ学会系だったこと[** 1]を踏まえると例示としては不適当ではないか、信頼性云々は論点がずれるのではないか、など新たな疑問が湧いてはおりますが、ここはそれを解消する場ではありませんので、自粛します。大変失礼しました。
よりよい記事構成が進むこと、私も願っております。この点、共通理解が出来、とても喜んでおります。そのためには具体的にどうすれば良いのか、これからも一緒にお考え頂きますようお願い申し上げます
すなわち、Mujodo会話 / 投稿記録 / 記録さんがお書きになられた「日興を身延山久遠寺の別当と定め身延山付嘱書(池上相承書)を賜う。」は日蓮正宗という特定の観点に依るものなので削除、という本提案の主題につきまして、依然反対であるならば、その旨言明と理由のご提示をお願い申し上げます。
追伸…署名ありがとうございました。

脚注

  1. ^ ご覧の通りリンク先は典拠が一切無いので、これだけで判断することは早計のそしりを免れませんが。
--1000dai会話2015年9月23日 (水) 07:43 (UTC)[返信]
報告上記依頼から一週間経つも特段の言明がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai会話2015年9月30日 (水) 23:18 (UTC)[返信]

疑問点3

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〔誕生日〕旧暦1月27日2月16日

  提案 上記編集をrevし、2月16日が旧暦であることとその根拠を明記する。

 理由

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183.90.36.77会話 / 投稿記録 / 記録さんは、誕生日とされる2月16日を新暦と判断され、編集されました。確かに出典とする(日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 642)や(宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 80)には、旧暦か否かの明示はありません。しかし、(宮崎英修 1978, p. 7)には、「その誕生日の2月16日については自ら記すところではないが、『本門宗要抄』の下巻と、この書と大体同時代の成立と思われる日道の『御伝土代』に誕生を2月16日と記している」とあります[注釈 1]。実際、『御伝土代』には、「2月16日」[注釈 2]とあり[1]、旧暦と判断するのが妥当と愚考します。

脚注

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注釈

  1. ^ 但し、漢数字は算用数字に直した。また、『本門宗要抄』には偽書説があるが、それについては(宮崎英修 1978, p. 7)で「日蓮の事蹟・生涯についてはおそらく日蓮の直弟たちの間の周知のこと、またその伝承されていたことがつづられたもので、この両書は日蓮宗の初期の伝承を伝える珍重すべきものである。したがって2月16日の誕生は真を伝えているとみて良い。」としている。
  2. ^ 但し、漢数字は算用数字に直した。

出典

  1. ^ 日道 1983, p. 236-但し、外部リンクでは、コマ番号135

参考文献

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  • 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 編『日蓮正宗入門』阿部日顕(監修)(第2版)、大石寺、2002年10月12日。ISBN 978-4904429778NCID BA56841964OCLC 675627893http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/2016年1月18日閲覧 (ISBNは、改訂版のもの。)
  • 日道 著、立正大学日蓮教学研究所 編『興尊全集 ; 興門集』浅地康平(発行者)(第2版)、山喜房仏書林〈日蓮宗宗学全書 第2巻〉、1983年12月8日(原著1921年)。ASIN B000J6LQH6NCID BN13828831OCLC 834960056https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9530492016年1月18日閲覧 (OCLCは1959年に日蓮宗宗学全書刊行会より刊行されたもの。ASINは全書のもの。外部リンクは1921年(大正10年)に日蓮宗宗学全書刊行会より発刊されたもの。)
  • 日蓮宗事典刊行委員会 編『日蓮宗事典』日蓮宗宗務院、1981年10月13日。ASIN B000J7QTDQNCID BA61075492OCLC 17071163 
  • 宮崎英修 編『日蓮辞典』東京堂出版、1978年7月10日。ISBN 978-4490101096NCID BN00793610OCLC 5182140 

--1000dai会話2016年1月18日 (月) 08:00 (UTC)[返信]

報告提案から一週間経つも反対意見がありませんでしたので、提案を実行しました。--1000dai会話2016年1月26日 (火) 01:37 (UTC)[返信]

本門の本尊

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「思想」→「三大秘法」→「本門の本尊」の項についての疑問です。
ここはあくまで「日蓮」の記事なので、日蓮本人がどう説いたかが知りたいところなのですが、まったく触れられていません。
「本門の本尊」の具体的な内容は日蓮は明らかにしていないという解釈でよいのでしょうか。もしそうであればその旨の記述があった方がよいと思うのですが。

※ここまで書いていて、「日蓮宗」の記事に三大秘法や五義の詳しい内容に関する記述がないことに気づきました。
もしかしたら「思想」の項はまるごと「日蓮宗」記事に移した方がよいのかもしれません。
--Nao Costas会話2020年8月21日 (金) 02:33 (UTC)[返信]

「日蓮門下の諸派」の項について

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この項は日蓮個人の記事に必要でしょうか。 日蓮の弟子についてならこの記事に記す意味もあるでしょうが、19世紀以降の諸派を記す意味はまったくないと思われます。 なのでこの項を削除するか、日蓮の直弟子(せいぜいで孫弟子まで)を紹介する項に改変することを提案します。 --Nao Costas会話2020年10月29日 (木) 13:33 (UTC)[返信]

タイトルを「日蓮の弟子」とし、直弟子のみを記載しました。--Nao Costas会話2021年1月30日 (土) 15:01 (UTC)[返信]