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Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/MASA

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  • (コメント)皆さんから投稿ブロックの賛同意見を頂いたのでは仕方がありませんので暫く記事執筆を中断して反省したい(ウィキブレークに入りたい)と思います。皆さんの記事をしっかりと見て、また外部記事もしっかりと見て、よりよいウィキペディア作りが出来るようにこれからは協力していくつもりです。MASA 2006年11月29日 (水) 17:52 (UTC)[返信]
ブレークにはいったんじゃなかったんですか→ブレーク宣言後の編集。--Nekosuki600 2006年11月29日 (水) 18:24 (UTC)[返信]
(返答)さいたま市大原サッカー競技場の記事が、既に大原サッカー場で出来ていたとosu-mikeさんから指摘されたので、「大原サッカー競技場」の初版を書いた僕が責任持って、競技場に記した記事内容の一部を「大原サッカー場」に書き写しました。今度は本当にブレーク(執筆中断)します。MASA 2006年11月29日 (水) 18:34 (UTC)[返信]


編集競合でコメントできなかったので[編集]

(コメント)「人並みの能力」の線引きって、実際難しいように思いますね。程度の差こそあれ、MASAさんのような問題を抱えている方は少なくないように思いますし(それが非常に目に付きやすい程度に広まっているか、否か、の差こそあれ)。「極刑」を与えるという表現がありましたが、MASAさんは犯罪を犯したということなのでしょうか? はなはだ疑問が残ります。多弁でない人もいるし、こういってはなんですが性格によるところも大きい。私には、MASAさんの行動を「批判」するという後ろに、性格的な面についての「非難」が見え隠れしてならないです。ブロック依頼は懲罰や、ましてや刑事罰ではないし、犯罪者でもないのに、「極刑」のような表現を使うことにも疑問があります。ブロックは刑ですか。われわれ参加者は裁判官でも検察官でもないですよ。苛めの構造に似ているようなきがしてなりません。--PeachLover ももがすき。 2006年12月5日 (火) 00:31 (UTC)[返信]

Yassieさんのコメントの中に出てきた言葉を用いていますが、Yassieさん一人に向けたコメントではありません。むしろ今回の審議全体の流れに対しての印象です。念のため。--PeachLover ももがすき。 2006年12月5日 (火) 00:32 (UTC)[返信]
どうも。
まず投稿ブロックの性格ですが、これはWikipedia:投稿ブロック依頼#投稿ブロック依頼と意見の書き込みに、「投稿ブロック依頼は懲罰や個人攻撃・報復手段のためにあるものではありません」という明記があります。投稿ブロックは懲罰のためにあるわけではありません。率直なところ「懲罰的要素がない」とは思いませんが、少なくとも懲罰目的のものではない。そのことを勘違いしているとおぼしき表現を見かけたら、その都度確認しておく必要があるでしょう。
第二に、「行動への批判」と「性格への批判」が峻別できるか。これは、できないんじゃないでしょうか。行動は性格から導かれるものですから。
さて、「いじめの構造」に似ているかどうかですが。似てるっちゃあ似てるかもしれませんね。
ある程度以上に特定のユーザの行動について多くのユーザの意見が一致して批判が行われる場合というのがあります。それはもう一致しちゃってるわけですから、淡々と自己の評価を記せば済むはずです。しかしそういうときに、ことさらにキツい言葉を使いたがる方々がいる。これは別にWikipediaに限らず、どこででも見かける風景です。
今回は違いますが、特に言い合いになったりした場合には「おまえがそこまで言うのならおれも言いたいことがあるぞ」みたいな構造でどこまでもエスカレートしたりしますわな。大勢が決したあとに更に言い募る必要があるのかはよく考えるべきでしょうし、そこで言い募ったやつは「ブレーキがきかないやつ」として記憶にとどめておいた方がいいかもしれません。
また、大勢が決したあとにキツい言葉を繰り出してくるひとというのもいます。尻馬行動とでも言えばいいのか。そういうのも珍しくありません。大勢が決まったらあとはそれが覆らないかどうかをウォッチするだけで良く、意思表示をするにしても淡々とすれば足りるはず。そういうときにあえてキツい言葉を使うやつがいたら、これまた「尻馬に乗るやつ」として記憶にとどめておいた方がいいかもしれません。
ま、この「ブレーキがきかないやつ」「尻馬に乗るやつ」の登場は、いじめの構造に似てる部分があるかもしれませんし、その部分については批判すべきでしょう。
しかし、だからといって、発端になった問題が打ち消されるのか、あるいは発端になった問題はそもそも存在しなかったことになるのか、と考えると、それもまた間違いです。発端になった問題は存在しているし、打ち消されもしません。「いじめの構造」に似たものを感じたからといって、根本問題の方を手加減するというのも間違いです。そっちはそっちで淡々と処理しなくちゃいけない。「いじめの構造」に似た問題を感じたのならば、それはそれでその「いじめの構造をなんとかする」という方向で考えるべきなのであって、発端となった問題の処理に影響を与えるのはつつしむべきではないでしょうか。
こばちゃっとで、ブロック依頼のページに「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」という箴言を貼っておけ、という意見が出てました。ニーチェの言葉らしいです。ブロック依頼という術を使うジェダイは、ダークサイドに引きずられることなく身を処す能力を求められるし、その能力を持っているかどうかを観察される立場になる。そういうことでいいんじゃないでしょうか。--Nekosuki600 2006年12月5日 (火) 04:34 (UTC)[返信]
そうですね。もっと悪い人もいるでしょうが、アクションが大きければそれだけリスクも大きい(目立つ)ということですね。--202.216.52.135 2007年9月4日 (火) 19:36 (UTC)[返信]